目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第19話


 少し一人で休みたい、というイリース姫を置いて、てくてく。

 お散歩中です。

 姫様はマリッジブルーでしょうか。違うのはわかってますけど。いや、合ってるのか?


 悩みが整理できてないだけだと思いますので、適当なところで戻りましょう。


 ということで、王宮の中庭で時間つぶし。

 植樹の木陰に背を預けて、のんびりといたしております。


「……きみは、誰から『与えられた』んだい?」


 ふと、横を見ると、女性が座っておられました。

 けだるげな、物憂げな美女。

 雰囲気のある方ですが、この王宮内にいるということは、身分ある女性でしょうか。


 どこかで、そのお顔を見たことがあります。

 ですが、どこでそのお顔を目にしたのか、思い出せません。

 昔、どこかで見て、最近も何度も見ているような、そんなお顔。


 ですが、そのお顔が誰であるのかを、僕は『思い出せません』。


「あなた様は……?」


「誰でもないよ。わらわに『名は無い』。抹消され、忘れられたからね。わらわ自身も覚えていない」


 女性は僕をけだるげに見つめ、口元を緩めます。

 目元にうっすらと浮かぶ、疲れたクマが艶めかしさを感じさせます。


「メルヒドかい? オルストラかな? それとも……その姉の、オルテナ本人から? 興味深いね……」


 ふふ、と笑うその顔は、どこか寂しそうです。

 何だろうね。誰だろう。


 でも、僕は、浮かんだその名前を言わなければならない気がしました。

 誰かに『与えられた』道化として。


「オルトナイ様……?」


 僕がその、思い出せない『誰か』の名前を口にした瞬間、物憂げな女性は、驚かれたように目を見開かれました。

 そして、薄く笑われます。

 妖しく。


「……きみが、どうやって『その名』を知ったのかは、聞かないでおこう。……きみは『その名』が何を示す名前なのか、わかっているのかい?」


 頭がぼんやりします。

 聞かれても、思い出せません。


「いいえ。わかりません。わかりませんが……何となく、『その名』を呼ばなければいけない気がしました。そう、確かに『在る名』として」


 その言葉に、女性は口元を結びます。

 うれし泣きのように、目元を細めて、潤ませて。


 女性は手を伸ばし、僕の身体を優しく抱きすくめます。


「きみは、愚か者だね」


「ええ。僕は道化師、愚か者ですので」


 僕の言葉に、女性は耳元でささやきます。


「ありがとう。『与えられた』愚か者よ。きみの言葉により、確かに『その名』は蘇った。消し去られ、忘れられた名は。誰にすらも忘れられた名、ではなくなった。おめでとう。そして、ありがとう」


 そして彼女は、僕から身を離され、長い黒髪をかき上げられながら、名乗られます。


「改めて名乗ろう。わらわの名は『オルトナイ』。素性は乙女の秘密とするが……もう少し、語らっても?」


「かしこまりました、オルトナイ様。ご随意に」


 改めて見ると、オルトナイ様はとても不思議な格好をしておられます。

 西洋ファンタジー貴族世界風のこの国で、白い肌なのにアラビアンな露出の多い衣装。

 髪の色も黒く、薄いクマの奥の黒い瞳も、アイシャドウじみてとても妖艶です。


 この設定画、どこかで見たような気がするのですが。

 記憶が何かぼやかされているかのように、まるで思い出せません。


 でも、王宮にいるんで、危険な人物ではないでしょう。

 粗相があると僕の首が飛ぶ危険はありますが、大した問題では無さそうです。


「きみの出自は知っているよ。ずいぶん、子爵家の実家で冷遇されていたそうだね?」


「道化師になる以前の暮らしは忘れました。今の僕は、マクガフィン、というただの宮廷道化師です」


 ふぅん、とオルトナイ様は唇に手を当てられます。


「その、『マクガフィン』という単語、この国の辞書にはない言葉だ。何を意味する言葉なんだい? ええと、つまり、きみの今の名の由来は?」


「特に意味はありません。意味は無い、というのがその意味です。由来は、忘れました。何か、『与えられた』ものか何かではないのでしょうか?」


 前世の地球の単語だからね。

 この世界には存在しないことも、それは大いにあるでしょう。


「なぜ、僕の名の由来なんかを?」


「いや、なんだろうね。わらわの『名前』を呼ばれたことが嬉しくなってしまって、それでお返しに聞いてみたものさ。王宮では有名人だよ、宮廷道化師の『マクガフィン』」


 僕は『そこに存在しない者』。だけど、存在しないのに有名人とは、皮肉なものです。

 でも、それを知っているということは、やっぱりこの国の、王宮関係者なんですかね。


「予言しようか、マクガフィン。これは、わらわからの祝辞でもあるのだけど」


「何をですか? 祝辞というなら、ありがたく」


 オルトナイ様は、優しく微笑まれました。


「マクガフィン。きみは、存在しない者であったとしても、愛されるだろう。『与えられる』ほどに神々に愛されたなら、この世界の者にも愛される、ということだ」


 そう、でしょうか。

 その割には、生まれの子爵家では良い思い出はありませんでしたけど。


「人は異端を恐れる。異物ゆえに、『いない者』『見えないもの』とすることもある。だが、きみを必要とする者もいる」


「ありがとうございます。そうですね。僕の道化師としての能力は、僕が思うより買われているようです」


 ふふ、とオルトナイ様は微笑まれます。


「そんな風に『存在しない者』でいようとするものじゃないよ。……身分上、そうもいかないのは確かだろうけれど。これからきみを、抱きしめる者、抱きしめようとする者を、邪険にするものではないさ」


「……?」


 オルトナイ様は、静かに目を伏せられます。


「わらわは、そなたを好ましく思っておるよ。……少なくとも、この国よりは、ずっと」


「この国が、お嫌いですか?」


 僕は尋ねます。

 僕を好ましく思う、と言うより、この国を嫌悪しているだけの可能性もありますから。


「そうじゃな、嫌いじゃ。憎んでおるし、憎んでおった。わらわもまた名を忘れられ、『いない者』として扱われた身じゃからな。長く……長く、『誰でもない存在』として扱われておった。名を呼ばれたのは、久しぶりじゃよ」


 なんだろう。少し、口調が変わっているような。


 けれど、そうか。幽閉でもされてたのかもしれないですね。

 フェルリア嬢しかり、幽閉されて貴族社会上は『いない者』として扱われることは、よくあることですから。


 貴族社会にこそ、村八分はあるのですよ。上流階級なだけで、人数比では国民内で少ない立場で独自の文化を持つという、いわゆる、高貴なだけの『村社会』ですからね。


 僕は、失礼ながら、オルトナイ様に抱きつきました。


「なぜ、抱擁する、道化師?」


「抱きしめる者、抱きしめようとする者、を邪険にするものではない。……そう、貴女様がおっしゃったので」


 その言葉が出るほどに、優しい方なのでしょう。

 であるならば。


「であるならば、僭越ながら……貴女様も、誰かに抱きしめられるべき存在では、ありませんか? オルトナイ様」


 それを真に望んでいるのは、オルトナイ様ではありませんか?


「わらわに優しくするものではないよ。……泣いてしまう」


「どうぞ。僕は『存在しない者』です。貴女様の泣き顔を見る者は、ここにはおりません。何も、恥など、どこにもございません。どうぞ、お構いなされずに」


 いいや。とオルトナイ様は、つぶやかれました。


「きみは確かに『存在する』よ、道化師マクガフィン。なぜならば……こんなにも、人の肌が、あたたかい」


 そうですか。

 もしそうであれば。


 それは、とても嬉しいことですね。


 オルトナイ様は、僕の身体をそっと離し、そして立ち上がられました。



「また会おう、道化師マクガフィン。……今度は『夜』になるだろうけれど、ね」



 そう言って微笑まれながら立ち去るオルトナイ様。

 なんでしょう、そんなにみんなして、人の寝込みを襲うのはやめてください。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?