王宮に戻り、イリース姫をお部屋にお送りして、その後。
僕は王宮の廊下を歩いていました。
白い狼と、猫を引き連れて。
道化の僕が何をしようとも、今さら気にする人はいません。
イリース姫への名目としては、保護責任者を探して、お二人をどこかのお部屋にご案内する、ということですが。
僕が訪れるのは、もちろん『かのお方』のおわす、執務室です。
「入ります、ティアマト侍女長」
「入れ。我が道化」
ティアマト侍女長は、入室した僕の後に続く、狼と猫の姿に、小さく目を見開かれます。
が、僕の表情を見て、すぐに事情を察せられたようでございました。
「息災であったか。今は、その姿、なのだな」
「その通りでございます。我が王、オルベリス王よ」
僕は片ひざをつき、こうべを垂れます。
その姿に驚いたのは、後ろのお二人のようでした。
「オルベリス王。アゼル・オリオン様と、ガルド・レイオン様をお連れしました。猫の方がアゼル様で、狼の方がガルド様の、現在のお姿です」
「そうか。ご苦労」
同じくかしづき、こうべを垂れる二人。
ティアマト侍女長は、執務室の椅子に腰掛け、脚を組んで向き直られます。
「見ての通り、余もこの姿だ。今は『ティアマト』という女人として、替え玉のイリースの侍女長をしつつ、政務の補佐をしている。このことは、他言無用だ」
ティアマト様の言葉に、お二人はコクリとうなずかれます。
その後、僕が事情をあらかた説明すると、ティアマト様は考え込んでおられました。
「……すると、何か? 余のことも含めて、宰相はすべてを把握していた、ということになるが」
「おそらくは。ですが、『王のために二人を王宮から遠ざけた』というのは、多少つじつまが合いません」
「そうだな。二人が呪われたとき、余はまだこの姿ではなく、本来の男の姿であった」
そう。だから、『時系列』が合わないのです。
王の呪いの悪化を恐れた、という理由は、あまり適切ではないように感じます。
「その理由は、簡単だ。……ガルド、アゼル。自分たちの葬儀を望んだのは、お主ら自身であるな?」
その質問に、お二人はティアマト様の顔を、じっと見つめられていました。
そして、静かにうなずかれます。
「やはりな。余の宣旨によって二人の仲は保証されたが……ガルドの実家の、レイオン家辺りから、アゼルに危害が及びかねなかったか。実家を、捨てようとしたのだな?」
ガルド様は、小さくうなずかれます。
ああ、なるほど。上級貴族のレイオン家としては、下級貴族のアゼル様を家系図に入れるわけにはいかなかったのですね。
それで、排除の動きがあった、と。
アゼル様が『聖女』だと祀られていれば、権威的に話は違ったかも知れませんが。
悪しき女神の呪いの国難は、表沙汰にはなっていませんからね。
なっていたら、騒動の責を取って、オルベリス王がその座を追われていたでしょう。
「アゼル様は無理ですが、ガルド様は『夜』の間は、ご自身の意志で獣人女性の姿に変じられることができます。お話もできますので、また『夜』にお会いなされますか?」
僕がティアマト様に尋ねると、ティアマト様は難しい顔をなされました。
「ガルド。我々が『夜』に会って、無事でいられると考えるか?」
しばらくためらわれて、ガルド様は、狼の頭を、戸惑ったように振られます。
「やはり、わからんか。余もそうだ」
「あの……ティアマト様?」
僕は話がわからず、僭越にもティアマト様に声をおかけします。
ティアマト様は、おっしゃいました。
「お前は感じぬか、マクガフィン。無理もないか。――先ほどから、余の魔力と、ガルドたちの魔力が脈打つように震えている。脈打ち方からして『共振』でありそうに見える。お互いの魔力が、反応し合っているのだ」
僕はその説明で、少し察しました。
「それは魔力、あるいは、『神々のお力』が反応し合っている、ということですか」
「おそらくは、な」
後者、神々の力だろう、とティアマト様は続けられました。
なるほど。
それが確かだとすると、ガルド様がその身を変えられるほどに力を増す『夜』にお三方がお会いするのは、確かに何が起こるかわからない。
「だが、当座はその話は後回しにしよう。先に会いに行くべき者がいるはずだ」
そうですね。ティアマト様の判断は妥当だと思います。
今はまだ朝なので、後のことを今考え続けても仕方ない。
今のところはイリース姫がお休み中です。
姫がお目覚めになられたら、僕とティアマト様も、ご一緒に会いに行くでしょう。
宰相、そして、司祭長の元へ。
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「おはよう、マクガフィン」
「おはようございます、我が王」
下着姿のイリース姫が、天蓋付きのベッドで目を覚まします。
よく熟睡されてましたね。
「ようやく身体の疲れが取れた気がするわ。今朝は、身体があちこち痛かったもの」
「僕と一緒に床でなんて寝るからですよ。そんな慣れないこと、するから」
僕がそう言うと、イリース姫は、つん、とそっぽを向かれました。
「貴方が一人で、床でなんて寝るからよ。わたしのベッドに来れば良かったのに」
「そういういうわけにもいきませんよ、未婚の王族でしょ、姫様」
他の人間なら、誰かに見られた瞬間、クビが飛ぶ所業です。物理的に。
その事実を告げた瞬間、イリース姫の、僕を見る目が細められました。
姫様が、薄く笑って、その手を広げられます。
「来い、マクガフィン」
「……仰せの通りに」
イリース姫の手に抱かれ、僕は抱きしめられます。
彼女は僕に顔を寄せ、そしてささやきます。
「離さぬ」
「離れませぬので、ご安心を」
ふふ、と彼女は笑われます。
そして、僕の身体を良いように扱われるのです。
謎はすべて解かれ、何もない? いいえ、そんなことはありません。
これから、『彼女』はそれと向き合うのです。
これは、その前の、ほんの少しの休息……