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第34話 毎日

「へっ!? お、おまっ!?」


 差し出されたそれを前に。俺は動揺を全面に出しながら肩を震わせた。


 最後の仕上げなんて言って、一体何をするのかと思いきや。


 まさかこんな、分かりやすいラブコメみたいなイベントが始まるなんて……。


 ただでさえ、エプロン姿のフィオに朝ご飯を作ってもらっているこの状況だけでも色々と意識せずにはいられないってのに。


 ーーーー駄目だ、そんなの。


 そんな俺の心中の葛藤を前にして。それでもフィオは微笑みながら、言う。


「ふふっ、これなら舌を火傷する心配はありません。ちゃんと心を込めてふーふーしましたので、遠慮なく頂いちゃってください♡」


「え、遠慮なく……って。ふーふーまではともかく、あーんはする必要ないだろ!?」


「……口移しの方がよかったですか?」


「なんでそうなる!?」


「むぅ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですかあ。私とカイト様の仲でしょう? それとも……私のあーんは嫌、ですか?」


「っっ……!!」


 その質問はズルいと思う。


 だって、そんなことを聞かれてしまったら……


「嫌なら無理強いはしません。でも……ちょっとしょんぼりします」


「お前、ほんっと……!」


 きっとそのことは、フィオも承知の上なのだろう。


 だから平気でこんなことを言ってのける。


 そして結局……俺は、抗うことができないのだ。


「えへへ、ごめんなさい。カイト様が困ることを言っているのは分かってます。でも、せっかくの自信作ですから。私の手で食べさせてあげたくって」


 少し照れくさそうにしながらも。どうやらもう、フィオは一歩も引く気は無いようだった。


 ワガママだ。


 でも、俺はそのワガママを嫌だとは思えない。


 むしろ……嬉しく思ってしまうから。


「……そういうことなら仕方ない、な」


「ワガママを聞いてくださり、ありがとうございます♡」


 今溢れた「仕方ない」は、本当に仕方なくという意味では無く。


 きっと、自分を納得させるためというか。


 フィオのためだから仕方なく……と。そう言い訳して、この行為に対する喜び、それと恥ずかしさを少しでも減らしたくて無意識に出た言葉なのだと思う。


 我ながら、なんとチキンなのか。


「では、改めまして。あ〜んっ」


「……おぅ」


 ずいっ。


 スプーンが更に一段階、顔前で距離を詰めてくる。


 やっぱり、恥ずかしくて。彼女の目を見ることは到底できないけれど。


 その代わりに、目のピントをスプーンにのみ合わせることでなんとか偽りの平静を保ち、口を開く。


 女性経験どころか、まともな女友達もいなかったような人生だ。あーんなんてされたことは初めてで。それも、してくれたのがこんなに可愛い子で。


 動悸が止まらない。必死にピントをずらしたところで、目の前にいる女の子がこれまで出会ってきた誰よりも可愛いことに違いはないのだ。


 とにかくドキドキしっぱなしで。今にも心臓が飛び出そうで。


 しかし意を決し、結局は目を瞑ることになりながらも。あーんに応じた。


「…………んっ」


 スプーンに乗っかっていた少量のそれが俺の口内へと移り、嚥下される。


 刹那ーーーー


「ど、どうですか?」


「……んまい」


「ほんとですか!?」


「あ、ああ。めちゃくちゃ美味いぞ、これ……」


 口内に広がったのは、優しい風味。


 ふーふーにより温度は程良い感じに温かく、味噌の味付けや具材の舌触りなんかも。とにかく全てが優しい。


 味付けが薄いという意味じゃない。そうだな……家庭の味、とでもいうのだろうか。


 味付けも具材も、何もかも俺が実家で食べていた母親の物とは違うというのに。それでも、同じ味付けだと錯覚してしまうような。そして気づけば、動悸を掻き消してほっこりさせてしまうような。……そんな味だった。


「本当に美味いよ。この味噌汁なら毎日だって飲みたいくらいだ」


「〜〜〜っ!? か、カイト様!? それって!?」


「え? あっ……いや。違うぞ!? 他意は無い!! それくらい美味いってことで!!」


「そ、そそそうですよね。びっくりしました……」


 し、しまった。ドキドキが治って油断してた上にあまりに美味しすぎて、つい。変なことを口走ってしまった。


 しかし本当に、これなら毎日飲みたいと思えるほどに美味かったのだ。


 だから今のはあれだ。有名な告白文句などでは決してなく。決してなく!!


「でも、嬉しいです。まさかそこまで気に入っていただけるなんて」


「は、はは……」


「ではこのまま完成までちゃちゃっと作っちゃいますね! あとはお任せを!」


「そ、そうだな! じゃあ俺は箸とか色々準備しとくよ」


「お願いします〜!」


 顔の熱の冷めぬまま、食器棚から諸々の物を取り出して。一人、キッチンを離れる。


 今のは本当にただの誤爆だった。だから別に、本当の告白をしたりしたわけでもないというのに。


 いや、むしろだからこそと言うべきか。


「はずいな、マジで……」


 誤爆したことも、つい「もし否定しなかったら」と想像してしまったことも。とにかく恥ずかしすぎて。また顔中が熱で真っ赤に染め上げられていった。


 そして理由こそ違えど、俺の知らぬところでも……


「わ、私のお味噌汁を、毎日……え、えへへ。えへへへっ……」


 全く。こんな朝にするつもりじゃなかったんだけどな。


 平和で、のんびりとした日々だけれど。



 そう、全て上手くとはいかないな。やっぱり。

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