「……はっ!?」
がばっ! 意識の覚醒とともに、身体を起こす。
「こ、こは……?」
眠りからの目覚めではない。寝起きの俺なら、こんなにすぐ身体を起こすことなんてできやしないはずだ。
というか、そもそも俺にはついさっきまでのーーーー奈落の底に落ちていくような、あの何にも形容し難い感覚がまだ残っている。その前の記憶も、鮮明に。
「あんのアニヲタ女神め。マジでやりやがったな!?」
抵抗虚しく。いや、抵抗することすら叶わず、か。
粗雑な扱いをされたことに憤りに覚え、言葉を震わせながら。上半身だけを起こした状態で、辺りを見渡す。
視界目いっぱいに広がっていたのはーーーー草原。快晴の空の下、そよ風に草木が揺れていた。
言わずもがな、俺もその中にいる。手のひらでさするように地面に触れると、芝生のようにもふもふと心地いい感触に襲われて。思わず童心に帰って再び身体を寝かせてしまいそうだ。
……しかし、そうもいかない。
理由は単純明快。あの女神の言っていたことを信じるなら……ここ、即ち俺がこれから第二の人生を送るこの異世界には担保された安全性など、これっぽっちもありはしないからである。
異世界転生はランダムで行われる。まあそもそも生まれ直して赤ん坊からスタートじゃない時点でこれは転生でなく転移なのではーーーーという疑問は一旦置いておいてだな。
この世界がどんな世界なのか。俺は、まずそれを知るところから始めなければならない。
事態はごく一刻を争うと言ってもいい。例えばここがモンスターの蔓延る感じの物騒な世界で、たった今、この瞬間に何かに襲われてそのままーーーーなんて展開が起こる可能性も十二分にあるわけだからな。
「はぁ。ひとまず、動くべきだよな」
呟き、立ち上がる。
あの女神のことだ。俺の転生位置など全く考えておらず、とりあえず適当に放り込んだーーーーもしくはその位置すらもランダムだった、なんてことも考え得る。
兎にも角にも動かなければ始まらない。ひとまず、そこら辺を散策してみることにした。
そうだな。できることならこの世界の住人に会い、話を聞けたらそれがベストだ。
俺が始めに遭遇するのは人間か、モンスターか。はたまたそれ以外か。
俺に運が無ければ、下手すると一瞬にしてまたあの部屋に戻ることになってしまう。そしてその場合は俺の誇る男女平等パンチにて、あのアニヲタ女神に一発喰らわせてやるところだったのだが。
幸運にも。一瞬にしてーーーー事態は好転した。
「あの……」
「うぉうっ!?」
ちょんっ。
可愛らしい声と共に、肩をつつかれて。俺は情けなくも、その場でビクリと身体を震わせる。
「ひゃっ!? す、すみません、急に声をかけてしまって。びっくり、させちゃいましたか……?」
「っ……!!」
振り返ると、そこには。一人の少女が立っていた。
背は百七十センチある俺より一回り以上小さいため、おそらく百五十付近。華奢な身体つきながらもーーーーおっふ。
おっと失礼。おっふが出てしまいました。
だって仕方ないだろう? 俺も男なのだ。あの細身にあんな″双丘″を携えた姿を見せられてしまっては。自然と視線が引き寄せられ、おっふが漏れ出してしまうというもの。
加えて、彼女の魅力的な部分はそれだけではない。
(か、可愛い……)
さらさらの赤い長髪に、くりんくりんの目。その他形が非常に整っている顔のパーツたち。それら全てを″童顔″というパーフェクトスタイルに落とし込んでいる。
めちゃくちゃ、可愛い。
あのアニヲタ女神もムカつくことに容姿はとんでもない美貌を持ち合わせていたが、あれとは全くの別種だ。あれは「美しい」で、こちらは「可愛い」。
そして、敢えて言おう。ーーーー俺は可愛らしい子の方がタイプである、と。
ぜひともお近づきになりたい。どの道、この世界のことを教えてくれそうな住人を探していたところだ。
人の第一印象は三秒で決まると聞いたことがある。情けない声こそ聞かれてしまったが……彼女と出会ってからここまで、超速で思考を続けたことにより経過した時間は未だ一秒未満。
身だしなみを整える鏡が欲しいところではあるものの、もはやそれを用意している時間などない。ならせめて、態度だけでも毅然としていよう。
「い、いや。大丈夫。まあびっくりはしたけどな」
「うぉうっ!? って言ってましたもんね」
「茶化さないでくれ……」
「ふふっ、実はちょっとだけいたずら心もありました。改めて、ごめんなさい」
無邪気な子供のようでありながらも、しかしそれでいてどこか落ち着きのある、そんな微笑みを浮かべながら。彼女は両手を前で揃え、ぺこりと礼儀よく、まるで貴婦人のように頭を下げて。再び顔を上げると、もう一度俺と視線を交錯させる。
身長差の影響で、俺と目を合わせるために、彼女の姿勢は俺を見上げるような形になっている。ーーーー即ち、上目遣いである。既に彼女の可愛さはカンストの域へと達していた。
「初めまして。私はフィオ。歳は十七で、この先の小屋で一人暮らしをしています。初めてお見受けするお顔ですが……あなたは?」
「え? あ、ああ。初めまして。俺は綾瀬海斗って言います。二十二歳です」
「……アヤセカイトさん? 不思議なお名前ですね?」
そんな彼女と流れるように始まった自己紹介だったのだが。俺の名前を聞いた途端、彼女ーーーーフィオは、不思議そうに首を傾げる。
しまった。もしかしてこの世界、「名字」の文化が無いのだろうか。アヤセカイト、だなんて。もはやほぼアンモナイトだ。
これは、軌道修正しなければ。
「いや、あー……その、なんだ。アヤセの部分はあだ名的なあれというか。だから気にしないでくれ」
「じゃあ、カイトさんとお呼びすれば?」
「だな。それで頼む」
「分かりました」
いや、なんだよあだ名って。我ながら意味不明な弁解だな。
咄嗟に言い訳が思いつかなかった。まあ納得してくれたみたいだし、別にいいか。
「それにしても、このあたりで人に会ったのは随分と久しぶりな気がします。カイトさんはこんなところで何を?」
「え゛っ。何を、って……」
っと、これまたまずい。
何をしていたか、だと? 死後の世界でアニヲタ女神に異世界転生させられてこの世界に飛んできたばかりですーーーーなんて。口が裂けても言えないからな。何か別の、適当な言い訳を考えねば。
「……なにやらやましいことがありそうな反応ですね」
「やましいこと!? な、何もないですけど!?」
「でも、『え゛っ』て。明らかに驚いてたじゃないですか」
「そ、それは……」
しかし、そうやって俺が思考を回すよりも早く。フィオは一歩距離を詰めてきて、俺の心の奥底を読まんとばかりに瞳を覗き込んでくる。
駄目だ、可愛い。そんなに見つめられては思考が……っ。
咄嗟にしてしまった怪しい反応と、その後の思考停止による数秒の沈黙。
沈黙は肯定と同じだ。もう既に、俺は「やましいことがある」と自供したのと、差し支えない状況に陥っていた。
「風が心地いいながらも、全くと言っていいほど人気のない草原。そんなここで男の人が一人でこそこそ……と。ふむふむ」
ああ、事実を陳列されると本当によろしくない。このままじゃ俺、変質者か何かだと思われるんじゃ……。
せっかく、異世界に来てすぐにこんな可愛い子と知り合えたというのに。第一印象、最悪か。終わった。
通報される前に、もういっそのことこの場から全力逃走でも試みてみようか、なんて。俺はほろりと涙を流しそうになるのを我慢しながら、そこまで考えてしまっていたのだけれど。
じっ……と、フィオはしばらく俺を見つめ続けて。やがて、俺が動くよりも早く。言った。
「も、もしかしてですけど。私と、同じ目的ですか?」
「……え?」
「そ、そうですよね。そうとしか考えられないですよね!」
「え? えっ?」
「こんなところで一人、こっそりすることと言ったら一つ! まさか、私以外にもいただなんて!!」
あ、あれ。なんかこの子、一人で盛り上がってる?
同じ目的って、そんなわけがないのだが……。しかし、これは俺にとって幸いな勘違いかもしれない。
よし、好機だ。何が何だか分からないがとりあえずノッておこう。
「はは、はははっ。実はそうなんだよ。参ったな、俺以外にもいただなんて……」
「えへへ、いい場所ですもんねここ。あ、あの、もしよろしければ、一緒にどうですか……?」
「い、一緒に?」
「はいっ! せっかくのご縁ですから」
彼女がここに来た目的。俺はそれを知らない。
ただ、どうやら俺も一緒にできることらしい。周りが草原なことを考えると……野菜の採取、とかか?
まさか一緒になんて流れになるとは思っていなかったが。まあこの様子なら特段変なことでもないだろうしな。話を合わせるためにも、お言葉に甘えるとしようか。
「……分かった。フィオさえよければ、是非とも」
「本当ですか!? やったぁ!」
ぴょんっ、と。フィオの小さな身体が跳ねる。ーーーー大きな果実が、揺れる。
それを見て俺の心臓も跳ねた。さてはこの子、自身の持つ″破壊力″を自覚していないのだろうか。
まあ、何はともあれ。なんかなるようになってくれてよかった。ひとまずここでその目的? とやらを一緒に行って、この子と親睦を深めていくとしよう。この世界についてのこととかはその後、ゆっくりと聞いていけばいい。
「じゃあ……その。早速、シちゃいましょうか」
「お、おう。そうだな」
何を? とは聞けない。聞いてしまっては、俺が話を合わせているだけだとバレるからな。
「では、お先に失礼して♡」
「ああ。俺に遠慮せず、まずはフィオか……ら……?」
しかしそこで、ようやく。俺は俺の犯した″過ち″に気づかされることとなる。
「はぁっ……♡ ん……っ♡♡」
「………………は?」
ほんの一瞬。目を離した隙に。フィオはーーーーその場に、しゃがみ込んでいた。
甘い声が聞こえてきたのは、それからすぐのこと。
時間が止まる。
ーーーーもう、全てが遅かった。
「あっーーーー♡」
しゃぁぁぁっ、と。その場に、シャワーのような水音が響く。
「す、凄いです。いつもより、いっぱいっ……!」
「おい。おいおいおいおいっ!!」
俺はその音が耳に届いたその瞬間。反射的に全力で両耳を塞ぎ、フィオの″痴態″から身体ごと目を逸らす。
(目的って……まさかっ!?)
そのまさかだった。
フィオの脚の間からしてきたその水音は、間違いなく……。
(コイツ、変態だ!!!)
しかし今更それに気付いたところで、彼女が放にょーーーーん゛ん゛っ。既にその場でしゃがみ込んでしまわれてはもうどうしようもなくて。
俺はもう……いつ終わるかも分からないその音が途切れる、その瞬間まで。耳を塞ぎ、現実から目を逸らし続けることしか、できないのであった。