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第8話 真っ黒な心

 目が覚めると、志郎は机の上でうつ伏していた。頭上から差し込む光が、部屋を柔らかく照らしている。先ほどまで見ていた夢のことはまだ鮮明に覚えている。


「面白い夢だったな」


 志郎は寂しそうにつぶやいた。寝ぼけた頭で机の上を見ると、宿題のために用意した紙は真っ白なままだった。よだれで染みてしまっている部分もあった。


 何時間寝ていたのだろうか……まだ日が出ているようだが父親が帰ってくる前に終わらせておきたかったので、急いで頭を手を働かせた。夢のことなどすぐに忘れてしまった。


 日が暮れ、父親が帰ってきた後、父親、志郎、凜さん、仁さんの四人で囲炉裏を囲むように座り、夕食を共にしていた。


 仕事が終わるとさっさと家族の元に帰ってしまう仁さんが夕食の席にいるのは珍しい、なんでも同居している母親が最近口うるさくて帰るのが嫌なのだとか……仁さんの母親はもう結構な年なんだろうに元気だなと志郎は思った。


 普段は三人でとる夕食は静かなものであまり会話はない。この日は三人ではないのでいつもとは違った夕食の時間だった。会話の中心はやはり仁さんだった。


「ぼっちゃんは今日の学び舎どうでしたかね」


「いや、いつもと変わんないよ」


 そっけなく志郎は答えた。学び舎のことなんてどうでもよいし、それよりも目の前の夕食に集中したい。


「お友達とはなにかお話しましたかね」


 そんな志郎の心を他所に仁さんは口を閉じない。


「仁さん、あまり志郎さんにお友達の話はしないでちょうだい。竜太郎のせいで、志郎さんはなかなか大変なのよ」


 凛さんが口を挟んだ。志郎に友達と呼べるほど親しい人がいないことを察してくれたんだと思う。


 友達というには怪しいが、しいていうなら春子がいる、しかし百姓の家柄である春子の存在は、この家では口にしたことがなかった。


「志郎、将来のことを考えたら竜太郎とも仲良くしとけ。あそこの家は役人の中でもなかなかに厄介だからな、今のうちに親しくしておけばお前が村頭になったときに多少楽ができる」


 父親が口を開いた。


「うん、努力してみるよ」


 志郎は心にもない答えで志郎はお茶を濁そうとした。竜太郎と仲良くするなんて死んでもごめんだ。というか無理だ。あいつも自分と仲良くする気なんてないだろう。


「竜太郎だけじゃだめだ。お前はもっと人と話す努力をしなさい。勉学のみで得れる知識だけもっていても村頭は務まらん。それよりも村人一人ひとりと対話できる能力の方がずっと必要だ」


 父親が志郎にここまでいうのは珍しいことだった。父親は言葉を続けた。


「というのも今日役人の会議で言われてしまってな。村人からお前は内気だと思われているらしく、村の将来が心配だとな」


 志郎はすぐに言葉が出てこなかった。すぐに反す言葉を用意しなければ、より会話ができないと思われてしまう。それでも言葉が浮かばなかった。


 自分が人と話すことが苦手なのはずっと前から分かっていた。だから怒られないために必要以上に勉強し、知識を得てきた。それで跡継ぎとして最低限にはなっていると思っていた。それでも対話することを求められてしまった。絶望で自壊した脳みそでは、求められている言葉を口にするしかこの場をしのぐすべはなかった。


「努力します……」


 それ以上、父親が志郎に向けて言葉を発することはなかった。以降は仁さんが冷めきった場を温めなおそうと頑張っていた。


 志郎は情けなくなった。その場からできるだけ去りたかった。志郎は普段以上に早く目の前に並ぶ食事を終え、箸を置いた。


「ごちそうさまでした」と礼儀正しく言い、自分の部屋に戻ろうと立ち上がった。


「志郎さん、少し待って」


 凛さんは慌てて声をかけたが、志郎は返事をせず、二階に上がった。


 志郎が居間から去ったあと、仁さんがつぶやくように言った。


「決められた定めとは言え、村の未来を背負うのは大変なことだな 」


 父親もうなずき、しみじみとした表情で言った。


「そうだ。私の次は志郎が、村頭として重荷を背負わなければいけない。しかし、今の志郎では孤立してしまう。そして何百年と続いた村頭としての家柄を失ってしまうかもしれない」


 志郎はその会話を階段の陰から聞いていた。


 父親から話をされた時から動悸が止まらない。志郎は村頭の家柄でなくなることなんてどうでもよかった。能力以上のことを期待されたってできない。人との付き合いが苦手なんて自分でも恥ずかしいとは思う。


 いままで何度も友達を作る努力はしてきた。でも話が進むうち相手が全員阿保に感じてしまう。教室の隅でじっと本を読んでいる方がずっと自分には合っているのだ。


 それが正しいとは思わない。けれど努力ではどうしようもないことだってある。もう期待しないでほしい。心が真っ黒な霧に包まれているようだ。


 志郎は早く寝ることにした。


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