放課後の化学準備室。
僕にお説教をする担任の先生。
早々に脱走した仲間たち。
「先生、なんで僕だけ捕まえたんですか‼」
「私がお前を逃がすと思うか?」
一斉に逃げる計画を立てた僕ら。
そして作戦は無事成功した。
僕、一人を犠牲として。
「お前はウチの学校、始まって以来の問題児だからな」
僕の担任の先生――死音響先生は化学の先生だ。
だからいつも白衣を着ているし、いつも化学準備室にいる。
そして先生のデスクには――
「次に問題を起こしたら、私が作った怪しい薬を飲ませるからな」
「自分で怪しいとか言わないでくださいよ‼」
たくさんの薬が入ったピルケース。
それを見せつける先生は悪魔に見えた。
「安心しろ。たぶん、死んだりはしないから」
「たぶん⁉ ……すみません。僕、可愛い彼女を待たせていますから」
「な~に心配するな。お前の可愛い彼女なら今、図書室で私の特別課題プリントを解いてる頃だ。急ぐ必要はない」
鮮やかに僕の先手を取った先生。
とても僕の担任を初めて、一週間とは思えない手際の良さだ。
「それに別にこれ以上、お前に説教をするつもりはない。お前には別の頼みがあるんだ」
「僕に頼みごと? あの彼氏いない歴=年齢の悲しい死音先生がですか?」
「OK。今のは聞かなかったことにしてやる。だから大人しく私の頼みを聞け」
「どんな脅迫ですか‼」
「ちなみに逆らった場合は」
先生がフラスコの中の化学薬品に一滴、別の薬品を垂らす。
すると小さく、ボンッという爆発音がした。
「これよりも強力な疑似爆発を起こす薬品を、お前の体内に流すことになる」
「それ‼ 脅迫以前に教師として、生徒にやっちゃダメなことですよね‼」
「問題ない。死ななければ後で、どうとでも誤魔化せる」
「アンタ、本当に最低の教師だよ‼」
「誉め言葉として、受け取っておこう」
相変わらず、死音先生はビクともしない。
鉄仮面の如く、冷静沈着な表情を保っていた。
こうなったら、大人しく先生の頼みを聞いて帰るしかない。
なんて言っても、今日は姫との家デートが待ってるんだから‼
「それで先生、僕への頼みって――」
「待て、連絡だ。……どうやらついたらしい」
白衣のポケットからスマホを出して、何かを確認する先生。
すると机の方へ向き直り、背中越しに僕へ命令してきた。
「お前に頼みたいことは昇降口前だ。今すぐ迎えに行って来い」
「昇降口前?」
***
手早く先生の用件を済ませるため、仕方がなく素直に昇降口へ向かった僕。
すると部活がある生徒以外は、既に下校している時間のはずなのに、そこには大勢の生徒がいた。しかも中には僕を置き去りにした、同盟の仲間たちも居て。何かを取り囲むように集まっていた。
『……奏ちゃん‼ 僕とも握手を‼』
『しゃ、写真を一枚お願いします』
『私、新曲聞きました‼』
『この前のライブ、最高でした』
しかも集まっているのは、男子だけじゃなくて女子もいた。
一体何の騒ぎだろ? アイドルの撮影会でもしてるのかな。
僕はふと、前にテレビで見た撮影会のニュースを思い出した。
あのニュースでも、これぐらいの軽いパニックが起きてたはずだ。
それにしても先生、一体僕に誰を迎えに行くように言ったんだろう。
僕は当てもなく、昇降口前を一心不乱に歩き続ける。
すると、人だかりの中から声が聞こえた。
「ごめんなさい。アタシ、人を探してるの。誰でもいいから『一番バカ』な男子生徒を知らない?」
その声が聞こえた直後。
声の主以外の全員の視線が、昇降口前をウロウロしていた僕へ向いた。
「どういう意味なのさ、それは‼」
まだ一年生はわかるよ。
中には見覚えのない上級生の姿もあった。
僕、どれだけ学校中にバカとして知れ渡ってるの。
「あなたが柊緋色君?」
僕が周りの反応に腹を立てていると、生徒たちの間を通って女の子が声を掛けてきた。
ウチの学校の制服を着た女の子。見覚えがないから上級生かもしれない。
髪は金色で、青いリボンで結ばれたツインテール。
身長は僕よりも少し低いぐらい。
さらに瞳の色は青くて、スカートから覗く足はスラっとしてる。
胸は――
「女装をした男の子?」
「……アハハ。あなた、面白い冗談を言うのね」
つまり女の子ってこと?
だとしたら、胸の大きさが明らかに小さい気がする。
Aカップどころか、AAすらあり得そうだ。
「アタシの名前は死音奏。あなたと同じ一年生よ、よろしくね」
伸ばされた左手。これは握手しようってことなのかな?
僕は戸惑いながらも、手を差し出した。
するとギュッと力強く、握られる僕の手。
そこからは骨の軋む音が聞こえていた。
周りの人たちには、喧騒で掻き消されていたみたいだけど。
「後で殺すから」
僕が痛みに耐えていると、女の子が僕の耳元で小さく呟いた。
え? 今、僕のことを殺すって言わなかった?
そして女の子が、僕から離れた直後だった。
『総員武器を手にしろ‼』
「議長がなんでここに‼」
議長の指示に従い、一年A組モテない同盟の皆が上履きを構えた。
それを見た僕は慌てて、逃亡を図ることにする。
とりあえず化学準備室に逃げれば、追って来ないはず。
皆もワザワザ、怒られに戻るような真似はしたくないだろうし。
廊下を華麗にダッシュで逃げる僕。
隣を確認すれば、金色の髪が揺れていて。
「なんで君がいるのさ⁉」
「言ったでしょ。あなたを殺すって」
笑顔で殺す宣言をする、女の子が僕の隣を並走していた。
確か名前は死音奏さん。
死音? あれ? もしかして。
「君ってまさか、死音先生の関係――」
「妹ですけど何か?」
あの先生、言葉足らずにも程があるよ。
妹を迎えに行って欲しいなら、素直にそういえばいいのに。
それにしても妹……妹? 本当に妹なのかな?
それにしてはやっぱり、胸が小さすぎる気が――
「あなた今、アタシの胸を見ようとしたでしょ?」
「そ、そんなことないよ‼ 僕は人の性別を疑ったことなんて一度もないよ‼」
「あなたよく、嘘の吐けない性格だって言われない?」
「…………」
僕は死音さんから顔を逸らして素早く。
「加速!」
逃げるスピードを上げた。
僕の逃げ足は学校でも一、二を争う。
ついて来れる人間なんてなかなかいない。
「どうやら、体力はあるようね」
「なんでついて来られるのさ⁉」
「走りながら喋る余裕もアリ。まずまずね」
この子、アイドルだって言ってたよね。
確かに歌や踊りに体力は付きものだけど、ここまですごいものなの。
「じゃあ、これならどうかしら?」
走っている僕に対して、死音さんが拳を突き出して来る。
それもすごく重そうな拳を。
僕はすかさずそれを躱し、一瞬ふらつきながらも走り続けた。
「反射神経も悪くない。まあまあかしらね」
そう言って足を止める死音さん。
どうやら僕を始末するのは、無事諦めてくれたらしい。
それにしても、さっきまでのはどういう意味――
「あとは頭さえ鍛えれば、優秀なガードマンの完成ね」
気づいた時、僕は天井を見上げていた。
顔にはヒリヒリとした感触が残っていて。
鼻からはぬるっとした感触と、鉄の匂いが。
それで初めて理解した。
自分が壁に激突して、倒れていることに。
「というわけで、あなたはギリギリ合格よ」
倒れた僕を、死音さんが覗き込んでくる。
そこには、さっきまでの怒りの感情は一切見えない。
ただニヒルな笑みを浮かべる女の子が居るだけ。
僕、これから一体どうなっちゃうんだろう。