俺たちが今いるここは、「スカーレット王国」と呼ばれる国の辺境。街は栄えているもののここからはおよそ半日ほど歩かなければ辿りつかないほど距離があるらしく、そのうえ街中は中々に″治安が悪い″のだという。
元いた世界と同じように通貨制度はある。が、栄えている街故に貧富の差は激しく、金を稼ぐ手段も悪い意味でかなり限られてしまっているんだそうな。
ちなみにフィオはというと、こんなに綺麗な一軒家を持っているからお金持ちなのかと思いきや、意外や意外、持ち金はほとんど無いらしい。この家はとある″恩人″から譲り受けたもので、基本的にその人からのお裾分けと、そこら辺に生えている野菜•果物で生活しているとかなんとか。
「ふふっ、このあたりは自然が豊富ですから。食べ物には困らないんです」
「へぇ。なるほどな……」
彼女は、その他にも俺の聞いたこと全てに素直に答えてくれた。それが親切心からなのか、はたまた一方的な忠誠心からなのかは分からないけれど。おかげでこの世界ーーーーいや、それは流石にスケールを盛りすぎか。あくまでこの国に限った予備知識ではおるが。それをかなり手に入れることができた。本当にありがたい。
(あの時、逃げ出さなくて正解だったな……)
目の前にこのド変態が現れ、放尿を開始したあの時。もし、一人であの場から駆け出してしまっていたら。十中八九、遭難していたことだろう。
仮に運良く街へと辿り着くことができたとしても、だ。治安の悪いそこに無一文で飛び込んでしまった後の末路というのは、きっと悲惨だったに違いない。
それもこれも、全てフィオのおかげだ。え? 転生先をあの草原にしたアニヲタ女神にも感謝したほうがいいんじゃないかって? ……嫌だね。
「ありがとな、フィオ。知りたいことは大体全部知れたよ」
「お役に立てたなら何よりです。お返しは罵倒か暴力でお願いします♡」
「はは、ははは……」
これが粋なジョークだったらよかったのに。
残念ながら、そうではないらしい。彼女の瞳の中には、その奇抜なお礼を俺から受け取った後の自分を妄想して勝手に発情し始めた証のハートマークが浮かび上がっていた。
「はぁっ……はぁうっ♡」
「おーい。戻ってこーい」
「…………はっ! す、すみません。つい妄想が捗ってしまって」
全く。相変わらずのドスケベピンク脳だ。
フィオは少しだけあたふたとして。疼きを鎮めるかの如く自分のお腹をニ、三度さすると、小さく深呼吸。息を整えた。
「ふぅっ。お、男の人の力って凄いんですね。お腹を殴られて、意識が飛んじゃいそうでした」
「さもそんな出来事が本当にあったかのように言うのはやめてもらえませんかね。風評被害だ」
「えへへ。まあ実現は追々ということで。……まさかこれが、巷に聞く『焦らしプレイ』というやつでしょうか?」
「焦らしてるんじゃなく完全に拒否してるんだが……」
「ふふっ、冗談です」
嘘つけ。絶対冗談なんかじゃなかったろ今の。
何が「追々」だ。生憎、俺にはそんなドS思考は無いからな。フィオのお腹を殴る日など永遠に来ない。……フラグじゃないぞ?
嘆息し、ハイペースな会話に乾いた喉を潤そうとして、湯呑みを手に取る。
しかしそこにはもう、お茶はこれっぽっちも残っていなかった。
自分で思っていた以上に、無意識で何度も口をつけていたのだろう。まあそもそもの話、このお茶めちゃくちゃ美味かったからな。素晴らしく俺好みの緑茶風味だった。
「? お茶、無くなっちゃいましたか?」
「みたいだ。我ながら飲みすぎだな、すまん」
「いいですよ。むしろ嬉しいです。それだけ気に入っていただけたんですよね?」
「ああ。今まで飲んだ中で一番かも」
俺の言葉に、微笑みが返ってくる。
よほど自分の淹れたお茶を気に入ってもらえたのが嬉しかったのか。フィオは立ち上がると、「すぐにおかわりを!」と。小走りでキッチンに駆けていった。
(ああいうところは、年相応で可愛いな……)
どれだけR18の思考をしていようと、やはりまだ彼女は齢十七の少女。仕草や細かい行動の節々から、所謂「幼さ」というやつが、時々漏れ出ているのを感じる。
あと、育ちの良さも。箱入り娘ほど根がむっつりに育つと聞いたことがあるが……もしそうなら、フィオは分かりやすく典型例だな。まああのレベルの奇行をする奴をむっつりで片付けていいのかは、甚だ疑問だけれど。
「あ、そうだ! カイト様ー!」
「んー?」
なんて、そんなことを考えていると。キッチンの方からフィオがひょこっと顔を出してきて、俺の名を呼ぶ。
「お茶もいいですけど、そろそろお腹空いてませんか? もしよろしければご飯でも!」
「ほう?」
ご飯……ご飯、か。
そういえば、少し空腹感があるかもしれない。
まあなにせ、この世界に来てから口にしたのはお茶だけだからな。
チラリと壁にある掛け時計に目をやると、針が指していたのは十二時。どうやら時間の概念や暦も元いた世界と同じと考えてよさそうで、それでいくと今は見事なお昼ご飯時ということになる。
(この世界のご飯……ね)
ちょうどつい先ほど、その話を聞いたところだ。
そして、興味も湧いていた。
「フィオがいいなら、お願いしてもいいか?」
「了解です! すぐ用意するので、カイト様は座っててください!」
「え、いや少しくらいは手伝うぞ? 俺実はこう見えてーーーー」
「ふふっ、カイト様はお客様ですから。どしんと構えていてください」
「そ、そうか?」
「はい! このお茶が飲み終わるまでには戻ってきますので!」
「……まあ、そこまで言うなら」
ことんっ。湯気の立つ湯呑みを俺の前に置いて、フィオは再びキッチンへと消えていく。
「…………はふぅ」
ずずずっ。今度はほどよい熱さになっていたそれを、少し強めに啜る。
やはり、美味い。