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第21話



「神々の争い……」


 ガルド様が、慄きながらつぶやかれました。

 僕らの目の前、この執務室の中では、今。


 獣神オルストラ様と、悪しき女神こと混沌神オルトナイ様が、対峙されてらっしゃいます。


「賢王オルベリス。こちらへ」


 獣神オルストラ様の声かけに応じ、うずくまっていたティアマト侍女長は、その身体を動かして、よろめきながらガルド様たちの側へと移動します。


 と、同時に、ティアマト侍女長の苦悶の表情が、かなり和らがれたようです。

 獣神オルストラ様のお力によって、女神の『呪い』の力が緩和されているのでしょうか。


「姉様、いえ混沌神オルトナイ! なぜ、そうまでこの国を恨みますか!」


「我が妹、獣神オルストラ。それはもちろん、わらわをないがしろにしたからさ。わらわのことを忘れ、オルテナ信仰を至上とするのは良い。誰への信仰も自由だ。――だが」


 にぃ、とオルトナイ様は、けだるげに、しかし凄絶な笑みを浮かべられます。


「だが――オルテナを『始まりの女神』と教え、広めることを推し進めたのは、この国だろう。事実と違う正史を造り、意図せずとも、わらわを『いなかった』ことにしようとした。それは許せぬ」


「それは……! 姉様、が……御名を、忘れられ、て、いた……から……」


 次第に弁明の語気が弱くなり、獣神オルストラ様は、うつむかれました。

 信仰の享受をほしいままにする主神オルテナと獣神オルストラの、二人の妹。


 対してオルトナイ様の御名は、忘れられたまま。

 妹二人だけが、もてはやされ、自分はいなかったことにされていく。


 オルトナイ様の御名が忘れられた、そのきっかけは、この国が最初ではないのでしょう。

 たぶん、この世界の長い歴史のどこかで、彼女の御名は忘れられたはずです。


 いつしか、それが『当たり前』になったことで、彼女の名は人々の歴史から抹消された。

 すべては僕の推測なのですが。

 そういう、ことなのかもしれませんね。


「うしろめたくは、ありますか。獣神、オルストラ様」


 僕の言葉に、オルストラ様がうつむかれたまま、息を呑んで目を見開かれます。

 主神ではなくとも獣の神として、彼女もまたこの国に祀られた存在。


 祀られた者が、祀られなかった姉妹を前に、何を言えることがあろうというのか。

 そんな、お気持ちなんでしょうね。


「姉である混沌神に寄り添えなかったことを、悔やまれますか。獣神様」


「道化! 貴様、悪神に与するか!」


 ティアマト侍女長のお怒りが飛びます。

 ですが、それは間違いです。


「お言葉ながら、我が王よ。僕は道化師ですので。我が言葉は誰にも聞き入れられず、我が言葉は誰にも遮られず。……ただ、僕は『おどける』のみです」


「こんなときまでか!」


「はい、そうです」


 僕は道化師。この場に存在しない? 誰にも聞き入れられない?

 そんなことはどうでもいいのです。

 大事なことは、


 僕には、自らの思うままに何を言ってもいい『自由』がある。


「お怒り下さい。お責め下さい。この首を切るのも良いでしょう。……でも、僕は誰の味方でもなく。僕の言葉を口にいたします。『おどける』のが宮廷道化師たる、この愚か者の証左であれば」


 僕は、こうべを垂れて一礼し、静かに言いました。


「悪と断じられ、この首だけとなっても。僕は、愚かなる者として『おどけ』ましょう」


 その言葉に、場が静まりかえりました。

 誰もが目を剥いて、僕を見つめています。


 ティアマト侍女長こと我が王、オルベリス陛下は、硬く目を閉じられました。

 そして、何かを悟られたかのように、大きく息を吐かれます。


 一言、我が王は、僕に向けておっしゃいました。


「――大義だ、道化。天晴れである」


「ありがたきお言葉です、我が王よ」


 ガルド元騎士団長も、同じく息を吐かれ、気を緩められました。


「熱く、なりすぎましたか。我々は」


「そうだな、ガルドよ。頭は冷やすべきだ。頭に血が上っては、『知』は失われるものだ」


 事態は何も解決していません。何一つ。

 好転もしていません。


 ですが、争うばかりを考えているのでは、この事態は何も解決しようがありません。

 人の力で争おうとも、相手は女神、『神様』なのですから。

 人の力では及びません。


 力で解決しなければ、何で解決するべきか? 人は力以外に何を持ち得るのか?

 そんなものは、決まっています。


 獣神オルストラ様が、視線を強めて、そして訴えられます。


「オルトナイ姉様。この国を、王たちを憎み呪うことを、止められませんか?」


「止められない。この国は、この上ない大罪を犯し続けてきた。それは、今もなお」


 ダメですか。それはまぁ、オルトナイ様の立場になれば、そうでしょう。

 と僕や、おそらく僕以外の誰もがそう思った矢先。


 オルトナイ様は、意外なことを口にされました。



「そう思っていたけれどね。もうこれより先、呪う気持ちは、特にない」



「……はい?」


 獣神オルストラ様は、ぽかんと口を開けられました。

 戸惑いながらも、実の姉に尋ねられます。


「そ、それならば、姉様と争う理由はございませんが……な、なぜ? 何か、この国が善行を成したのですか?」


 確かに? 特に何も起こっていないはずですが。

 心変わりをされたというなら、気が晴れたか何かの理由があるのが普通なわけで。


「もしや……失踪したという、司祭長が、何かを?」


「司祭長? 誰だ? わらわは知らないが」


 ガルド様の予想を、オルトナイ様が否定されます。

 違うんですか。

 別に、そうだったとしてもつじつまは合いそうだったんですけど。


「で、ではなぜでしょう? オルトナイ姉様?」


 獣神オルストラ様の混乱した質問に、オルトナイ様は答えられました。

 目元に薄いクマのできた、けだるげな顔で、しかし、晴れ晴れとした笑顔で。


「うむ。わらわは恋をした。ゆえにだ」


 誰もが。

 執務室内の誰もが、言葉を失いました。

 猫の姿のアゼル様でさえ、瞳に「?」が浮かんでいそうなご様子で、放心しておられます。


 オルトナイ様は、ゆっくりと、しかし上機嫌なご様子で、おっしゃいました。


「ゆえに、この国を赦そう。もう呪いはしないさ」


「そ、それは……? おめでとう、ございます? え? 恋? 姉様が?」


 獣神オルストラ様は、とても困惑しているご様子。


 悪神の横暴を止めに来たはずなのに、実姉の恋バナを聞かされる事態に。

 確かに、何を言ってるのかわかりません。

 当事者の獣神オルストラ様も、自分が何を言われてるのか、まるでおわかりではないでしょう。



 わからないよね? 僕もよくわからないもの。

 何だこの状況。



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