空気が一変し、ひんやりとした空気に肌寒さを感じ、違う場所に移動したことは分かった。視界は狐の神社よりも深い霧に包まれており、ほとんど何も見えない。
目の先に青い輝きだけが光源であり、その光で祭壇があることが確認できた。
志郎は視界以外から今立っている場所を感じ取ろうとした。
足元は柔らかな草原が広がっているのだろうか?絨毯のように裸足の足を優しく包み込んでいる。甘く穏やかな香りが立ちのぼり、それが風に乗って鼻を通る。花の匂いだ。霧がないこの場所の光景はきっと良いものだろう。
そんな別世界に迷い込んだ気持ちになっていた志郎の身体に突然異変が起きた。ここ空気が薄い?徐々に呼吸が早くなるのを感じ、そして志郎は膝をついて倒れ込んでしまった。胸が痛い。息が苦しい。呼吸ができない。何が起きているのか考える余裕が志郎にはなかった。
それでも水晶玉を持って帰らなければならない。
進む事を諦めることはできなかった。水晶玉を持って帰れさえすれば自分は自由になれるのだ。
閉塞された村から逃げ出し、村頭になる必要も、必要以上に人と関わることもない世界に行けるのだ。身体に残された酸素を全部使って青く輝く光源である祭壇に向かって駆け出した。
祭壇に置かれた大きな玉は強い青い光を放っており、水晶玉と思われる大きな玉を震える両手で抱え込んだとき、もう志郎の意識は朦朧としていた。
「戻らないと・・・・・・」
もう歩くことはおろか、立ち上がる事もできない。それでも戻らなければ自分の人生は何も変わらない。重たい水晶玉を抱えて、志郎は這いずりながら少しずつ青い鳥居を目指して少しずつ進んだ。最後の力を何度も使い前に進んだ。もう視界は滲みきっていた。死を覚悟した時、世界が変わった事に気づいた。
「おかえり・・・・・・よく戻ってきたね。早くその水晶玉を渡してごらん・・・・・・」
狐の声だ。呼吸ができる。けれど、視界はまだおぼつかず酸素が足りていないのか頭は朦朧としたままだ。なんとか鳥居を越えて戻ってこられたようだ。
まだ滲んで見える狐へ、志郎は力の限りで抱えていた水晶玉を差し出した。
狐はすばやく2本の前足と顎で水晶玉を志郎の手からもぎ取ると、水晶玉をぎゅっと抱きしめ舐め回しはじめた。
「やっと、やっと、やっと、手に入れた。長かった・・・・・・これで霊峰のやつも終わりだ、ひひひ」
狐の様子が一変し、その声には何かしらの達成感と共に、不穏な響きが含まれていた。
志郎はその言葉の意味を理解しようと必死に考えようとしたが、まだ頭がうまく回らなくて、酸素がまだ頭に巡っていなくて、はっきりとした思考ができない。
「どうしたの?君、なんか様子がおかしいよ・・・・・・」
「そんなことないさ、私は嬉しいだけだよ、志郎の願いが叶ったと同時に私の願いも叶ったのだから」
狐の微笑みはいつもと違うとても邪悪なものに見えた。
「それはどういう意味?」
志郎の問いに狐は答えなかった。
「志郎、お前にもう用はないよ。村の外に行きたきゃ行きな」
狐の発した言葉と共に、志郎の視界は真っ暗になった。