一時間目の国語。
「きっと私と同じで、恋に生きていたからだと思います」
「僕には何も聞こえない」
二時間目の英語。
「アイラブユー。アイラブユー。アイラブユー」
「耳元で何を囁いてるのさ⁉」
三時間目の体育。
「緋色君がまた私をお姫様抱っこして……」
「先生、姫柊さんが体育で怪我を……今、鼻血を流して気絶しました」
四時間目の社会。
「その県にはこのような結婚式場が。そしてそちらの県にはこのような式場が――」
「姫、ストーップ‼」
***
今日はいつも以上に疲れた気がする。
ただでさえ、皆の――男子の視線が痛いのに。僕と姫の席は隣同士。
教室の真ん中最後列。右側が僕で左側が姫の席。
今まではトラブルなんて起きなかったのに、今日はトラブルの連続。姫の様子も明らかに違ったし。わかりやすく浮かれてた気がする。これも僕と付き合い始めたからなのかな。だとしたらものすごい浮かれようだけど。
だけど今、色々なトラブルを乗り越えて。時間は約束の昼休みを迎えていた。
僕らが今いるのは、普段一般生徒が入れないはずの屋上。ここなら誰の邪魔も入らないはずだ。姫と二人きりでゆっくりとお弁当を食べることができる。
「屋上なんて初めて来ました。春の風が気持ちいいですね」
「僕の数少ない特権かな。罰掃除で屋上に来たことがあったんだ」
ウチの学校の屋上へ通じるドア。それは暗証ロックだったりする。
僕がそれを開ける瞬間を見たのは一回だけ。その一回だけで全部覚えた。こういうのを覚えるのは、昔から少しだけ得意だったりする。
それにしても、ここまでの僕の死刑回数はざっと七回。相変わらず、嫉妬深いクラスメイトたちばかりで困るよ。僕としては、単純に恥ずかしいことばかりだったのに。でも今からは当分、その心配はどこにもない。だってここには僕ら以外、誰もいないんだから。
僕は姫が持ってきてくれたレジャーシートへ座り一息ついていた。
するとゆっくりと姫が僕の方へ近づいてくる。
それに対して思わず、周囲を確認してしまう。
ただでさえ、今日一日で何度も死刑にされたからね。
もう裁判で死刑判決を受けるのは勘弁だよ。
「ところで緋色君。お弁当の前に放課後の相談なんですが」
「放課後? 今日は別に補習とかはなかったはずだけど?」
「そうじゃなくて……いわゆる……デートのお誘いです‼」
「で、デート⁉」
突然のことに、僕は驚かずにいられなかった。
そうだよね。恋人同士なら、デートぐらいするよね。こんなことで驚いてばかりいたら、お付き合いなんてできないよ。しっかりしないと、僕。
それにしても、デートなんてどこに行けばいいんだろう? 僕は彼女が居たことなんてないし。姫も彼氏が居たなんて話、聞いたことがない。う~ん、どこへ行ったものやら。
「いきなりですが、私の両親と会食なんていかがですか?」
「姫の両親と⁉ それは流石にいきなり過ぎないかな?」
僕、テーブルマナーとか詳しくないのに。
姫の両親相手なら間違いなく、場所は高級レストランだよね。
一応、相手は社長さんなわけだし。
「……そうですか」
明らかに落ち込ませてしまった。姫は喜怒哀楽がはっきりしてる分、落ち込んだ姿を見ると正直不安になる。ここは僕が腹を括るしか――
「でも緋色君の気持ちが大事ですから。今回は我慢します」
僕が諦めて折れようとした寸前。僕よりも先に、姫の方が折れてくれた。それも『僕の気持ちが大事』と言って。そんなの、僕の方が姫に応えたくなるじゃないか。
「それならウチに来る? 対したおもてなしはできないけどさ?」
「緋色君のお家に行ってもいいんですか‼」
「う、うん。ウチ、今両親いないけど、それでも良ければ――」
「行きます‼ 絶対に緋色君のお家に行きます‼」
姫が興奮気味に声を上げる。そんなにウチに来たかったんだ。
それにしても、初めての彼女を自分の家に入れるなんて……。
ただそれだけのことに、妙に心がザワザワして落ち着かないよ。
姫だって、初めての彼氏の家で落ち着かな――
「緋色君。盗聴器は何個まで仕掛けてOKですか?」
「ハハハ。姫は本当に面白いことを言うね」
本当に怖いものを目の当たりにした時、人は簡単に目を逸らす。
だから僕は、『盗聴器』なんて単語全く聞いてない。
全て僕の聞き間違いだ。きっと『提灯をつけてもいい?』の聞き間違いだ。
「そんなことよりも、そろそろお昼にしようよ。僕もうお腹ペコペコで死んじゃいそうだよ」
シートの上に置かれた、やや大きめのお弁当箱。
あれ? 二人分用意してきたのかと思ったけど。
「姫の分のお弁当は?」
「お弁当ならありますよ。今、私の隣に」
「僕はお弁当じゃないんだけど……」
姫の口から聞こえた「じゅるり」という音。
どうやら姫は意外と、肉食系女子みたいだ。色々な意味で、食べられないように気をつけないと。
お弁当に手を伸ばして、姫が弁当の包みを広げていく。
蓋を開けると、可愛らしいウサギのキャラ弁が。
「い、一応、緋色君をモデルにして作りました」
恥ずかしそうに、僕からもお弁当からも顔を逸らす姫。本当に恥ずかしいらしく、声も少しだけ震えていた。
それにしても、ウサギか。言われてから僕は、自分の前髪に手を伸ばす。
白い髪に赤い髪。確かに外見はウサギに似てるかも。だけど。
「可愛すぎない? むしろ僕、姫の前ではウサギの皮を被った狼なんだけど」
「問題ありません。それに……緋色君なら、いつでもウェルカムですから」
「…………」
「…………」
姫の言葉に、お互い揃って顔を赤くした。
僕は当然。言った本人の姫でさえ、顔を赤くしていた。
もう‼ 恥ずかしがるぐらいなら、そんなこと言わないでよ‼
「た、食べてもいいかな?」
僕の問いかけに、姫がブンブンと首を縦に振る。
激しく振られた首はまるで、ヘッドバンドをしてるみたいだった。
それから姫に箸を渡されて、いざ実食。
そういえば、昔もこんなことがあった気がする。あれは小学生四年生ぐらいの時だったかな? 確か遠足の時、姫からお弁当を分けてもらったんだ。ウチの母さん、結局朝早くに起きれなくて。
「じゃあ、この卵焼きを貰おうかな」
「は、はい。今日のも自信作ですから」
自信作? もしかして卵焼きが得意料理なのかな? でもそれなら安心して食べられるよね。ウチの妹の茜作弁当みたいな悲劇にはならないはず。
僕は安心感を持って、卵焼きに箸を伸ばす。
そういえば、小学校の時に分けてもらったお弁当。結局姫は一度も、手を付けていなかったような。それどころか僕の記憶が正しければ、姫は別のお弁当を食べていた気がする。
「パクッ」
昔のことを思い出しながら、僕は卵焼きを口に入れた。
すると口いっぱいに広がる懐かしい味。
そうだ。思い出したぞ。小学校の時に食べたのも、こんな味だった。
だし巻き卵じゃなくて、甘めの卵焼き。仄かに香るのは、懐かしい地獄の香り。
地獄の香り?
「グハッ!」
「緋色君‼」
盛大に気絶しそうになる僕。
不安そうな顔をしている姫。
時に男には、嘘を吐いても仕方がない時があると思う。
例えば、好きな女の子の笑顔を見たい時とか。
「お弁当、美味しくありませんでしたか?」
「……そんなことないさ。とっても美味しいお弁当だよ」
たぶん今の僕は、ものすごく引き攣った顔をしてたと思う。
それでもどうにか、笑顔は絶やさないようにして。
姫の顔色を窺い……あれ? 少しだけ元気が無さそうな。
もしかして。
「姫、僕の体をお願いするよ」
「緋色君?」
僕は目を丸くする姫を置き去りに、残っていたお弁当の中身を全てお腹に掻き込む。
その度に見えてくるのは、地獄から迫りくる閻魔の魔の手。過去にもこんな体験をしたことがある。あの時は確か軽く臨死体験をして、懐かしい人たちに軽く手を振られた。
「ご、ごちそうさま」
致死量の毒を食べ終えて、僕は既に満身創痍。
けれど僕には、言わなければいかない言葉があった。それも僕の大好きな女の子に。
内心彼女を傷つけるかと。そう不安に思いながら、僕は正直な感想を口にした。
「……クソ不味かった。この世のものとは思えないほど」
僕はゆっくりと感想を述べる。普通、こんなこと好きな女の子相手に言えない。
僕だって、心の中はドキドキハラハラさ。だけどきっと、姫が求めてる答えは――
「今回は本当のことを答えてくれたんですね」
そっと気絶しそうな僕の体を支えてくれた。
まるであのお弁当を食べたら、こうなることをわかっていたみたいに。
「覚えてますか? 小学生の頃、緋色君にあげたお弁当のことを」
「覚えてるよ。あの時もすごく不味かったんだ」
「はい。私も家に帰って、お母さんにビックリされました。『本当にあんなお弁当を食べ切ってくれたの⁉』って。それで私が沢山失敗してたことを聞きました」
「あれ、お母さんと一緒に作ったやつだったんだね?」
なるほど。でもそれにしては、味の補填が何もされてなかった気が。
不味さにステータスが、全振りされてた気が――
「違いますよ。あの日のお弁当も。今日のお弁当も。全部、私一人が作りました」
フラフラする僕。そんな僕を強引に引っ張って、姫が優しく寝かせる。
頭の位置にあったのは、姫の柔らかい太ももの感触だった。
そして仰向けに寝転がった僕と、その顔を覗き込む姫の視線がちょうど交わる。
「緋色君にはいつも、私だけの愛情が籠った料理を食べて欲しかったですから」
それはすごい不意打ちだった。独占欲の塊にも似た言葉。
でも根幹にあるのはたぶん、僕に対する強い思いで。
「食べた後、すぐ気絶しそうになっちゃうのはあの時と同じですね」
そういえばあの日、僕は姫のお弁当になんて感想を言ったんだろう。
まずい。本当に意識が朦朧としてきた。このまま行くと、完全に気絶しそうだ。
僕の視界が真っ暗になり始めた頃。とても幸せそうな。ふんわりとした声が聞こえた。
「今日はちゃんと、本当のことを言ってくれてありがとうございます。今日もあの時も、残さずちゃんと食べてくれたのは嬉しかったですよ」