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第1章

第1話 僕と彼女と通学路

 衝撃的な告白をされた翌日。僕が学校へ行くために家を出た時だった。


「おはようございます」


 家を出てすぐ目に入ったのは、お辞儀をしてニッコリと笑う女の子。どうやら僕が出てくるまで外で待っていたらしい。僕と彼女の中なんだから、あまり気にする必要はないのに。

 玄関前で僕を待っていた女の子。彼女は昨日、僕と恋人同士になったはずの姫柊姫さんだ。僕の記憶が正しければ、なんとも珍しい告白の言葉と贈り物だったと思う。きっと歴史上類を見ない告白だ。


 というか、あんな告白をする人類が他に居てたまるか‼

 玄関前に居たことですら驚きなのに。


「……いつからそこに居たの?」

「ほんの五分前です。緋色君の登校時間は把握していますから」


 目をキラキラと輝かせて、姫柊さんが自分のメモ帳を見せてくる。

 そこには事細かく、そしてびっしりと僕の日常的な行動が綴られていた。


「ところで緋色君」


 メモ帳を隠すように早々と鞄の中に仕舞いながら、姫柊さんが照れた様子で僕を呼ぶ。

 すごく嫌な予感がする。まるでとんでもないハチャメチャが、押し寄せてくるような。


 姫柊さんの背後に『ゴゴゴゴ』という効果音が見えた気がして、僕は思わず後退る。少なくても僕にはそれぐらいの脅威を感じたんだ。けれど玄関の扉に阻まれて、すぐに僕は逃げ場を失った。目の前には笑顔なのに、どこか圧を感じる僕のできたばかりの彼女が。


 最近できたばかりのファンクラブメンバー曰く、笑顔はまるで女神様らしいけど……。

 どこが女神様なのさ⁉ 百歩譲って怖いタイプの女神様だよ‼

 背中に大量の脂汗を掻く中、遂に姫が僕に迫ってくる。


「昨日渡した婚姻届けについてなんですが――」

「そ、それなら一応、今も持って――」

「今すぐ役所へ提出にいくので。名前の記入と捺印をお願い――」

「ハハハ。そういえば昨日、うっかりコーヒーを零しちゃったんだ。ごめんね」


 危ない。危ない。危うく高校生で学生結婚するところだったよ。

 そういえば、日本の結婚年齢って男女共に十五歳だっけ? よく知らないけど、流石にこの歳で結婚なんてしたくないよ。そんな決断、簡単にできるはずがないじゃないか。


 でも今の反応、やっぱり姫柊さんは僕のことが好きなんだよね?

 じゃないと婚姻届けなんて話題出さないだろうし。

 いくら何でも、イタズラで結婚なんてできるはず――


「ではこちらをどうぞ」


 僕の胸に大量の何かが押し付けられる。布越しの感触からして、それは紙。それも一枚や二枚じゃない。とにかく大量の紙の束が、僕の胸に押し付けられていた。


「これって……」


 血の気が引いて行くのがわかる。たぶん今、僕の顔色は真っ青一直線だ。

 だって僕の胸に押し付けられた紙の束は――


「おっちょこちょいな緋色君のために、追加の婚姻届け百枚セットです‼」


 この通り。追加の悪魔の契約書なんだから。

 姫柊さんから渡された婚姻届け。その全ての『夫』以外の欄が埋められていた。

 こんなの一人でできるわけないよ。絶対に組織ぐるみの犯行だ。


 そもそもウチの両親は今、海外在住の海外暮らし。昨日の今日で百枚も記入できるはずがない。こういうのをたぶん、公文書偽造っていうんだ。

 それにしても一体、誰が協力したんだろう? 仮に一人で書いたとしたら、確実に危ない人だよ。

 とにかく、この百枚をどう処分したもの――


「ちなみに婚姻届けの予備はまだまだあるので、失敗したら教えてくださいね」


 見せられた姫柊さんの鞄の中身。そこには教科書やノート、筆箱と一緒に大量の婚姻届けが入っていた。しかも手には別の鞄を持っていて、そちらはそちらで大事そうに持っている。一体何枚の婚姻届けを用意してるんだろう。


「それでその……僕が書いたらどうする――」

「もちろん。今すぐにでも提出しに行きます」

「…………」

「冗談ですよ。高校卒業と同時に役所へ提出します」


 明らかに最初のセリフが冗談に聞こえなかった。

 ウチの学校は意外と名門の進学校。そのウチの高校へ主席で合格したはずなのに、今の姫柊さんからはウチのクラスの男子と同じ匂いがした。そうバカの匂いが。

 つまりサイコロ鉛筆を転がして合格できた僕と同等。それぐらい今の姫柊さんからは、主席の貫禄が一切感じられない。


「ところで姫柊さん。高校卒業前に僕らが別れる可能性はあるのかな?」

「…………」


 僕が恐る恐る尋ねた究極の質問。

 でも姫柊さんは不機嫌そうな顔をするばかり。やっぱりこの質問はまずかったかな。

 確かに僕と本気で付き合うつもりなら、あまりされたくない質問――


「緋色君。是非、昔みたいに名前で呼んでください」

「ふぇ?」


 グッと僕に詰め寄ってきた姫柊さん。彼女の口から飛び出した予想外の言葉に、僕は妙ちくりんな声を漏らした。

 告白のセリフと同じぐらい、この場面だと予想外過ぎる言葉だったよ。なんでこのタイミングで……その話を……。


「昔はちゃんと、名前で呼んでくれましたよね?」

「で、でもそれはその……低学年の頃の話で……」


 僕だって、そのことについては昨日寝る前にさんざん考えた。カップルなんだし、いつかは名前で呼ぶ方が自然だ。でも僕的にはまだ早いと思ってたのに。姫柊さんは今、それを要求してる。

 ついには両手で指揮者をするみたいに。


「さん、はい‼」

「……め」


 急に呼びかけられ、恥ずかしながらも小さい声で囁くように呟く。

 でも気に入らないらしく。再度、指揮者姫柊の降臨となった。


「もう一度。大きな声で」

「……ひ、……め……」

「もっと大きな声で‼」

「姫‼」


 いっそ殺して欲しかった。

 同級生の女の子を名前で呼ぶなんて、本当に低学年の頃ぶり。これでも小学生の頃はちゃんと、姫柊さんのことを名前で呼べたんだよ。それなのに今では、名前を呼ぶだけで顔が真っ赤になる始末。


「朝からいいものを……御馳走様です」


 ドアの方に顔を向けて、姫柊……ひ……め……と顔を合わせないようにした。それなのに彼女はワザワザ、僕の顔を覗き込んでくる。恥ずかしくて顔を真っ赤にしてる僕の顔を。それを眺めながら、姫ら……ひ、めはうっとりとした幸せそうな顔をしていた。これがいわゆる蕩けた表情っていうやつなんだろう。僕はただただ恥ずかしいだけだけど。


「それでさっきの僕の質問だけど、ひ、めは、僕と別れた時のことはどう考えて――」

「安心してください。私の『緋色君とのラブラブ予定帳』には、そんな予定ありませんから」


 シレッとおかしな単語が聞こえた。

 何? ラブラブ予定帳って?

 昨日のアレが本気の告白だとしたら、僕はとんでもない女の子に好かれたかもしれない。


 なんて言うんだろう。漫画やアニメでたまに見かける属性……そう、もしかしたら姫は俗にいうヤンデレなのかもしれない。……まあ僕への好意が前提条件なんだけどね。

 そんなことを考えながら、僕はガチャガチャと家の鍵を閉める。

 すると鍵を閉め終わった直後。


「では行きましょうか‼」


 姫が僕の左腕に抱きついてきた。それもギュッと力強く。


「姫、これって……」

「恋人同士なんですから。これぐらいは普通です」

「そうなんだ……」


 急なことでビックリしたけど、確かに姫の言う通り。

 僕はそっと心の中で胸を撫で下ろす。

 あれ? 胸だって?


「そ、そういえば姫」

「なんですか、あ・な・た」


 今の発言に気になる部分は――気になりすぎる部分はあった。

 だけど僕にそこを蒸し返す余裕はない。だって今、僕の左腕には――


「その……色々と当ってるんだよね……胸……とか」


 小柄な姫にとってはアンバランスな大きい胸。その谷間に僕の左腕は挟まれていた。

 柔らかい感触に包まれた左腕。正常な男子高校生なら、意識せざるを得ない魔の隙間だ。それなのに姫は一切気にすることなく、しまいには――


「安心してください‼ ワザと当てているので‼」


 なんて言う始末。


「安心できないよ‼ 僕だって男の子なんだよ‼」

「そうですね、緋色君も男の子……スンスン、緋色君のいい匂いがします」


 慌てる僕を置き去りに、姫が抱きついた僕の腕の匂いを嗅いでいた。いや、正確には僕の制服の匂いをかな。


「これ、ウチと同じ柔軟剤の匂いですね」

「そうなの? お金持ちも洗濯とかは僕ら庶民と何も変わらな――」

「はい‼ 私が『緋色君と同じ洗剤と柔軟剤にしてください』とお願いしたので‼」


 ……きっとそれまではすごく高いやつを使ってたんだろうね。姫の家ってすごいお金持ちの姫柊財閥だし。今度姫の家に行くことがあったら、使用人さんに謝っておかないと。

 そういえば、家といえば。


「よく僕の家の場所がわかったね」

「何を言ってるんですか。緋色君の家なら、小学生の頃から知ってますよ」

「アハハ。そうだよね。低学年の頃はよく一緒に遊んでたもんね」


 姫と家で遊んだことは一度もなかったけど。

 そもそも連れて来たことすらなかったような。

 本当になんで知ってたんだろう。


「学校からの帰り道は毎日ドキドキハラハラでした。緋色君の後をつけるのが楽しくて」

「ソウナンダネ~」


 今、すごく怖いことを言われた気が。

 これって触れても大丈夫な話なの?

 僕としては是非、スルーしたい案件なんだけど。


「ところで緋色君。同じクラスになったのは久しぶりですが。私のこと、ちゃんと覚えていましたか? 疎遠だった期間が長すぎて、私のこと忘れちゃっていませんでしたか?」


 姫の力が僕の左腕に加わる。僕の腕に触れる柔らかい感触が更に確かなものになった。

 なんで姫は全く動揺しないんだろう。

 それと姫の質問に対する答えだけど。


「そんなことないよ。姫は僕の数少ない友達の一人だったからね」


 本当は初恋の相手。そう言いたかったけど、簡単には言えないよね。

 僕の気持ち的にはもちろん。対外的にもバツが悪すぎるもん。

 だけど日和った僕の友達という発言。それに少しだけ姫は苛立ちを伺わせてる。


「そうですね‼ 私は『ただ』のお友達でしたから‼」


 ものすごく『ただ』という部分が強調されてた。

 しかも姫の胸に挟まれていたはずの僕の腕が、若干捻られているし。

 本当に少ししか痛くないから別にいいけど、やっぱり僕の解答が不満だったらしい。

 一体なんて言って許してもらえれば――


「でも今は緋色君の可愛い彼女ですから。彼女らしいこともしますよ」


 僕が姫を宥めるよりも先にだった。

 彼女はサッと、ずっと手にしていた小さな鞄を見せつけてくる。

 僕はてっきり予備の婚姻届けが入っているとばかり思っていたけど。もしかしたら、違うのかもしれない。


「ところで調べたところによると。緋色君は毎日、お昼ご飯は購買らしいですね」

「そ、そうだけど。なんで姫が僕のお昼ご飯事情を知って――」

「夫の食事管理も妻の務めですから……グヘヘ……夫と妻……ポッ」


 自分で言った『夫』と妻という言葉の余韻に浸る姫。僕としてはその前の「グヘヘ」って笑い声に注目が集まるところだよ。しかも口元から涎が零れそうだし。

 ズボンのポケットから出した青いハンカチ。僕はそれで姫の口元を拭った。


 ハンカチについた姫の唾液……ゴクリンコ。って⁉ 僕は何を考えてるのさ‼ いくら何でも女の子の涎がついたハンカチを見てドキドキするなんて、ただの変態だよ。確かに好きな女の子の縦笛を吹く感覚にも似た状況だけど、僕はそんな邪なこと絶対にしない。確かに妙な気分だけど、僕なら我慢できるはずだ。ウォォォ‼


「どうしたんですか? さっきから変ですよ?」

「なんでもないよ‼ ただ、内なる自分との戦いを楽しんでいるだけさ」


 今はハンカチを嗅ぐが優勢。ハンカチを舐めるがその後を追う形。もう少し頑張ろうよ、僕の理性。ほら、そうこうしている間にも新しい派閥の食べる……ハンカチを食べるって何なのさ‼ いい加減に働けよ、僕の理性‼


「よ、よくわかりませんが。そんな緋色君のために、今日はお弁当を作って来ましたよ」

「OBENTOU?」


 その言葉を聞いて、嫌な思い出が一気に襲う。

 そもそも昔からお弁当には良い思い出が一つもない。

 その証拠に僕は今、心がすごく怯えていた。その影響で顔もたぶん、やや青くなってるはず。いわゆるトラウマってやつなんだろう。

 原因はちゃんとわかってる。以前食べた妹の手作り弁当だ。


 それ以外にも要因はあった気がするけど、そちらを思い出すと本当に気を失いそうになる。妹の手作り弁当の味なら、ちゃんと覚えているのに。だとするときっと忘れている何かは、あの弁当よりは不味くなかったんだろう。とりあえず僕の妹の手作り弁当。あれは本当に不味かった。中学時代、お弁当が必要な日。僕はよく耐えたと思う。


「どうしたんですか、緋色君。目から涙が……」

「なんでもないよ。喜んでそのお弁当もらうね」


 姫の手作り弁当か。となると目下の問題はクラスの皆だね。

 姫が学校で一番可愛い女の子。僕如きがそんな子の手作り弁当を食べたら……確実に戦争が始まる。それも僕を殺すまで終わらない。そんな最上級に危険な戦争が。


 なにしろウチのクラスの男子は全員、恐ろしいほど女子にモテないからね。

 彼女の手作り弁当なんて聞いたら、当然殺しに来るはずだ。

 根暗で陰険でカップルの幸せを呪う。

 それが僕ら一年A組『モテない同盟』だ。


「そ、そうだ、姫。お昼なんだけど、二人でこっそり教室以外で食べない?」

「それはつまり……」


 なぜか姫が瞳を輝かせ、僕の顔を見上げてくる。

 まるで何かを期待しているような目だ。

 なんで彼女はそんな目をして――


「お弁当デートのお誘いですね‼」


 お弁当デート? はて、なんのことやら?

 よくわからないけど、皆から隠れて食べられるなら何でもいいか。


「う、うん。お弁当デートだよ。嫌、かな」


 僕の頷きに姫が鼻息を荒くする。

 それも雰囲気からして、嬉しさのあまりって感じで。


「な、ならその……『あ~ん』とかを所望しても……」

「それって僕が姫にご飯を食べさせるってこと?」

「それもですが……私も緋色君に食べさせてあげたいなって……キャッ‼」


 可愛らしい悲鳴を上げる姫。

 たぶんこの光景を同盟の皆に見られた時点で、僕は裏切り者扱いだ。速やかに罰が下されることだろう。だから姫の手作り弁当を教室で食べたりしたら……考えただけでも恐ろしいよ。


「わかったよ。お弁当のお礼にそれぐらい朝飯前さ」


 その言葉を聞いて、姫が鼻歌を歌い出す。

 だけど僕らがいるのは、まだ僕の家の前。このペースで行くと、完全な遅刻コース。姫とは違って、成績がすこぶる悪い僕は大ピンチ。


「ごめんね、姫。ちょっと触るよ」

「触る⁉ もう緋色君ってば、こんな朝早くから何を考えてるんですか‼ ポッ」


 僕としては、姫の反応の方にツッコミを入れたかった。

 でもそんな時間も惜しくて。


「少し恥ずかしいと思うけど、我慢してね。僕もそれなりに恥ずかしいからさ」


 僕は走り出す。ただし、姫を抱き抱えて。


「お姫様抱っこ……」

「姫⁉」


 姫は僕に抱えられたまま、腕の中で鼻血を流して昇天した。

 とりあえず止血しないと。……学校、間に合うかな?


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