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第32話 匂いの正体

「んっ……」


 眠い目を擦りながら、身体を起こす。


 被っていた布団を退け、ベッドから立ち上がって。


 部屋のカーテンを、開けた。


「うぉ。眩しっ」


 照りつける太陽は、的確に俺の目を焼いてきた。


 しかし目を覚ますには、これくらいの光がちょうどいい。


 本当は二度寝したい気持ちもあるが。そうもいかないからな。


「んん〜〜っ。アイツももう準備を終えてる頃かねぇ」


 ーーーーフィオと同棲を始めて、一週間が経過した。


 この一週間。それはそれはのほほんとしたスローライフを送れている。


 異世界転生させられた時の不安はどこへやら。気づけば、俺はすっかりこの日々に順応し始めていた。


「っと。トイレトイレーーーー」


「あっ……♡ んんっ♡ カイト様、もっと……っ♡ ……へっ?」


「……」


 うん。してるしてる順応。


 え、今のはなんだって?


 ……まあ、あれだ。ちょっとトイレの扉を開けたらド変態が甘い声を出しながら何やらゴソゴソとしていただけだ。気にするな。


 なにもアイツがお盛んなのは今に始まったことじゃない。毎晩毎晩、壁に耳をすませば……いや、これ以上はまずいか。忘れてくれ。


「お、おはようございます……カイト様」


「おはよう、フィオ」


 じゃぁあっ。ぎぃっ、ぱたんっ。


 そうこうしているうちに、フィオさんは急いでゴソゴソを終えたのか。はたまたやめたのか。やがて水洗の音と共に、赤い顔で少し息を切らしながら出てきた。


「じゃ、次は俺が失礼して」


 寝起きというのはそれなりに尿意が溜まっているものである。


 できれば早急に出してしまいたい。元々その気でここまで来てるわけだしな。


 だが、


「おい、離せよ」


「は、離しませんっ」


「はは、いいのか? この場で盛大にスプラッシュするぞ?」


「……ご一緒してもいいですか?」


「よくねえよ馬鹿」


 フィオの細い手が、がしっと俺の腕を掴んできて。離そうとしない。


 俺が我慢できる時間はおそらくそう長くはない。コイツと違ってお漏らしで興奮できるほど癖も歪んではいないし。一刻も早くトイレへと行かせてもらいたいのだが。


 こうしている間にも、尿意は上昇していく。


 そうだな。十をダム崩壊とするならば。今は七〜八といったところだろうか。割とヤバい。


「なんで邪魔するんだよ。なんか隠してるのか?」


「そ、そういうわけじゃない……ですけど」


「ならなんでだよ」


「っ……そ、それはっ……」


 どこか歯切れの悪い返事だ。


 何かを隠しているわけではないというのなら、何故こんなことをしているのか。


 まさか俺にもお漏らしを経験させて同じ癖にでも目覚めさせる気か? ……生憎と、普通の奴はお漏らししたところでそれが癖になどはならないし、フィオがそうなったのは元々ド変態の素質があったからに過ぎないと思うのだが。


「あっ! そ、そうです! せっかくの気持ちのいい朝ですから、お外でされてきてはいかがですか? 素晴らしい開放感ですよ!?」


「その開放感で気持ちよくなれるのはお前だけなんだよなぁ……」


「う゛っ。……あんっ♡」


 おっとしまった。ドMのツボを刺激してしまった。


「とにかくだ。たった今、尿意のレベルが八から九に上がった。悪いけど意地でも入らせてもらうぞ」


「っ!? ま、待ってください! せめてあと五……いや、十分待ってください! それくらいあればその……消えますからっ!!」


「消える? 何が?」


「〜〜っ!! 何が、って……!! あっ!!」


 生憎と、それ以上問答をしている余裕は俺には無かった。


 フィオの静止を振り切り、ドアノブに手をかける。


 彼女の手に籠る力は一層強まったものの、元より成人男性と未成人の女の子では力の差が歴然。その程度で止められるはずもなく。


 扉を、開く。


 そしてーーーー逡巡して、閉じた。


「…………」


 尿意が治ったわけではない。むしろ現在進行形で上がり続けているくらいだ。


 しかし、それでも尚。俺の身体は即座にその扉を閉じることを選んだのである。


 その理由は一重にーーーーフィオの行動の意味を、理解したから。隠していたものの正体をーーーー″鼻″で、感じ取ったから。


「そ、外でしてくる」


「あ、ありがとう……ございましゅ……」


 あまり具体的な言及は避けるが。


 一応言っておくと、日本で漢字ドリルが発売されている三文字のアレの匂いではない。


 ただ、彼女が普段纏っているいい匂いでも、かと言ってアレのような劇的に臭い匂いでもなく。


 ……そうだな。どう言えば上手く伝えられるだろうか。


「お気をつけて……」


「お、おぅ」


 ああ、これだな。


 あの匂いのちょうどいい言い方。それが浮かんだ決め手は、玄関で靴を履いている時にふと目に入った″それ″。


 朝の気怠げで脱力気味な己の身体で唯一、激しく主張している存在。


 コイツがこうなったのは、他でもないあの匂いのせいだ。


 なら、匂いを表す言葉もまた。コイツを使うのが相応しいだろう。


 と、いうわけで。


「じゃあ、行ってきます」


 あの匂い。あの……「むわぁっ」とでも効果音を付けられるような、とても普段の甘い匂いを振り撒いているフィオが発信源とは思えない匂い。


 それを言い表すなら、ズバリ。そう。


 ーーーー男の男を元気にさせる匂い。



 これであった。


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