「……ど、どうぞ。粗茶です」
「…………どうも」
ことんっ。陶器のような、シンプルながらも少しおしゃれな容器に入れられたお茶が目の前に差し出されて。湯気を漂わせるそれに、そっと口をつける。
ずずずずずっ、と。しっかり舌を火傷しながらもお茶を啜る音が、屋内に響いた。
(き、気まずい……)
先ほどの衝撃的な展開からはや十数分。俺は今、彼女ーーーーフィオの家にいた。
ああ、気まずくなることなど分かっていたさ。
なにせ、あんなことがあったのだから。本当に俺はここにいていいのか、と。こうやってお茶をいただいている今も、現在進行形でそう思っている。
しかし、仕方ないだろう。ーーーーあんなことを言われてしまっては。
『……はふぅ。か、快尿でした。やっぱりお外ですると開放感が……って、あれ?』
『俺は何も見てない。何も聞いてない。考えるな考えるな考えるな……』
『あ、あれ。なんで目を瞑って、耳まで塞いで? ま、まさかっ!?』
『こんなに可愛い子が野ションするド変態なわけがない。そう、これは夢だ。あのアニヲタが俺に幻影魔法的なあれをかけてて……っ!』
『〜〜〜っ!? ド、ド変た……って、やっぱりカイトさん、私と同じ目的じゃなかっーーーーあぁうっ!?』
『い、いっそのこと逃げちまうか? いくら可愛いとはいえ、このレベルのド変態と一緒にいたら何をされるか! 純潔を奪われかねんぞっ!?』
『ま、待って! 待ってください!? もしここでカイトさんに逃げられて、ここに『ド変態の女の子がいて……』なんて言いふらされたら!? そ、そそそんなことになったらまずいです!! に、ににに逃しませんよっ!!?』
『ひひゃぁっ!? お、おまっ! 本性を現したな!? 離せッ! 離せド変態!!』
『わ、私はド変態なんかじゃ……な、ないですっ!』
『なんだよ今の間! 思い当たる節あるんじゃねえか!!』
『と、とにかく逃しません! 逃げるならお、襲われたって! カイトさんのこと通報して指名手配犯にしちゃいますよっ!?』
『!? おま、それは卑怯だろ!?』
『ふ、ふふっ。こうなったら使える手は全部使います! いいんですか!? ここで逃げたら犯罪者として一生追われ続ける人生確定ですよッ!?』
『ぐぬおわぁぁぁ……ッッ!!』
……とまあ、こんな感じで。
ついてきたというよりは、連れてこられたといった方が正しいだろうか。
見晴らしのいい草原からしばらく歩き、木々の生えた森の中を進んで。ここーーーーフィオの家へと、辿り着いたのだった。
ちなみに、家としては「一軒家」である。平屋ではあるものの外装はかなり綺麗で、何より一人暮らしだとスペースを持て余しそうな、「豪邸」に片足を突っ込んだ感じの大層な家だ。
それに、内装もしっかりと整理整頓がされていて、一言で言うと″オシャレ″である。家主がド変態なことだけが惜しい。
「あ、あの」
「なんだ?」
「さっきの……見なかったことにしてくれませんか?」
「無茶言うなよ」
「……そう、ですよね」
しゅん、と少し落ち込むようにしながら。フィオはテーブルを挟み、俺の向かいに座る。
そして一回、二回、と自分の分のお茶にふーふーして。それでも尚慎重に唇を近づけて啜ると、「あち゛ゅっ!?」と身体を跳ねさせた。舌がヒリヒリするらしく、涙目になっていた。可愛い。
「うぅ。あつあつじゃないですかこれ……」
「そんなこと俺に言われても」
「カイトさんは火傷しなかったんですか?」
「した。めちゃくちゃしたよ。舌痛いよ」
「してたんですか。ひょうひょうとしてたので、てっきりなんともないのかと……」
そりゃ、バレないようにしてたからな、と、心の中で呟く。
俺は猫舌なのだ。俺だけ舌を火傷して、もし同じのを飲んだフィオがなんともなかったら恥ずかしいだろう。まあ、どうやらその心配は無用だったらしいが。
って、そんなことはどうでもよくて。本当どうしよう、この状況。
よくよく考えればお茶に何かを盛られて、そのまま証人の隠滅と言わんばかりに消されていてもおかしくなかった。そんなことも考えず簡単に口をつけてしまった自分の無警戒さは後々反省するとして……。幸運にもそうならなかったということは、少なくとも彼女には俺をどうこうしようなんて思考は無いということでいいだろう。
しかし、かと言って。俺の脳内には未だ、彼女の流した水音が根強く残っている。その瞬間の……あの、″恍惚とした″表情も。
俺の中で彼女が″ド変態″だということに、もはや疑いは無い。それを前提とした上で。本当に、どうしようか。
「……カイトさん」
「?」
何から聞いたものか。そう、頭を悩ませていると。やがてそれを察したのか。俺よりも早く、フィオの方から。改めて、口を開く。
「ならせめて、説明をさせてもらえませんか?」
説明? と、聞き返すまでもなく。フィオは何やら真剣な表情で、言葉を続ける。
「私がお外で……その。お、おしっこしちゃうのには、理由があるんです」
「……ほう?」
「聞いて、くれますか……?」
「……」
少なくとも俺には、彼女が嘘をついているようには見えなかった。
正直、話は見えない。その理由とやらも、俺にはさっぱりで。
ただ……少なくとも。話くらいは聞いてもいいんじゃないかと。彼女の目を見ていると、不思議とそう思ったのだ。
だからーーーー
「分かった。聞かせてくれ」
「っ! ありがとうございます!!」
思えば、目の前で起こったことがあまりに衝撃的すぎるがあまり、決めつけるのが早くなっていたかもしれない。
そうだ。俺はまだ、この世界のことを何も知らない。この世界のことも、当然彼女のことも。まだ何も、知らないのだ。
なら、知っていく努力をすべきだろう。ここで話を聞くのも、そのうちの一つだ。
「あれは、数ヶ月前。お天気のいい昼下がりのことでしたーーーー」
そう、自分に言い聞かせて。
フィオの話に……耳を、傾けたのだった。