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第10話 濡れちゃいますね

「ふぅ。食った食った……」


「えへへ、結局全部食べちゃいましたね。流石は私のご主人様です」


 満腹になったお腹をさすり、多幸感に包まれながら。言う。


「ごちそうさまでした。めちゃくちゃ美味かったよ」


「ふふっ、お粗末さまでした。食後のデザートに私はいかがですか?」


「生憎だが、甘い物も既に足りてる」


「ちぇえっ」


 俺の言葉に、彼女の瑞々しい唇がつんっ、と尖った。


 にしても、絶品だったな。


 俺が元いた国ーーーー即ち日本は、世界水準で見てもかなり食べ物が美味しい方だったと思う。


 当然、野菜や果物も言わずもがな。そのほとんどが生で齧っても食べられるほど新鮮なものばかりで、ありがたいことに生まれてからずっとその味を享受させてもらってきた俺の舌はきっと、それなりに肥えていたはずだ。


 ……だというのに。あの簡易的な料理でまさかここまでの満足感を得られるだなんてな。


 それだけ、この辺りでできた野菜と果物の品質は相当高いということだろう。ああちなみに、それぞれの味はちゃんと見た目通りだった。玉ねぎのようなものからは玉ねぎの味、ザクロのようなものからはザクロの味、と。プラシーボ効果などではなく、本当に同じ……いや、美味しさで言えばもしかしたらそれ以上ですらあったかもしれない。


(これは……腕が鳴るな)


 ドクンッ、と胸が高鳴った。


 野菜と果物がこれだけ美味しかったのだ。まだ口にしていないが、きっと肉や魚も同等に美味いのだろう。


 そして今晩にはそれらを自由に使い、自由に料理をすることができる。全く楽しみで仕方ないな。


「私のことも(性的に)食べてくれていいのに……」


 と、料理人(とは言ってもバイト家での自炊くらいしかしていないが)の血が騒いでいる俺の視界の端で、カチャカチャと音を立てて食器をまとめながら、何やらド変態が呟いていたが。聞こえないフリをした。


 しかし発言こそ無視したものの、その行動まで無視するわけにはいかず。


「? カイト様は座っていてください?」


「そうはいくか。お茶を淹れてもらって、そのうえご飯まで食べさせてもらって。それで片付けまで任せるなんてできるかっての」


「でも、カイト様はお客様です」


「お客様が手伝っちゃいけないなんて決まりは無い」


「むっ……」


 フィオが言葉を詰まらせたところですかさず椅子を引き、立ち上がる。未だお腹は満腹で少し苦しいが、そんな中でも手先は素早く動いた。


 俺は基本的にキッチン担当だったが、飲食バイトというのは一箇所の担当ポジションをこなすのみではどうにもならないことが多々あるものだ。


 なので無論、ホール業にもかなりの経験がある。


「わわっ」


「ふん……遅いな」


 きっとあの店での動きを身体が覚えていたのだろうな。


 意識などしなくても、素早いバッシング(お客さんが食べ終わった食器を片付けたりテーブルを清掃したりすることで、その卓を次のお客さんを入れられるように綺麗にすること)はお手のもの。経験者にフィオが敵うことなど、あるはずもなく。


 その間およそ五秒。自分の使った取り皿•ナイフ•フォーク•湯呑みにテーブルの中心にあった大皿、そしてその先の一つにまとまっていたフィオの使った俺のと同じ一式まで全てを高速で手元に引き寄せると、一回で運べるよう重ね合わせて。


 カチャッ、と。お盆代わりに大きく広げた右の手のひらに、乗せたのだった。


「悪いが力ずくだ。意地でも手伝わせてもらうぞ」


「う、うぅっ。分かりましたよぉ……」


「よし」


 どうやら、ようやく観念したらしい。


 フィオはまた唇を尖らせながら、俺をキッチンへと案内した。


 カチャッ、カチャッ、と。ナイフとフォークがお皿の上で小刻みに揺れ、音を立てる。


 どこか懐かしい感覚に浸りつつシンクまで辿り着くと、ゆっくりと重ねた全てをそこに下ろした。


「へぇ。綺麗にしてるんだな」


「え? ま、まぁ。綺麗といいますか、汚くなるほど物が無いといいますか……」


 褒められ慣れていないのか、少し顔を赤くしながら謙遜しつつ。フィオは指先を弄る。


 確かに彼女の言った通り、物は少ないように感じる。


 収納は見た感じほとんど無く、置いてある物が全て見えてしまうような構造だというのに。ぐるりと見渡してみてもあるのはフライパン、まな板、卓上調味料が入っているのであろう小瓶がいくつかと、あとは油と洗剤、スポンジ、タオルくらいなもので。


 というか、フライパンとまな板に関してはついさっき使ったばかりなはずだが。既に洗浄も拭きあげまでも終わらせているようで。「ここが定位置」と主張するように、壁から吊るされていた。


 部屋の内装を見ても思ったが、やはり綺麗好きなのだろうか。根はド変態でもちゃんとこういうところは女の子なんだな。


「そう謙遜すんなって。実は俺もレイアウトはかなり拘るタイプでさ。その目から見てもこのキッチンはちゃんと綺麗だし、掃除も行き届いてる。誇っていいと思うぞ?」


「え、えへへ。そうですか? なんか濡れちゃいますね……」


「そこは照れろよ」



 濡れるって何がだよ、とは。言わないでおいた。

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