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第17話 動悸

 気がつくと黒い渦があった山のふもとにうつ伏せで寝そべっていた。


 重たかった頭は元に戻っていた。そして黒い渦は存在を消していた。異変がそれだけでないことに志郎はすぐに気づいた。


「霧がない!!」


 五百年もの外界から村を切り離していた霧が、一度足りとも晴れたことがない霧が、綺麗さっぱり無くなっていた。


 すぐ気づくのは当たり前だ。産まれてから視界にずっとあった存在が無くなったのだ。青々とした空が本来こんなにも広かったことに驚いた。


 おそらく今頃村中大騒ぎであろう。志郎はなかなかその場から動き出すことが出来なかった。認めたくない罪悪感がぞわぞわと立ち昇ってくるのを感じていた。


「もしかして、僕のせい?」


 志郎は呟いた。冷えた汗が滲みでる。狐はこうなることを知っていて、僕にあの丘から水晶玉を盗ってこさせたのか?霧が晴れて無くなるなんて聞いてない。ただ、僕だけがこの村から逃げ出せるものだと思い込んでいた。正直あんまり結果がどうなるか深く考えていなかった。あの水晶玉は何なのだろうか?狐に自分はずっと騙されていたのだろうか?最後に見た狐の不敵な笑みと急変した態度を思い出した。


 志郎は自分の行いの結果だといまだに信じたくなかった。関係ないと思いたかった。騙されていたと思いたくなかった。できることならずっといつまでもここに立ちすくんでいたい。


 けれど焦りは志郎の身体を動かした。


 志郎は村の様子を見に行く事にした。中心部に近づくほど村人の声が聞こえてくる。


 思っていた通り、広場は大混乱に陥っていた。村頭が村人に落ち着くように大声を張り上げていた。皆恐怖心でいっぱいだった。子供もたくさん泣いていた。


「鬼が攻めてくる!!」

「武器になりそうなものをありったけかき集めろ!!」

「霊峰様お助けくださいー!!」

「霊峰様―――――!!!」


 村人の発狂に近い叫びに耳を塞ぎたくなった。感じずにはいられない罪悪感が胸を締め付ける。


 汗が滝のように流れ、息遣いが荒くなり立っていられないほど苦しくなった時、真反対の考えが生まれ始めた。本当に僕のせいなのか?もしかしたら自分の行いとは関係ないんじゃないか?罪悪感など元々感じる必要もないのではないか?思考が巡り始めた。


 なんにしてもここから離れなければならない。異常な汗と蒼白した顔の自分を父親に見られたら変に思われ、最悪問い詰められるかもしれない。

志郎は知りたかった。


 本当に自分の行いのせいなのか。狐とはなんなのか。


 早川先生に聞きに行くことを考えた。あの人は博識だし何か知っているかもしれない。上手く問いかけることができれば疑われることもないだろう。そう思ったと同時に学舎に向かって駆け出していた。


 教室に駆け込むと早川先生はこんな時でさえ変わらず呑気そうで、教壇で茶を飲んでいた。


「あれー、志郎君じゃないかー、心配してたんだよー龍太郎君と揉めてからどっか走ってる言っちゃったから」


 普段と変わらない、早川先生の口調は軽かった。龍太郎を殴ったことなど、遠い昔のことに感じる。村中の人が不安と恐怖で胸がいっぱいなのに、先生はいつも通りの様子だ。やはり不思議な人だ。


「龍太郎君のことで戻って来たのなら大丈夫だよ。血もすぐ止まったし元気そうだったから。ただ、後で大人に怒られちゃうのが大変かもだけれど」


 そんなこと今はどうでもよかった。


「先生!村が大変になっていることは知っていますか!?」


「あー、霧が晴れちゃったねー。まさか自分が生きてる時になるとは思わなかったよ」


 ここまで落ち着いていると逆に不気味に思える。


「霧はなんで晴れてしまったんでしょうか?」


 志郎の問いに早川先生は考えだした。そして少し間を置いてから口をい開いた。


「うーん、霧を作ったのが霊峰様であるならば、霊峰様の力が急激に弱まったとしか考えられ無いよね?例えば病気になってしまったり、あとは・・・・・・僕の想像なんだけど、『霊峰様の力の源』的な物があったとするならば、それを失ってしまったり・・・・・・とか?」


 学び舎の授業でも早川先生は霊峰様が死ぬ可能性があると言っていたのを思い出した。


 志郎がそれより気になったのは『霊峰様の力の源』を失った可能性・・・・・・それがあの大きな水晶玉だったとすれば、霊峰様が力を失い霧が晴れてしまうことに繋がるのではないか?早川先生の想像は限りなく事実に近い気がした。同時に鼓動が早くなるのを感じる。まだ聞きたいことがある。


「狐について知っていることはありますか?」


 先生は志郎の言葉に驚いたような反応をした。


「え?狐について!?えらく唐突だなー、あのたまに村に降りてくる闊歩している狐??食べたことないけど美味しいのかなー?野菜といっしょに煮たら美味しそうだけどねー」


 その料理を想像しているのか天を眺めながら早川先生は答えた。


「その普通の狐じゃなくて銀色の毛並みをした不思議な狐です!」


 自分が言葉足らずなのに早川先生が余りに呑気すぎて呆れを取り越して少しだけ怒っていた。


「え?そんな狐いるの?僕は聞いたことも見たこともないなー。志郎君は見たことがあるってこと?」


「いや、山の近くで見た気がしたんですけど、見間違いだったかも」


 逆に質問されるとは考えていなくてかなり焦った。


「あーそうなの」


 志郎の内心とは裏腹に唐突すぎる質問にさほど気にしていない様子だった。


「あ!でも!」


 志郎が教室を後にしようとした時、早川先生が大きな声を出した。


「なんですか!?」


「いや、山火事が起きた次の日に中央広場に集められた時、雅ババが騒ぎを起こしてたでしょ。その時なんか狐がなんとかって言っていた気がしてさ。狐ってなんのことだろって気になってたんだよね。もしかしたら志郎君が見た銀色の狐なのかな」


 それを聞いて志郎もその時の光景を思い出した。確かに雅ババは狐について話していた。志郎は雅ババに黒い渦に行こうとした所を止められた事があるし雅ババはあの狐について何か知っているに違いはなかった。早川先生は言葉を続けた。


「僕はこの村に残っている文献の知識しかないけど、残されなかった歴史も必ずあると思うんだ。長老の雅ババなら志郎君の知りたいことを教えてくれるかもしれないよ」


「雅ババがどこに住んでいるか知っていますか?」


 志郎は雅ババの家を知らなかった。

 早川先生は首を振る。


「雅ババの家を知ってる人はほとんどいないんじゃないかな。みんなあまり関わりたがらないかなねー」


 確かに、雅ババは他の村人が理解できないことをよく言う。それは村の伝承を否定するものだったり、避けるのも理解ができる。


「あっそれでも、志郎くんの家にいるお手伝いさんと雅ババが一緒に歩いているのを見たことがあるよ」


「それって、仁さんのこと?頭がツルツルなおじいちゃん??」


「そうそう!」


 早川先生が頷いた。


 志郎は仁さんと雅ババが一緒にいるところを見たことがなかった。仁さんから話を聞いたこともない。


 雅ババの家は仁さんが知っているかもしれない。期待を胸に、早川先生に礼を言って、志郎は家に戻ることにした。広場に仁さんの姿は見られなかったのでまだ家にいるはずであった。


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