セクション1: 推しへの接触作戦
エリシア・ローゼンベルクは、自分が転生した乙女ゲームのシナリオを逆手に取る決意を固めていた。悪役令嬢の定められた運命を回避するだけでなく、彼女の大好きな推し――エイドリアン・グランディスを直接助けるために。
「推しのためには、まず信頼を得なければ!」
エリシアは、自分の部屋で計画の最終確認を行っていた。エイドリアンはゲームの設定上、堅物で誠実、そして忠誠心の塊のような人物だ。そんな彼に近づくには、彼の「誠実な人柄」を尊重し、あくまで真摯な態度で接する必要がある。
「派手なアプローチは逆効果よね。控えめで自然な形が理想的……」
エリシアは自分の行動を頭の中でシミュレーションしながら、意気込んでいた。
---
翌日、エリシアは王宮の訓練場に足を運んだ。そこでは、騎士たちが日々の鍛錬を行っており、エイドリアンもその中に混じっていた。彼は騎士団の中でも一際目立つ存在だった。規律正しく、他の訓練生たちを指導する姿は頼もしく、どこか神聖さすら感じさせた。
(あれが推し……!やっぱり美しい。あの背筋の伸びた姿勢、鋭い眼差し……ゲームの中でしか見られなかった彼が、目の前にいるなんて!)
エリシアは思わず感動して立ち尽くしてしまったが、すぐに気を引き締めた。ここで立ち止まっていては、推しとの距離を縮める第一歩を踏み出せない。
訓練が一段落ついたタイミングで、エリシアはエイドリアンに向かって歩み寄った。彼はちょうど汗を拭いながら、装備を整えている最中だった。
「グランディス騎士様、少しお時間をいただけますか?」
彼女の声に反応して振り返ったエイドリアンの表情は、いつも通り冷静で、どこか無表情だった。
「ローゼンベルク伯爵令嬢、どういったご用件でしょうか。」
「実は、少しだけお話をしたいことがございまして……。可能であれば、訓練後にお時間をいただけませんか?」
エリシアの丁寧な申し出に、エイドリアンは少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに頷いた。
「承知しました。訓練が終わった後でよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ!お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます。」
エリシアは笑顔を浮かべながら、その場を離れた。内心ではガッツポーズをしていたが、外見だけは冷静を装った。
(よし!接触第一歩成功よ!)
---
夕方、訓練を終えたエイドリアンとエリシアは、王宮の庭園に向かって歩いていた。エリシアが用意したのは、騎士としての彼を敬意を持って接するための言葉だったが、実際に彼を目の前にすると緊張が隠せなかった。
「改めてお時間をいただき、感謝いたします、グランディス騎士様。」
「いえ、こちらこそ。伯爵令嬢から直接お話があるとは思いませんでした。」
エリシアは深呼吸をして心を落ち着け、言葉を選びながら切り出した。
「まず、最初にお伝えしたいのは、あなたの働きに心から感銘を受けているということです。」
「私の働き、ですか?」
エイドリアンは少し驚いたような表情を浮かべた。エリシアは頷きながら続けた。
「ええ。騎士としての誠実さ、部下たちへの的確な指導、そして国を守るための献身的な姿勢――どれもが素晴らしいものだと感じております。」
その言葉にエイドリアンは一瞬目を伏せたが、すぐに真剣な眼差しをエリシアに向けた。
「そのように評価していただけるのは光栄ですが、私はただ職務を全うしているだけです。」
「ですが、それは簡単なことではありませんわ。だからこそ、私はあなたのような方を全力で応援したいのです。」
「応援、ですか?」
エイドリアンの眉がわずかに動く。その無表情な顔に、小さな疑問の色が浮かぶのをエリシアは見逃さなかった。
「ええ。具体的には、あなたがより良い環境で働けるよう、伯爵家としてできる限りの支援を行いたいと思っています。もし何かお困りのことがあれば、どうか遠慮なくお知らせください。」
エイドリアンは静かにエリシアの言葉を受け止めていた。そして、短い沈黙の後に口を開いた。
「お気持ちはありがたいのですが、私はすでに十分な環境を与えられています。これ以上の支援は必要ないでしょう。」
その毅然とした態度に、エリシアは彼の誠実さを再確認した。しかし、それでも諦めるわけにはいかない。
「それでも、何かありましたら、いつでも私にご相談ください。あなたの働きが王国にとってどれほど重要か、私は知っていますわ。」
エイドリアンは目を細め、微かに笑みを浮かべた。
「ローゼンベルク伯爵令嬢……いえ、エリシア様。あなたのような方が、私たちの働きを見守ってくださるのは心強いことです。」
その言葉に、エリシアの胸は高鳴った。推しから名前で呼ばれる喜びを噛み締めながら、彼女はさらに決意を固めた。
(この調子で、もっと信頼を築いていかなきゃ。彼が幸せに働ける環境を作るために!)
エリシアの「推し活」は、着実に一歩を踏み出したのだった。
セクション2: 王宮舞踏会の波乱
王宮で開かれる舞踏会――それは貴族たちが華やかな衣装を纏い、社交を楽しむ場でありながら、同時に政治的な駆け引きの場でもある。
エリシア・ローゼンベルクも、伯爵家の娘として招待されていたが、この舞踏会には彼女にとって特別な意味があった。推しであるエイドリアン・グランディスも騎士団の一員として参加し、会場の警備を務めることになっていたのだ。
「舞踏会か……あまり気乗りしないけど、推しの姿を見られるなら行く価値があるわね。」
エリシアはそう呟きながら、侍女にドレスの仕上げを任せていた。今日のために選んだのは、淡いブルーのドレス。派手すぎず、それでいて高貴さを感じさせるデザインだ。
「エリシア様、本当にお美しいですわ。」
侍女の褒め言葉に、エリシアは軽く笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも、今日の主役は私じゃないわ。」
そう、今日の主役はあくまで推し。彼女は自分の計画を胸に秘めながら、王宮へ向かった。
---
舞踏会が始まると、会場は華やかな音楽と笑い声で満たされた。エリシアは会場の隅でグラスを手に取り、静かに様子を眺めていた。周囲には彼女に挨拶をしようとする貴族たちが何人もいたが、エリシアは必要最低限の会話で流し、エイドリアンの姿を探していた。
「やっぱりいた……!」
会場の入り口近くに立つエイドリアンの姿を見つけた瞬間、エリシアの心は跳ね上がった。警備のためだろう、彼は鋭い目で会場を見渡し、隙のない佇まいを見せている。その堂々とした姿に、エリシアは改めて惚れ直した。
(ああ、素敵……あの真剣な表情、まさにプロフェッショナル!)
しかし、そんな彼の姿に見惚れるのも束の間、エリシアは背後から声をかけられた。
「ローゼンベルク伯爵令嬢、こんなところで一人ですか?」
振り返ると、そこには婚約者であるライアン王子が立っていた。彼は表面上は微笑みを浮かべていたが、その瞳にはどこか冷たいものがあった。
「ライアン殿下、こんばんは。」
エリシアは丁寧に頭を下げたが、内心ではその存在が煩わしかった。
「せっかくの舞踏会ですから、もっと社交を楽しまれてはいかがですか?」
ライアン王子の声には、どこか嫌味が混じっている。エリシアは微笑みを崩さずに答えた。
「ありがとうございます。ですが、わたくしはあまり派手な場所が得意ではございませんので。」
「それは残念だ。伯爵家の娘としての立場を考えれば、もう少し積極的になった方がいいのではないか?」
その言葉に、エリシアの胸の中で何かが弾けた。だが、ここで感情を表に出してはいけない。彼女は軽く微笑みながら言った。
「ご忠告感謝いたします。ですが、わたくしの役目は、ただ華やかに振る舞うことだけではございません。」
ライアンは少し眉をひそめたが、それ以上言葉を続けることはなかった。そして、軽く礼をしてその場を離れていった。
(ふう……やっぱり、この婚約なんて早く解消したいわ。)
エリシアがほっと息をついた瞬間、会場の中央で大きな音が響いた。
「きゃあ!」
悲鳴が上がり、貴族たちがざわつき始める。エリシアが音の方を見ると、男性が一人、倒れているのが見えた。彼の近くには砕けたワイングラスが散乱しており、どうやら誰かが仕掛けた毒が入っていたようだ。
「毒……!」
エリシアは思わず呟いた。その瞬間、エイドリアンが素早く動き、倒れた男性の周囲を確保すると同時に、周囲に鋭い指示を飛ばした。
「全員、落ち着いて行動してください!この場を離れず、警備の指示に従ってください!」
その堂々とした指揮に、混乱しかけた会場は徐々に落ち着きを取り戻していった。
(さすがエイドリアン様……でも、これはただの事故じゃない。)
エリシアは素早く状況を把握し、犯人を探る必要性を感じた。この毒の仕掛けは、ただの偶然ではないはずだ。そして、貴族の中に敵が潜んでいる可能性が高い。
---
その後、舞踏会は一時的に中断され、調査が行われることになった。エリシアは、エイドリアンと短く目を合わせ、心の中で誓った。
(推しの足を引っ張るわけにはいかない。私にできることを探さなくちゃ!)
これが、彼女の「推しを守るための戦い」の始まりであった。彼女の周囲で巻き起こる陰謀の波紋は、やがて大きな渦を生むことになるのだった。
セクション3: カミラの助力
エリシア・ローゼンベルクは、自室のデスクに座り、目の前に広げられた書類の山を眺めながら深いため息をついていた。
彼女の頭の中には、一通の手紙の内容がぐるぐると回っている。匿名で送られてきた「王宮内に陰謀が進行中」という警告文。その正体を探るため、彼女は奔走していたが、今のところ明確な手がかりを掴めていない。
(推しのエイドリアン様を危険から守るためにも、この陰謀を暴かなきゃ……でも、どうやって?)
エリシアは、自分一人の力では限界があることを痛感していた。そんなとき、ふと思い出したのは、つい最近出会ったばかりの少女――カミラ・アルセリアのことだった。
「そうだわ……カミラ様なら、きっと力になってくれるかもしれない。」
彼女の優しさと純粋さに触れたエリシアは、この危険な状況において、カミラの協力が必要不可欠だと考えた。エリシアは書類を片付けると、すぐにカミラに会いに行く準備を始めた。
---
翌日、エリシアはカミラの家を訪ねた。訪問を事前に伝えていたこともあり、カミラは門前で笑顔で彼女を迎え入れてくれた。
「エリシア様、ようこそおいでくださいました!」
「お邪魔いたします、カミラ様。」
エリシアは礼儀正しく頭を下げつつ、内心ではカミラの素朴で可憐な姿に改めて感心していた。
「どうぞお茶をお召し上がりになりながら、ゆっくりお話しくださいませ。」
カミラに案内された客間に入ると、すでに丁寧に用意されたお茶と焼き菓子が並べられていた。エリシアは少し緊張しながらも席につき、話を切り出した。
「カミラ様、突然のお願いで恐縮ですが、少しお力を貸していただけますか?」
「もちろんですわ!でも、私にできることなんてあるのでしょうか……?」
カミラはエリシアの真剣な表情を見て、不安そうにしながらも前向きな姿勢を示した。その様子にエリシアは少し安心し、説明を始めた。
「実は、最近王宮内で怪しい動きがあるという情報を得たのです。それに関する調査を進めているのですが、どうも一人では難しくて……」
「王宮で怪しい動き……?」
カミラの表情が険しくなる。その純粋な目は、すぐにエリシアの話を信じたようだった。
「ええ。詳しいことはまだ分からないのですが、このままでは王宮の皆さん、そして騎士団に危険が及ぶ可能性があります。」
「そんな……!それなら、ぜひお手伝いさせてください!」
カミラは力強く答えた。その反応にエリシアは驚くと同時に、彼女の頼もしさを感じた。
「ありがとうございます、カミラ様。それでは、まず王宮での情報収集を一緒に進めていただけますか?カミラ様のような方がいれば、周囲の警戒も解けやすくなりますわ。」
「はい、分かりました!エリシア様の力になれるよう、精一杯頑張ります!」
こうして、エリシアとカミラは協力して調査を進めることを決めた。
---
その数日後、二人は王宮内での情報収集を本格的に開始した。エリシアはカミラと一緒に、舞踏会での噂話や貴族たちの動向を観察し、陰謀の手がかりを探していた。
「カミラ様、あの方たちの会話を聞いてみてください。少し怪しい雰囲気がしますわ。」
「分かりました。エリシア様はここでお待ちください!」
カミラは目立たないように貴族たちのそばに近づき、何気なく会話を聞き取る。その結果、いくつかの断片的な情報を持ち帰ってきた。
「エリシア様、どうやら王宮の中庭で最近何か取引があったみたいです。その内容までは分かりませんが……」
「なるほど。そうなると、中庭を調査する必要がありますわね。」
エリシアはメモを取りながら、次の行動を計画していく。カミラの素直さと行動力に助けられ、調査は少しずつ進展していった。
---
夜、エリシアは一人で部屋に戻り、今日の成果を振り返っていた。カミラの協力のおかげで、新たな情報が少しずつ明らかになりつつある。だが、それと同時に、彼女の胸には不安も膨らんでいた。
(陰謀の正体が分かれば分かるほど、危険も大きくなるわ……カミラ様を巻き込んでしまったけれど、これで良かったのかしら。)
そんな思いを抱えながらも、エリシアはペンを取って計画を練り続けた。推しであるエイドリアンを守り、陰謀を阻止するために――彼女の戦いはまだ始まったばかりだった。
セクション4: 推しと共闘
王宮の夜は静寂に包まれていたが、その裏では動きがあった。
エリシア・ローゼンベルクは、カミラとの調査で得た情報をもとに、中庭で密かに行われる取引の現場を探るため、一人で王宮に向かっていた。
「これで本当に全てが分かるはず……推しが危険に巻き込まれる前に、絶対に止めなくては。」
中庭の影に隠れながら、彼女は慎重に周囲を観察していた。すると、遠くから複数の人影が動くのが見えた。エリシアは心の中で息を呑み、そっと近づく。
すると、暗がりの中で交わされる不穏な会話が聞こえてきた。
「……これで次の計画は順調に進む。」
「ええ、全て王国を混乱させるためです。」
低い声で交わされるやり取りに、エリシアは強い危機感を覚えた。彼女はその場から離れて騎士団に知らせようとしたが、背後で乾いた音がした。
「……誰だ!」
彼女が動いた音を聞きつけたのか、取引に参加していた一人が声を上げた。エリシアは瞬時に隠れようとしたが、相手の目が鋭くこちらを捉えた。
(まずい、見つかった……!)
冷や汗が流れる中、彼女はどう行動すべきかを考えていると、突然暗闇の中から鋭い声が響いた。
「そこまでだ!」
その声と同時に、力強い足音が響き、エリシアの前に現れたのは――推しであるエイドリアン・グランディスだった。
「あなたたちの動きは既に把握している。ここで大人しく捕まるのが賢明だ。」
彼の剣の刃先が月明かりを反射し、威圧感を漂わせている。驚いたような顔をした取引の相手たちは一瞬怯んだが、すぐに反撃に出ようとした。
「エイドリアン様……!」
エリシアは思わず彼の名前を呼んだ。その声にエイドリアンは一瞬だけ振り返り、冷静な目で彼女を見つめる。
「ローゼンベルク伯爵令嬢……危険です。下がっていてください。」
彼の静かな声には、強い決意と信頼が込められていた。エリシアは一瞬言葉を失ったが、すぐに頷き、安全な場所へと退いた。
---
エイドリアンの戦いは圧倒的だった。彼は剣を軽々と振るい、相手の動きを封じ込めていく。取引に関わっていた人物たちは次々と彼の力に圧倒され、反撃の余地を失っていった。
その様子を陰から見つめていたエリシアは、改めて彼の強さと凛々しさに胸を打たれた。
(やっぱり、エイドリアン様はただの推しじゃない……この世界で最も信頼できる人だわ。)
だが、状況はすぐに解決するわけではなかった。逃げ出した取引の一人が別方向からエリシアに向かって突進してきたのだ。
「邪魔をするな!」
相手が振りかざした短剣がエリシアに迫る。彼女はとっさに身を避けようとしたが、相手との距離が近すぎた。
「エリシア様!」
その瞬間、エイドリアンがエリシアの前に立ちはだかり、短剣を見事に弾き飛ばした。
「大丈夫ですか?」
エリシアの目の前に、月明かりに照らされたエイドリアンの顔があった。彼の真剣な眼差しに、エリシアの心臓は高鳴った。
「はい……ありがとうございます……」
彼の手を借りて立ち上がりながら、エリシアは涙が出そうになるのを必死に堪えた。
「ここは危険です。急いで離れましょう。」
「いえ、私も戦います。陰謀の証拠を掴むためにここに来たのですから。」
エリシアの強い意志に、エイドリアンは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに頷いた。
「分かりました。しかし、無理はしないでください。」
---
その後、エリシアとエイドリアンは協力して現場を収め、取引に関わった人物たちを捕らえることに成功した。エリシアが持ち帰った情報と、エイドリアンの働きにより、陰謀の一部が明るみに出た。
夜が明け、二人は無事に王宮へ戻った。緊張から解放されたエリシアは、エイドリアンに向き直り、深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました、エイドリアン様。あなたがいなければ、私はどうなっていたか……」
「お礼を言うべきは私の方です。あなたの勇気がなければ、この陰謀を暴くことはできませんでした。」
彼の言葉に、エリシアは少しだけ顔を赤らめた。そして、心の中で新たな決意を抱いた。
(これからも、推しのために力を尽くそう。私が彼を守れるように――そして、彼が安心して活躍できるように。)
こうして、エリシアとエイドリアンの間には確かな絆が生まれた。そしてその絆は、やがて王国全体を揺るがす大きな力となっていくのだった。