山脈と深い霧に囲まれた小さな村は霧隠れ村と呼ばれている。
村の中央にある広場には、この日、村の人々でごったがえしていた。
この日は毎年かならず開催される『霧祭り』の当日で、屋台がずらりと並び、鮮やかな屋根や暖簾が、料理やお菓子を守る。
地酒の屋台では、村の老若男女の賑やかな会話や笑い声が響き渡り、広場の中央では村人ならだれでも踊れる舞踊が太鼓のリズムとともに繰り広げられていた。
日が落ち始める頃、その騒然たる光景を広場の奥の石段から退屈そうに志郎は見下ろしていた。
石段は神社につながっており、『霊峰様』と呼ばれる神様を奉っている。志郎が見下ろしている光景は霊峰様を慰め、祈願するために行われている。
舞踊が終わると、広場の中央は学び舎の見知った生徒達が紙芝居の準備をはじめた。これも毎年恒例で、霊峰様の伝承について学び舎で学んだことを発表するのだ。
伝承の内容は、五百年前から村に伝わる話。
ーー血で血を洗う物騒な時代、霧隠れ村は山を越えて略奪のために攻めてくる鬼に困り果てていた。人も食べ物も全てを奪われて、その荒れ果てた村を憐れんだ山の頂上に住む霊峰様が、山脈の周りに晴れない霧を張った。その後村に鬼が山を越えて襲うことはなく、平和が続いている。
その紙芝居を志郎は去年広場の中心で注目を集めながら行ったばかりであった。
夜の帳がおり祭りの終焉を感じ始めると、新たに中央に用意された少し高さのある高台に気品漂う衣をまとった父親が上がる、騒々しかった村人達は時が止まったように静かになり、息を合わせるように父親に注目した。
「もう、霧祭りも終わりやね。明日からまた農作が始まるなんて考えたくないわ」
いつの間にか一段後ろに立っていたのは、同い年で十四の歳になる春子だった。
春子は百姓の子であるが、村で志郎を見かけるとなぜか親しげに話しかけてくる、めずらしいヤツだった。
「そうだな、明日からまた僕もお前も元の生活に戻るんだよな」
ここ一週間は霧祭りの準備で村中慌ただしく春子も志郎も大人に混じり準備を手伝わされていた。
「本当に嫌!こんな村大っ嫌い」
春子は顔をしかめながら言う。
「またその話かよ」
「何度だって言ってやるわ!自分の生き方を選べないこの村が大嫌いなの!百姓の子どもは百姓の家に嫁いで百姓の子どもを生むのよ。一生泥水かぶって生きて行かなきゃいけないなんて私不憫すぎよ!村頭の後継ぎには分からないでしょうけど!」
思っていたよりも激しい気持ちが跳ね返ってきたので、志郎は返す言葉が一瞬出遅れた。
「もう、諦めろよ。この村に生まれちゃったんだからさ、そんな不遜な事ばっか言っていると霊峰様に怒られるぞ」
確かに百姓の子供の気持ちなんて分からない。僕は村頭の後継になることが決まっているのだから。
「霊峰様ってきっといい人そうだけど実はいじわるなんだわ。五百年も私達を霧で閉じ込めているんだもの」
「いい人って、霊峰様は神様だぞ」
志郎の言葉は空を切り、春子はさっさと石段を駆け下りていった。百姓の朝は早いようだ。
春子が去ったあと、広場を見ると、とっくに父親の霧祭り終了の宣言は終わっており、すでに村人達は片づけにとりかかっていた。
「志郎、先に帰っていなさい。私は挨拶周りがあるから!」
その声の主は先ほどまで注目を一身に浴びていた村頭である父親だった。志郎はうなずいて長らく居座った石段を駆け下りた。
広場を出てすぐ、石畳の道が続き、その道を進むと、左右には古い木造の家々が連なり建っている、主に役人や、いい家柄の人たちが住む地区だ。
その先に進むと、村の中心部を少し離れた静かな丘の上に志郎の家がある。庭付き二階建ての志郎の家は格式の高さを見せつけるように堂々と建っている。
慣れた足取りで歩く帰り道、古びた身なりの雅ババが前をヨボヨボと杖をついて歩いた。雅ババが向かう方向は、元々の家柄がよくなかったり、働けなくなってしまった人がすむ第二地区と呼ばれるいわゆる貧民地区だ。
雅ババは村一番の長寿で、百歳近いのか越えているのかもう誰も分からない。
あまり外を出歩いているのは見たことがない。霧祭りの日だけは外にでるのだろうか。そう思いながら志郎はゆっくりと歩く雅ババを抜かした。その時、しわくちゃになった口元から言葉が聞こえた。
「村頭のご子息よ。決して逃げようと思うでないぞ」
逃げる?どこへ?何をいっているのか理解できず、いやボケ始めたであろうおばあさんの言っていることに理解しようとせず、志郎は振り返らず前も向いて歩いた。