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第7話 夢と狐

 学び舎がある日の午後は、一応早川先生から指示された宿題をする必要がある。


 宿題というのは、その日学び舎で学んだことを紙一枚にまとめるのだ。この村で紙は十分に普及しており、素材である楮は十分に栽培されており、紙漉き職人を代々受け継ぐ家の数も十分だった。ただ、手作りであることから数に限りがあるため無駄遣いすることは良しとはされていない。


 二階に上がり、自分の部屋で宿題にとりかかると、数十分もしないうちに、満足感で満たされた胃が動きだし、眠気に誘われた・・・・・・。




 暗く周りが黒い場所に志郎はいた。静けさが空間を包んでいる。自分の体のみがうっすらと僅かな光にあてられて確認することができた。


 光の入口は、遠くに小さく見える一点の光だった。その光の方へと歩みたくなる強い衝動に駆られる。志郎はゆっくりとその光の方向へ歩き始めた。


 静けさの中で、自分の呼吸と鼓動だけが一定の拍子を刻んでいる。何度か深呼吸をして、自分の存在を感じようとした。冷たく湿った空気が、胸を通り、体の中を流れていく。何も見えない闇の中での時間の流れは、ゆっくりとしており、それがいつまで続くのか分からない恐怖が胸につかえた。


(ここはどこだろう…)


 心の中でつぶやきながら、目を凝らして光の方向を探った。少しずつ、その光が大きくなり、流れてくる風を感じるようになった。


 光が強くなるにつれて、周りの景色が現れてきた。光の入口の先には、神社のような建物があった。霊峰様が祭られている神社とは違う、知らない場所。後ろにはひどく古びた真っ赤な鳥居があり、その後ろには何もない。


 前を見ると、石畳とその先に本殿がたっている。視界が悪く、この場所のそれ以上の情報が頭に入ってこない。なぜかこの場所は霧が濃い、村に住んでいて、これだけ濃い霧の中にいた経験は志郎にはなかった。


「よく来たな。志郎」


 突然どこからか志郎に向かって声が発せられた。突然のことに驚き、全身が震え始めた。


 声の発信源を探しながら、警戒心を持って周りを見渡した。


 最初からいたのか、霧で見えなかったのか、そこには石畳に座っている白銀に輝く毛並みをした狐がいた。その狐は黄色い目をしており、背には二つの尾がふさふさとついていた。


(狐?)


 目の前にいる狐の外見は、たまに山から村に降りてくる狐とはまるで違う。白銀の毛が神々しく思え、美しくも感じた。


 狐は頭を傾げてから、優しく微笑んだように思えた。


「私はこの神社に祀られる神である。志郎のことは以前から知っているよ」


 本当に発声元はこの狐なのだろうか。目の前で起きている非現実的な現象を志郎は信じることができなかった。


 会話をすることはできるのだろうか?おそるおそる志郎は口を開いた。


「どうして僕のことを知っているんですか?」


 狐は前足で石畳を軽くたたきながら答えた。


「人々の心の中の思いや願いを私は感じ取ることができるのだ。そして、時折、特別な者をこの場所に招く。志郎はその特別な者の一人だ」


 志郎は目を細めて考えた。


「なぜ、僕が特別なのでしょうか?」


 座ったままの狐は、尾をゆっくりと動かしながら語り始めた。


「志郎の心には他の村人にはない特別な迷いや悩みがある。それを解決する手助けをしたいと思ったからだ」


「僕に特別な悩みなんてありません。他の村人と比べて僕は恵まれています。村頭の跡継ぎとして労働をさせられることもなく、何不自由なく暮らせています」


「私に嘘をつく必要はないよ。志郎、私には分かるんだ。志郎が封じ込めている思いまでもだ。志郎自身分かっていないことが私には分かるんだ」


「そんな悩みなんて僕にはないよ……」


 しばらく狐と志郎の間に沈黙が流れた。志郎は本当に悩みなんて抱えていないと思っているし、目の前にいる狐のことをあまり信じていなかった。


「じゃあ、知っているなら僕の悩みをあなたが教えてください」


 志郎は少し苛立っていた。


「それはできない。志郎が悩みに気づけた時、現実の世界で私達は会えるだろう」


「ここは現実ではないのですか」


 間髪いれずに志郎は質問をした。周囲を漂う濃い霧は冷たく感じ、志郎の首筋にゾクゾクとした寒さを感じさせた。


「ここは夢の中だ。そしてもう目覚めの時間だ」


 狐は微笑みながら答えた。


 志郎はまだまだ聞かなきゃならないことがたくさんある気がしていた。ところが狐はその時間を与えず口を挟んだ。


「また、会おう」


 狐の放ったその言葉と同時に、志郎の視界にまばゆい光が広がっていった。


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