目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第4話 変態を超えしド変態の主張

「その日、私はこの家の中で粗相をしてしまいました。それはもう、盛大に」


「ちょっと待て」


「い、一度最後まで聞いてください! 横槍入れるの早くないですか!?」


「……すまん」


「おほんっ。それじゃあ続けますね」


 粗相。ーーーー不注意などから過ちを犯すこと。また、その過ちそのもの。軽率な振る舞い。


 この言葉には、そんな意味合いがある。


 そして、その他にも。


 フィオの話に耳を傾ける。そう決めたのにすぐに話に割り込んでしまったのは、粗相という言葉が持つ数多の意味合いのうちの一つが、とんでもないものだったから。それをたった今、フィオが口にした脈絡に脳内で当てはめてしまい、無意識に声が出ていたのである。


 しかし、諭されて。俺は程よい適度に冷めつつあるお茶に口をつけると、心を落ち着かせた。


 それと同時に、話は続く。


「脚を攣ったんです。でも伸ばすのは怖くて、必死にふくらはぎをさすりながら、痛みが治るまで床の上で悶えることしかできなかった。カイトさんも同じ経験、ありませんか?」


「……ある。あれは、成人済みの俺でも泣きそうになるほどの痛みだ」


「共感してもらえて嬉しいです。私は未だ、あれ以上の痛みを知りません」


 分かる。俺も同じだ。


 骨折などの大怪我を経験したことがある奴らは言う。「そんなもんじゃなかった」と。


 だが、そんな経験がない俺のような人間からすれば、脚を攣るというのは″人生最大の″痛みと言っていいレベルのものなのだ(ちなみに二位はインフルエンザの検査をする時に鼻に綿棒を突っ込まれるアレである)。


 不意な瞬間に訪れる筋肉の硬直と、それによる身の毛もよだつほどの前兆。逃れられないという恐怖。そこから断続的に続く、この世のものとは思えない痛み。


 攣っている部分を伸ばすなんてとんでもない。それをすれば治るという療法が確立されていたとしても、伸ばす一瞬に今以上の痛みが走るのだとしたらーーーーと考えると、実行に移せるはずもない。なので無論、俺もフィオと同じく、脚を攣った時はその部位をさすりながら必死に痛みを耐え凌ぐ人種である。


「そんなカイトさんなら分かってくれると思います。脚を攣って、激痛にしばらく耐えて。その直後、油断して……」


「っっ!?」


 ま、まさか。


「そう。脚に入れていた力を抜いて……立ちあがろうとしてしまったんです」


 やはり、か。


 それを聞かされて、俺も過去の自分が同じようなことをしてしまったことがある、と、過去の記憶を思い返した。


 マラソン用語で、「デッドポイント」と「セカンドウィンド」というものがある。これは、言わばそれに近い感覚だ。


 走り始めて、その走りに慣れるまでの最も苦しい区間がデッドポイント。だんだん慣れてきて楽に走れる区間がセカンドウィンド。


 足が攣った時の状況にこれらを当てはめると、攣り始め、痛みに苦しみながらなんとかその部位に力を込めたり、姿勢を変えたりで少しでも痛みを和らげられる手段を模索している時をデッドポイントとし、その後痛みが徐々に引き始め、楽になってきた時をセカンドウィンドといったところだろうか。


 セカンドウィンドに入り、そのまま痛みが完全に引いてゴールインできたならばよし。しかし中々、現実はそうはいかない。


 デッドポイントはーーーー二度、訪れることがある。


 とどのつまり、フィオは一度セカンドウィンドに入ったことで油断した。脚の筋肉に力を込めることでなんとか抑え込んでいたに過ぎない激痛の種を、一瞬の脱力によって再び発芽させてしまったのだ。


「私の脚には先ほどまでのものを上回る激痛が走りました。そしてそれによって……元々限界に近かった″ダム″が、決壊してしまったんです」


「……」


 全人男性の身に降りかかっても目元に涙を浮かべさせられるほどの激痛。それが、こんなに華奢な女の子の脚に降りかかった。


 ならば″そうなっても″仕方ないと思った。同じ痛みを経験したことがある、俺だからこそ。俺だって元々我慢している状態で同じ窮地に陥ったのなら、もしかしたら……とも。


「一度決壊するともう、止まりませんでした。素股も下着もワンピースも、床も。何もかもがびしょびしょになって。脚の激痛とお漏らしによる″何かを失った″感覚に同時に襲われたあの瞬間の衝撃は……頭がおかしくなりそうなほどのものでした。ーーーーいや、実際に私は、確かにあの瞬間からおかしくなったんだと思います」


 俺は先ほど、あの蛮行を目の当たりにして、こいつのことを「ド変態」だと言った。


 けれど、話を聞けばちゃんとバックボーンがあったのだ。……ん?


 いや、待て。確かにバックボーンはあった。あったのだけれど。


 この悲惨な話からーーーーどう、結びつくんだ?


 フィオはとある日に脚を攣り、強烈な痛みのあまり失禁してしまった。そのこと自体はまあ、理解できる。


 しかし、ではその話を聞いて、外でおしっこをするという話にも納得できるのかと言われれば……NOだ。


 聞き返さずには、いられなかった。


「えっと? つまりはどういうことだ……?」


「私は、おかしくなってしまったんです。その日から、その……身体が」


「???」


 身体が、おかしくなった?


(ま、まさかとは思うが……)


 刹那。俺の頭に、一つの仮説が浮上する。


 当然、そうだと決めつけたわけではない。早とちりでのそれはよくないと学んだばかりだからな。


 ……というか、″そうであってほしくない″。


 だってもし、これが当たっているのだとしたら。フィオは……


「どう、おかしくなったんだ?」


「……」


 ごくり、と。緊張のあまり、固唾を飲む。


 この最悪な仮説が当たっているのか、はたまた外れているのか。


 その答えは……頬を紅潮させたフィオの口から、ゆっくりと。語られたのだった。



「わ、私の身体は……ち、恥辱と痛みを欲しがってしまう身体に、変わってしまったんです……っ!!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?