目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第11話 友達


「ぼっちゃん!何をぼーっとしているんですか?」


 仁さんの声に身体が一瞬だけ痙攣したようになった。この日は特にやることがないので、仁さんと一緒に庭の手入れをしていた。


 あの黒い渦に入り初めて狐に会ってから一週間が経っていた。あの日以降、志郎にとっても狐に会う事は何より楽しみなことになっていた。


「ごめんごめん、考え事してた」


 この頃の志郎は次に狐に会った時に何を話そうか、そればかり考えていた。


「ぼっちゃん最近何かお変わりがありましたかい?」


 どこかおかしく見えるのだろうか……仁さんの顔は真剣そのものだった。仁さんは志郎のことを長いこと見てきたのだ、些細な変化にも気づくのだろう。


「いや、心配してもらうことはなにもないよ」


「そうですかい?」


 仁さんは眉をひとつ上げて、志郎をじっと見つめた。


「今日の手伝いはこの辺でいい??これからちょっと行きたい場所があるんだ」


「ぼっちゃん、もしかして友達ができたんですかえ?」


「やっぱり仁さんは鋭いね!まぁそんなところかな」


 志郎は照れくさい笑顔を浮かべながら言った。


 仁さんは志郎の肩を軽く叩いた。


「それは良かった。ずっと心配していたんですよ」


 仁さんの声はにこやかだけれど、あまり笑っていない。少しだけ神妙な顔つきに見えた。


「もしかして、もう少し庭の手伝いが必要だった?」


「いえいえ、気にせず行ってきてくだせえ!」


 そう言う仁さんは普段と変わらない笑顔に見えた。


「ありがとう!それじゃぁ行ってくるね!」


 志郎は仁さんに向かって手を振って、庭を駆け足で出て行った。


 志郎の行き先は仁さんに言った通り初めてできた友達のところだ。その友達が人間ではなく狐なのは誰にも言えない秘密だ。


 丘を下り、正午前で人通りの少ない道を駆け抜ける。分かれ道に辿り着く。左の道への案内板は『狐』としか読み取れない。昔は他に何と書かれていたのだろうか。狐に会ったことのある人物が書いたのだろうか?以前には何とも思わなかったが、今の志郎にはこの案内板になんと書かれていたか興味が湧く。狐に聞いてみたことがあるが、知らないと言っていた。物知りな狐が知らないということはそれほどに昔に書かれたのだろう。


 狐に出会ってからは常に黒い渦は当たり前のように志郎の目に映る。あの黒い渦は他の人間には見えないことがわかった。学び舎の何人かの生徒に黒い渦を指差して何が見えるか聞いてみたが、何も見えていない様子だった。


 一つ志郎にとって気掛かりなのは雅ババの存在だ。最初に黒い渦が見えた時、雅ババに行くのをしゃがれた怒声で止められたのは記憶に新しい。


 雅ババには黒い渦が見えるのだろうか?なぜ黒い渦に入ってはいけないのだろうか?狐のことを知っているのだろうか?雅ババはあの時以降見ていないし第二地区のどこに住んでいるのか分からないので、聞きに行こうにも行けない。


 志郎は黒い渦を目指して分かれ道の左を選んで歩みを進めた。


 黒い渦の中に入るのにもう迷いはすでにない。目の前に広がる黒い渦のその先に向かって絶えず前進していた。


「志郎、また来てくれたんだね。待ってたよ」


「うん、君に会うのが最近の楽しみなんだ」


 初めてこのは狐と会ってから一週間が経つが毎日のように会いにきていた。もちろん、凛さんや父親の目を盗んで、学舎をサボるのはしょっちゅうのことで、真夜中にも家を抜け出し会いに来たこともある。


「今日はどんな話をしようか」


 白銀の毛に覆われた口元が微笑みながら尋ねた。


「君との話はいつも楽しいから、何でもいいよ。でも、実はあることを聞きたいんだ」


 狐は何百年も昔から生きているようで、志郎の知らない事を知っており、志郎が聞けばなんでも応えてくれる。


「何を聞きたいの?」


 狐が尋ねた。


「雅ババのことさ。前に黒い渦に近づこうとしたら、すごい怒声で止められたんだ。彼女はこの黒い渦や君のことを知ってるのかな?」


「もしかしたらあの老婆は私のことも、この神社のことも知っているのかもしれないねー。きっと村人がわたしに会うのを恐れているのさ。私は村の事をなんでも知っているからね。ずっと昔から隠していることを他の村人に知られたくないのさ」


「隠していること?」

 志郎の興味がそそられた。また志郎の知らない面白い話を聞かせてくれるのだろうそんな目を狐に向けていた。


 狐は深く息を吸い込んで、遠い目をした。


「この村では、こう教わるだろ?村を囲う山と霧の外にはすでに人間はいないと。鬼に滅ぼされたと・・・・・・」


 志郎は頷いた。突然狐の声色が変わった。その急な変化に緊張感が漂った。


「鬼など存在しないまやかしであり、この村で教わることは全てが嘘だ」


 狐の言葉に、志郎の目は大きく見開かれた。


「え?それはどういう・・・・・・」


 志郎は言葉を詰まらせながらも、狐を見つめた。


「この村の外にも人間は存在する。山を越えた先には人間がいるんだ。この村はその事実を何百年もの間隠し続けている・・・・・・すべてが嘘でみんな騙されているんだ・・・・・・」


 志郎は耳に入った言葉が信じられなかった。そして最近同じようなことを誰かから聞いた気がする。


ーーみんな騙されてるのよ!この村に残ってる歴史なんて全部嘘なんだわ


 そうだ、春子からだ。春子も村の外に人間がいると息巻いていた。


「流石に信じられないよ・・・・・・」


 春子から話を聞いたときと同じ感情になった。


「信じたくないと思うけど、これが事実なんだよ」


 狐の言葉を否定したかった。神秘的な狐のその深い眼差しには、誤魔化しのない真実が映っている気がした。


 志郎は少しの間、無言で考え込んでしまった。 


「もし仮に今の話が本当だとすればなんで村はそんな大事なことを隠すの?」


 志郎は怒りと困惑を混ぜた声で狐に問いかけた。


「霊峰のやつの仕業だ」


 狐の声には明らかな軽蔑が込められていた。


「霊峰様のこと?」


 霊峰様を呼び捨てで呼ぶ者に初めて出会った。


「霊峰のやつは自分への信仰を続けさせるために、邪魔な真実を何百年もかけて村から消してきたんだ。神と呼ばれる者は人々から忘れられると死んでしまう」


 志郎は聞き入りながら恐れていた。これから先に耳に入る言葉はきっと知ってはいけないことなんだろう。真実かどうかは関係ない。霧に隠れた村に住み続けるなら聞けば後悔するのであろう。そう頭で分かっていても、沸き出す好奇心が狐の口を閉ざすことを良しとしなかった。狐はさらに言葉を走らせる。


「山を超えた先に人間がいると分かると、村人の中には外に出たがる連中がわんさか現れるだろ?そうしたら霧を発生させている霊峰を疎み、いずれ信仰は徐々に無くなっていくだろう。それをやつは恐れているんだ。霊峰は自分のために村人を山と霧に閉じ込めているんだ・・・・・・」


 狐は深い息を吐いた。


 志郎は心の中で狐の話を整理しようとした。外の世界には人間がいて、鬼がいないということ。


 霊峰様の秘密、そして村人がその霊峰様によって閉鎖的な生活を強いられているということ。


 狐から聞いた話は真実とは思えない。いや思いたくない。ただ・・・・・・それは可能性の話として一生志郎の頭の中を巡り続けることだろう。


 それだけ目の前にいる神秘的で異質な見た目をした狐の言葉は信憑性の確かさを感じざる得なかった。


 本当だったら・・・・・・と思えてしまう。今まで学び舎で学んできた村の歴史は全て嘘だったと。そういうことになる。


「今日はもう帰るよ」


 志郎の目は混乱と失意を秘めていた。


 狐は志郎をじっと見つめてから微笑んだ。


「今日はいろいろ話しすぎてしまったね。混乱するのも無理はないよ。ごめんね」


 家に帰る頃には仁さんは既に自身の家に帰っていた。凛さんに今日何をしていたのか聞かれることはなかった。もしかしたら仁さんが上手く言ってくれたのかもしれない。夕食を共にした父親にも何も言われることはなかった。聞かれたとしても友達ができたと言えば良いと考えていた。だれを友だち役にするかが問題だったが、父親の耳には入っていないと分かり安心した。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?