「よくない」
ぽつり、と僕の口から愚痴が漏れます。
よくないです。本当に。
「何が、マクガフィン? 大きな政変はないわよ?」
ご休憩中のイリース姫が、不思議そうに尋ねられます。
僕にとっては、まったく面白くない事態なんですよね。
「これは道化の戯れ言なのですが」
「うん」
ぼんやりした僕のつぶやきに、イリース姫の相づち。
油断した僕の口から、その憂いが漏れ出しました。
「……自分に振り向かないから魅力的に見えていた相手が、自分に振り向いたら、魅力が消えて見えたりはしませんか?」
「ふぇっ!? ま、マクガフィン!?」
やけに驚かれた、イリース姫の声。
不思議に思い振り向くと、そこには固まった姫のお姿がありました。
なぜだか、茹でられたように真っ赤な顔で、こちらを凝視されるイリース姫。
「そ、そんなことは無いと思うわよ!? わたしは大歓迎で、魅力が消えたりなんて、しないけど!?」
「……そう、なのですか?」
うん? なにか、姫の言い回しがおかしい気がします?
でも、そうか。姫というか、普通の人は、そんな風に思わないのか?
「わたしは、相手の方から迫ってきたり、くっついてきたりするのを、抱き留めるのも良いかもしれないと思うし! 憧れたりもするかな!?」
なるほど。イリース姫様の、乙女心としては、そうなんですね。
でも、僕は乙女じゃないからなぁ。
ガルド様はともかく、この先、ティアマト様に言い寄られても、がっかりしちゃいそうなんですよね。
少し、いや、かなり歪んでるかもしれませんけど。
「ま、マクガフィンも、思い切って相手の流儀に合わせてみるのも良いんじゃないかしら!? えと、マクガフィンがそれを好まない気はするけど、わたしは良いと思うわよ!?」
熱弁される姫様。
なるほど。相手に合わせる、ですか。
確かに、混沌の女神オルトナイ様の流儀に合わせること、それ自体に抵抗はないんですけど。
……けど。
なぜだろう。目をギンギンに輝かせるイリース姫様と、今ひとつ会話がかみ合っていないような不安を、うっすらと感じます。
姫様、何をそんなに興奮されておられるので?
うーん、でも。
これは流儀、というよりは、自分の性分とかの問題のような気がする。
「……申し訳ありません、姫様。やはり、僕はそういうのは、少し不得手なようです」
ぶちっ、と何かの限界を突き抜けたような幻聴を感じました。
次の瞬間、僕の身体は、腰掛けていたベッドに押し倒されていました。
「……お前がそう言うのなら、『余』の我慢が利かなくなるぞ、マクガフィン」
「い、イリース姫……?」
イリース姫は、オルベリス王の表情で、僕の唇を奪われます。
そのお顔は昂ぶりきっていて、まるで獣のよう。
まさに、麗しき獣でございますね。
また、この時間が来るのですね。
構いません。良いですよ、麗しき獣の王たる方よ。
「ご随意に」
「わたしより細い身体を、わたしの前にさらけ出して、投げ出して。それで『不得手』と言うのは少し無理があるわ、マクガフィン」
その手が、僕の下に回され背をなぞり。首筋にイリース姫のてらりと艶めかしい舌が、かすかな糸を引きながら這うのです。
いけませんよ、お姫様。
僕は『存在しない』から構いませんが、このようなお姿を、周りの誰かに見せてしまっては。
僕がそう思いながら表情を緩めると、イリース姫は僕の耳元でささやかれました。
僕の心の内を、見透かしたかのように。
「貴方は『ここにいる』のよ、マクガフィン。だからこそ、わたしは貴方を抱きしめているの。それをわかっていて? わたしの愛おしい、わたし『だけ』の道化師」
ぞくり。
僕の脳裏に、かつての、女神オルトナイ様のお言葉が、蘇ります。
これからきみを、抱きしめる者、抱きしめようとする者を、邪険にするものではないよ。
「あ……」
「どうしたの、マクガフィン? 顔が紅いわ?」
僕は自分の腕で、顔を覆い隠しました。
「どうか……見ないでください……」
僕の背に回された、イリース姫の腕に、力が込められます。
姫様の姿をした、麗しき獣の王は、おっしゃいました。
「――ワタシ、オマエ、ダク。ゼッタイニガサナイ、ガマン、ナニソレ」
姫様、口調と目つきがおかしいです。
ガンギマリすぎでございますね?
*******
大変な目に遭いました。
もうお嫁に行けません、お互いに。
なぜかお互い、お婿にしかいけない身の上だから、元から当たり前ではあるんですけど。
「ふぅ……もっと早くに、こうするべきだったわ!」
イリース姫様が、いきいきとおっしゃいました。
あ、はい。
オルベリス王の代役、というより、大変に雄々しい裸身でございます。
兄が兄なら、妹も妹だった。さすが王族。
「泣くな、道化師。誰にでも初めてはあるものだ」
こんな場で、しかも女性側が言う台詞なんですかね、それ?
堂々たる態度にもほどがある。
「ひ、姫様がご無事なら、それで……」
「いや、わたしも初めてだけどね。王族や貴族なら、夜の閨房の所作は教えられてるもんだから、普通は」
どう考えても逆の立場で教わってるはずなんですが。
まぁ、何を言っても今さらなので、大人しくシーツを掴んでしわを作っております。
「元気な子を産むために、早くフェルリアと結婚しなくちゃね!」
気が早すぎる上に、何もかもが最低な台詞を吐かれます。
姫様じゃなくて、男側がそんな台詞吐こうもんなら、前世じゃ袋だたきですよ。
救いがあるとするなら、イリース姫様の婚約者であるフェルリア嬢が、すべてご承知の上、ということくらいでしょうか。
「となれば、フェルリア様との縁談を、早急に進めるわけですね」
「そうねー……とりあえず、段取りは任せるとして、一度フェルリアと直接会って話をしないと、色々とまずいわよね」
頬杖を突いて考え込むイリース姫様。
そうですね。
普通、貴族の婚姻となると、挙式当日に初顔合わせ、なんてケースも珍しくはないんですけど。
今回は事情も事情だし、お互いに昔からの青見知りでもあるから、一度ちゃんと対面して、話を擦り合わせる必要はあるでしょう。
はてさて、どうなることやら。