「では、そういうわけだから。以後よろしく。無粋な真似は赦さないからね?」
混沌の女神、オルトナイ様は、そう言われて姿を消されました。
まさしく、僕らの間に『混沌』を振りまいて。
「獣神オルストラ様……オレたち、いや、我々はこれからどうすれば?」
「そう、ですね……とりあえず、聖女アゼルは元の姿に戻しましょう。騎士団長ガルド。貴方は、そのままでいた方が良いと思います。元の、男の姿に戻せば、姉様の怒りが襲いかかるかもしれない」
獣神オルストラ様が手を差し伸べると、アゼル様の猫の姿が光に包まれ、形を変えていきます。
たぶんこれ、裸になる奴ですね。
僕はとっさに道化の着衣を脱いで、少女の姿に戻られたアゼル様に手渡します。
アゼル様には少し丈が小さいですが、当座に裸身を隠す分には問題無いです。
バスタオルみたいなもんですね。
アゼル様がガルド様に駆け寄られ、抱きしめられます。
その嬉しそうな表情に、ガルド様も不安をさておいて、安堵された表情を浮かべられました。
ガルド様は男の姿に戻られてはいませんが、ともあれ、お二人は人の姿を取ることができました。これはこれで、一区切りはついたのでしょう。
ついていないのは、お一方。
「さて。ではお前を抱くか、道化よ」
「本気なのですね、我が王よ」
捕食者、というより殺気じみた迫力と表情でございますが。
どうしよう。さすがに命がけで、不本意な行為をするのは割に合いません。
僕がオルベリス王に依存しているのは、特段、女性としての魅力ではなく。
賢王としての危うさに惹かれているだけですので。
気の進まないことで、道半ばに命を散らすのも、ちょっとなぁ。
「やめておきなさい、オルベリス王。無理強いはおそらく、姉様の望むところではないわ。このまま過ごして、流れに身を任せるべきだと思う」
「獣神オルストラ様……では、余は、この道化に惚れねばならぬのですか。道化ごときに?」
まっぴらごめん、と言わんばかり。
そのお気持ちはまぁ、わかります。
従者ですし、僕も男で、オルベリス王も心根は男性なので。
同性愛自体は特に否定すべきものではないんですけど、自分の心根を『女』に無理に変えられての愛情は、互いに望むべき終着点では、まったく無いんですよねぇ。
でも、その終着点こそが、女神オルトナイ様の望むところなのですけど。
「王にそのようなご負担をかけるわけにもいきません。ここは、オレがその役目を担いましょう」
ガルド様が、苦虫をかみつぶしたような顔で決意を口にされました。
さすが道化師。僕の意志なんて、誰にも考慮されません。
良いんですけどね。
「……どちらにせよ、時間が解決すると思うわ。すべてが終われば、ガルドの姿も男に戻しましょう。『道』は示されたのだから、あとは本人たちに任せるわね」
そう言い残されて、獣神オルストラ様も、お姿を消されました。
その場の誰もが、消えたその後に向かって頭を下げ、謝意と礼意を示します。
「……まったく、厄介なことになったな」
ティアマト侍女長が、髪をかき上げながら、苦々しいつぶやきをこぼされます。
ガルド様も同様の表情でうなずき、聖女アゼル様は心配そうにお二人を見つめるしかできません。
しかし、まぁ。
「考えようによっては、聖女アゼル様のお姿だけでも戻られました。――なので、当面は、アゼル様に変装していただくなり。ガルド様とともに、王宮に居場所を作るのが急務と存じます」
「……腹立たしいほど正論で、現実的だな。我が道化よ。そうせねば、ならんな」
ティアマト侍女長が苛立ち混じりにおっしゃいます。
でも実際に、アゼル様とガルド様の処遇をまずどうにかしないと、お話にならないですからね。
*******
「……で、侍女を増やそうってことね」
翌朝。自室でイリース姫が呆れておられました。
その前には、すまし顔のティアマト侍女長。
そして、その隣に二人の、実に怪しいメイド服の新人侍女二人。
顔を薄いベールで隠した謎の侍女こと、聖女アゼル様。と。
筋骨隆々の筋肉質な獣人女性侍女、ガルド様。の、お二人です。
はーっ、とイリース姫は大きな息を吐かれました。
ごめんなさい、朝から疲れる案件を持ち込んで。
「わかった、わかったわよ。確かにね。アゼルが元の姿に戻ったって、ガルドの実家のレイオン家に狙われかねないしね。ガルド自身がその姿じゃ、ろくに弁明もできないから。わたしの手元に置いておくしかないわよね」
「ご納得いただけて幸いです、イリース姫様」
アゼル様とガルド様が、申し訳なさそうに頭を下げられます。
「で? アゼルは元の姿に戻ったのに、なんでガルドは女の姿のままなの?」
「それは、この道化師の子を身ごもり、産むためです」
ビシィッ。
と、部屋の空気が音を立てて割れたような錯覚に襲われました。
イリース姫様が、あまりの発言に凝固されていらっしゃいます。
ティアマト侍女長の正体が秘密なので、昨夜のやり取りを秘密にしなければなからなかったため、ですね。
イリース姫は、昨夜のできごとを、ほとんど全く、ご存じではありません。
ただ、悪しき女神の呪いが解けた、とだけご存じです。
「……ガルド?」
「はっ、なんでしょう、姫様!」
姫様が、寝室にある枕をガルド様に投げつけられました。
「あんた、そんなに女の自分を堪能したいなら、素っ裸で勤務させるわよ!」
「そ、それは何とぞご容赦を、姫様!」
むきー、っと憤慨する姫様を、アゼル様が苦笑しながらお止めになられておりました。
「アゼル! 貴女もそんな世迷い言を言うつもり!?」
「い、いえ、私は、ガルド様を運命の相手と思ってますから」
まぁ、そうですよね。
問題は、
「ティアマトは!? 貴女は、ガルドみたいに血迷わないわよね!?」
「ええ。そんなに泣かれそうにならないでくださいませ、姫様。私は姫様のお世話のみが望むところですので。――そのような、道化など。存じませぬ」
冷ややかな視線。背筋も凍りそうです。
そうですよね。オルベリス王こと、ティアマト侍女長は、僕に気を持たないでしょう。
そんな呪いに負けるオルベリス王ではありませんとも。
でも、冷ややかな視線とは裏腹に、頬が少し染まっている気がするのは、なぜです?
「何を見ているのですか、道化? ――処罰しますよ?」
……ティアマト様……?