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第12話 王女と結婚するということ

「お、おあいこ?」


 本日、まさに今から婚約発表をする相手、リーゼロッテの口から紡がれる、聞きなれない言葉に、思わず声がひっくり返りそうになるのを、ベルンハルトは必死で堪えた。

『おあいこ』とは『お互い様』のことらしいが。そんな言葉、聞いたこともない。

 その後に続くリーゼロッテの言葉に、聞いたこともないはずだと、妙に納得してしまっていた。その様にベルンハルトに言ってくれる相手など、これまでに存在したこともない。


 言ってくれそうな相手に、一人だけ心当たりがあるが、ベルンハルトのことを最優先に考えるアルベルトには、そんな考え頭にも登らないだろう。

 ベルンハルト相手に、可愛らしくそう話してくれるリーゼロッテのことを見つめながら、つい頬が緩む。ベルンハルトの噂を知っていてもなお、警戒せずに会話をしてくれるリーゼロッテのことが、愛おしくて仕方ない。


(まずいな。顔が崩れる)


 緩んでしまった頬を、赤く染まったであろう顔色を、必死の思いで抑え込んだ。



「アルベルト、私は王女と結婚することになるそうだ」


 バルタザールの私室からようやく解放された後、割り当てられた客室の椅子に腰をかけ、目の前に置かれたテーブルに肘をつき、頭を抱えてそう話をする。

 挨拶の翌日、朝からバルタザールに呼び出されたベルンハルトを心配しながら、客室で待ち侘びていたアルベルトに、呼び出された要件を伝えれば、予想だにしていなかった内容に、さすがのアルベルトも慌てていた。

 それでも手にしたティーポットを落とさなかったのは、執事長としての意地だろう。


「おう、じょ?」


 いつでも落ち着き払った仕草のアルベルトの目が大きく見開かれているのを見れば、その珍しさに、つい凝視してしまう。


「あぁ。そうだ」


 人というのは不思議なもので、自分より過剰に反応している者を見れば、返って自分が冷静になれる。

 ベルンハルトは結婚相手を告げられた時からの動揺がようやく収まっていくのを感じていた。


「そ、それは、あのリーゼロッテ王女のことでしょうか?」


「他に王女はいないだろう?」


「そう、なのですが……」


 アルベルトはその後もぶつぶつと何かを呟いていたが、それはベルンハルトに話をしているというわけではなく、自分の頭の中を整理したいためのようだ。

 そのとてつもなく珍しいさまを、いつまでも眺めていたいが、ベルンハルトも朝からの疲労感をそろそろ癒したい。ソファに体を投げ出す前に、椅子に座ったのはお茶を一杯口にしたかったからなのだが、今のアルベルトにそれを察する余裕はなさそうだ。


「アルベルト、そろそろその手にしたティーポットを使ってもらえるとありがたい」


「え?! あ、あぁ! 失礼しました!」


 慌ててティーカップにお茶を注ぎ入れるアルベルトの様子は、いつもの冷静沈着な彼からは想像もできず、口元からは笑いが溢れる。


「フッ。アルベルトは何にそれほど動揺しているんだ? 王女と結婚することか? それとも、リーゼロッテ様と結婚することか?」


「……それって違うものですか?」


「其方にとっては違わぬか。私にとっては、大きく意味の違うものであったが」


「どういう、ことでしょうか?」


「まぁ良い。どちらにせよ、国王の決めたこと。反対などできるわけもない」


 ベルンハルトはアルベルトの淹れたお茶を一口口に含むと、ソファへとその身の置き場を変え、くつろげる体制を整えた。

 今日中に帰領の為に王城を出る。その用意を整えるアルベルトの邪魔にならぬ様、ベルンハルトのできる最大限の配慮だ。


「もうここでの要件は終了ですか?」


 ベルンハルトの姿勢から、今度はその意味を読み取ったようで、アルベルトが帰領の用意をし始めようと声をかける。

 本来、ベルンハルトが言葉を挟む隙がないほどに気のつく、優秀な執事だ。

 そんなアルベルトを動揺させるとは、やはり王女との結婚はそれほどまでに重大な出来事なのだ。

 ただの一貴族が、国王の親戚へと成り上がる。王女の結婚相手、その座を狙っていた者は他にも星の数ほどいただろう。

 バルタザールは何故、その相手にベルンハルトを選んだのか。その理由はベルンハルト本人ですら、理解できなかった。


「あぁ」


「それでは、準備が整い次第、出発しましょう。あまり遅くなると、城の者も心配します」


「ヘルムートか?」


「それ以外の者です」


 そんな者、どこにいるんだ。そんな言葉が出そうになった口をぐっとつぐんで、代わりに自嘲気味な笑みを唇に乗せる。


(そんな者がいようが、いなかろうが、私のやることは変わらない)


 辺境伯としての務めを果たすだけ。

 父から受け継いだ爵位。ロイエンタール家の当主。その二つの立場に加え、次は王女の夫。

 ベルンハルトの肩に、更に責任が重くのしかかろうとしていた。


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