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第11話 私と

 キッチンに、水音が響く。


「す、凄い手際……」


「はは、数だけは嫌というほどこなしてきたからな」


 どうやらフィオはあくまで俺にも手伝ってもらうことを了承しただけで、完全に任せる気は無かったようなのだが。


 俺の手際を見て、どうやら水洗に関して自分が手伝う余地は無いと察したらしい。なのでせめて、と。隣でタオルを持ち、俺が次々に洗い終えていく食器類を頑張って拭きあげていた。


 そしてそんな共同作業を続けること、数分。


「これで終わり、っと」


 気づけば俺の手元からは洗い物が全て消えていて。フィオもまた、それから一幕置いてすぐに拭きあげを完了。晴れて、洗い物が終了したのだった。


「ほう、ついてきたか。やるなフィオ」


「ふふっ。ご主人様に使役されているものとして、当然ですっ」


「使役はしてないがな」


 ふざけて少し凄んでみたのだが。一瞬にして別方向からのカウンターを返されてしまった。


 これが俺と同じくふざけて言っているだけの言葉ならどれだけよかったことか。


 ……残念ながら、フィオは本気だ。本気で使役されたがっているし、なんなら既にされていると″思い込んでいる″可能性すらある。なんかそのうち本当に妄想と現実の区別もつかなくなりそうで心配だな。


「えへへ、カイト様はシャイですね」


「……」


 別に恥ずかしがって否定しているわけじゃないんだが、と口に出しそうになって、飲み込む。なんかもう口先の否定をしたところで意味が無い気がしたのだ。


 しかしそんな俺の心中など知らずに、フィオは「でも、夜はきっと狼さんに豹変して……へへ、へへへっ♡」と妄想を漏らしていた。どうしろというのか。


 ため息混じりに、彼女の手元にあるタオルとは別の、壁から垂れ下げてある手を拭く用のタオルに腕を伸ばし、水を拭きとる。


 手触りのいいコットン生地のそれで手のひらを包むと、あっという間に表面の水分が吸収されていった。


 と、フィオが妄想の世界から帰宅したのはそれからすぐのこと。「じゅるっ」と口元の涎を啜りながら妄想の余韻でほんのりと顔を赤くしつつも、俺に向けて口を開く。


「はっ……夜といえば! そうでした! 妄想に耽っている場合ではありません!!」


「?」


「夜に向けて準備をしておかないと! 食糧庫に食材を取りに行くのと……あとは寝床の準備も!」


「……寝床?」


 はっとした様子で言う彼女に、俺は首を傾げる。


 食糧庫に食材を、というのは分かる。俺が夜ご飯を担当するため、普段は使わない肉や魚を引っ張り出しにいかなければならないという意味だろう。


 だが、寝床とは?


 シーツや枕の洗濯……いや、それなら普通に「洗濯」とだけ言うはず。寝床の準備と言い表すのには少々違和感が残ってしまう。


「え? だって、必要ですよね?」


「……というと?」


 そう。察しのいい方ならもうお分かりだろう。


 俺は失念していたのだ。突然の異世界転生、突然の一人ぼっち、突然の変態登場、突然の拉致というハプニングの連続によって。″最も考えておかなければならないこと″が頭から抜け落ちていた。そしてその自覚すらも、無かった。


 だから「寝床」と聞いてもピンと来ない。だからこんな、鈍感系主人公みたいな聞き返しをしてしまう。なんともお恥ずかしい話だ。


 フィオは、言う。


「カイト様は外の国からやってきた旅人さんなんですよね? そのうえお金も持っていないとなると、泊まれる場所が無いんじゃ……」


「………………あぁっ!?」


 遅い。あまりに遅いが。


 その言葉を聞いてようやく、そのことを理解した。というより、させられた。


 突然の大声にフィオの小さな身体がビクッと震えたが。もはやそれに気付けるほど余裕はなく、俺は頭を抱えた。


(そうだよ! なんかご飯食べさせてもらったりなんかしてほのぼのしてたけど、このままだと俺一文無しどころか宿無しじゃねえか!? ど、どうすんだ!?)


 動揺が動揺を生み、脳内で連鎖していく。


 フィオは言っていた。ここはスカーレット王国という国の辺境だと。街までは歩きで半日はかかると。しかも、街の治安はかなり悪いと。


 なぜあの話を聞いた時、俺は宿の心配をしなかったのか。……いや、理由はきっと明白だ。


 俺は、″なんとかなった″と思い込んでしまっていたのだ。


 一人ぼっちのランダム異世界転生。すぐに即死してまたあの部屋に戻ってしまってもおかしくないほどに危険な暴挙をこの身に受けたのにも関わらず、この世界で幸運にもフィオと出会って。色々あって形的には脅されて連れてこられた感じだったが……それでも。情報とご飯を手に入れることができた。


 それなりに、上手くいっていた。ーーーーむしろいきすぎなくらいだった。


 そしてそれが俺に″安心感″を与え、思考を停止させてしまったのだと思う。


(街までは歩いて半日。今出れば日が沈むまでには辿り着けるか? いやでも、辿り着いたところで……というか、フィオに夜ご飯作る約束しちゃったしな……)


 そんなこんなで。俺は既に″詰んで″いた。


 今更考えてももう遅い。もうどうすることも……


(……ん?)


 もうどうすることもできない。そんな結論が頭の中によぎったその刹那。同時に、違和感が脳内を駆け巡る。


 その違和感の正体とは、言わずもがな。


「ちょっと待て。今、なんて言った?」


「え、えぇっ? えっと、ですから。カイト様には泊まれる場所が無いんじゃないかって……」


「それで?」


「ね、寝床を。準備しなければ……と」


「それって、つまり??」


「こ、ここに泊まっていただいたら、と。思いまして」


 俺の質問責めにたじたじになっていきながらも。彼女は答える。


 おそらく癖なのだろう。まるで照れ隠しをするかのように、大きな胸の前で指先が弄られていた。


「部屋は余っていますし。その……一人暮らしには飽きてしまっていて。まだ数時間ですけど、この家に誰かと一緒にいられるというのは凄く、楽しかったんです。な、なので。カイト様さえよければ、なんですけど」


 おそるおそる、といった感じで呟くように言う彼女を見て。自分の心臓の動きがどんどん速くなっていくのを感じる。


 もう今日一日だけで、信じられないような出来事はたくさん起こった。人生で誰もがたった一度しか体験できない、それでいて最も大きなイベントである″死″すら、今日だったというのに。


 それを告げられた時よりも、アリエルさんに異世界転生の存在を告げられた時よりも。


 なぜ俺の鼓動は、こんなにも……


「私と……ど、同棲……しませんかっ!?」


「〜〜〜ッ!!」


 こんなにも。



 ーーーー高鳴ってしまうのか。

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