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第18話 決意

 案の定、志郎が家に戻ると、仁さんはいつも通り庭の手入れをしていた。玄関脇から現れた志郎の顔を見ると慌てた様子で、志郎の両肩をしっかりと掴み、目を少し滲ませながら、志郎に問いかけた。


「ぼっちゃん!どこほっつき歩いてたんだい!旦那さんも、凛さんも、ワシも、心配していたんだい!!」


 本当に発声元が仁さんなのか信じられないほど、聞き馴染みのない怒声に驚き、頭が真っ白になった。ここまで仁さんに怒られたことは今までないことだった。


 志郎の驚いた顔を見て冷静さを取り戻したのか、一転普段通りの口調に戻った。


「龍太郎を殴ったのはすぐにワシ達の耳に入りました。それからなかなか帰ってこないもんですから、思い詰めて良からぬことを考えてりゃしないかと・・・・・・本当に心配致しました・・・・・・」


 仁さんの目から溢れた涙が目尻の皺を伝って落ちていく。仁さんの話だと龍太郎を殴った日から丸一日経過していたらしい。


「ごめんなさい。仁さん・・・・・・そんなに心配をかける気はなかったんだ」


「旦那様は志郎さんの行いに大変お怒りでしたが、霧が晴れてしまった今となってはそれどころではないようで、中央の広場で村人の対応をしております。凛さんも一緒に向かいました。私は志郎さんの帰りを待つためにこの家に残っておりました。志郎さん、どちらにいてらっしゃったのですか?」


「仁さん、ごめん。それは後にしてもいいかな?それよりも知っていたら雅ババの家を教えてほしい」


 仁さんは雅ババの名前を聞いて驚いた顔をした。


「それは知ってますとも、だって雅ババはワシの母親ですから」


「そんなこと、一度も聞いたことないよ」


 仁さんが高齢の親の介護をしているというのは知っていたが、その母親が雅ババだったなんて、そこまで近しい間柄だったとは想像もしていなかった。


「まぁ、あまり評判のいい母親ではないですから、あまり話さないようにしてたんですよ。こちらこそ黙っててすいやせん」


 そう言って仁さんは少しあたまを下げた。そして再び上げた顔は神妙な顔つきに変わっていた。その後慎重に言葉を選ぶように続けた。


「そうですか・・・・・・うちの母親に会いたいということは・・・・・・この状況は志郎さんが関わっているんですね・・・・・・」


仁さんの問いにたいして、志郎はゆっくりと頷いた。頷くと同時に視界が滲むのを感じた。仁さんも狐について雅ババから聞いて知っているのかもしれない。仁さんの反応で自分が少なくとも原因の一端を担っていることが分かってしまった。そしてそれを親しい人に知られてしまった。それが恐怖と後悔によって鼓動が激しくなる。


「分かりました。ついてきてください。ワシの家までお連れしますから」


 仁さんの後をついて歩き、聞いていた通り第二地区に向かっていた。丘に建つ家が遠く見えるようになっていた。仁さんは一言も発することはなく空気が重く感じた。普段より仁さんの足取りは早く、ついていくのに大変に思えるほどだった。田畑が密集する地域を抜け、ずっと整備のされていない道をまっすぐ進むと、人が住めるのか怪しく思えるほど古びた小さな家がずさんに並ばされていた。どの家も築年数がかなり経っているようで、木の板が所々曲がり、壁には苔が生えている。仁さんが立ち止まり、「あの家です」と指を指したのもその内の一軒の家だった。指を指された家は他よりも更に老朽化が進んでいるように見えたが、家の前に小さな庭があり、丁寧に手入れされた薬草や花が咲いていた。


 仁さんは躊躇することなく玄関の扉をたたき、ややきしむ音を立てて扉が開いた。


 中で待っていたのは雅ババだった。彼女の目には年季の入った知恵が宿っており、志郎に向けられたその視線は、なにもなも見透かされているような気分になった。


「お入りなさい」


 雅ババは二人を家の中に招き入れた。家の内部は外観に似合わず整然としており、古びた家具や壁に掛かる装飾品が、彼女の長い人生の証となっていた。彼女は志郎らに座るように促した。部屋は狭く、窓から差し込む光が唯一の明かり源だった。


「やはり、お前さんだったか・・・・・・」


 雅ババの声は落ち着いていて、志郎の心にじんわりと染み入ってきた。彼女は志郎の顔をじっと見つめ、深いため息をついた。


「わしはそろそろ狐が動き出す頃だと思っておった。そして、お前さんは狙われるだろうと思っていた。候補は何人かいたが、お前さんは特に危険じゃと思っとって、注視しようとしていんじゃが、わしもあまり動けん体で、お前さんを止めることができんかった・・・・・・」


 そう言いながら自身の腰をさすっていた。


「なぜ、僕が危険だと思ったんですか?」


 その場で生まれた疑問を問いた。

「わしは昔から、あの黒い渦も、そして、村に住む少年少女の心に渦巻く黒い靄が見えるのじゃ。最初は小さな靄も、ちょっとした出来事で、急激に大きくなり、少年少女の心を埋め尽くすほど大きな黒い霧となる。お前さんもにも一度忠告したはずじゃ」


 その時やっと霧祭りの日に、雅ババに言われた言葉を思い出した。


ーー逃げようと思うでない


 あの時は気にも留めなかった言葉に意味があったなんて・・・・・・雅ババは気づいていたのだ。志郎自身も気づいていなかった、心の内に秘められていた苦悩の靄が黒い霧となっていたことに・・・・・・そしていずれ自分では抑えきれないほど大きくなる可能性に。


「山に火をつけたのもお前さんかい?」

「いえ、僕は山火事とは関係ありません」

「そうか・・・・・・なら別の者の仕業か・・・・・・」


 雅ババは少し安堵したような表情を浮かべた。彼女の目は志郎の心の奥深くを見つめているようだった。


「信じてくれるんですか?」

「妾が何年生きていると思っているんだ?嘘を言っていないことなど目を見ればわかる」


 志郎は信じてくれることが嬉しかった。


「お前さんのような少年少女は周期的に現れる。その時を狐は待ちわびておるんじゃ。狐はそういう黒い霧を抱えた少年少女を引き寄せる。そして利用しようとするのだ。狐は最初からお前さんを完全に狙い定めたんじゃ」


 雅ババの説明に、志郎は自分の内面の変化と狐との関わりについて、深く納得した。彼は頭を抱えながら、苦しそうに言った。


「僕は正直まだ認めたくありません」


 雅ババは志郎の苦悩を静かに聞き、かすれてはいても穏やかな声で答えた。


「お前さんが狐にたぶらかされ、その結果、霧が晴れたのは事実じゃ。そしてそれが村にどんな影響を及ぼすのかはまだわからない。自身の過ちを認めることは辛いことじゃが、それでもまずは受け入れなければな」


「こんな事になるなんて想像していなかった!!ただ、自分はこの村から逃げだしたかっただけ!村頭になりたくなかっただけなのに。確かに霧が晴れれば逃げ出す事が可能かもしれない。けれど他の村人を巻き込むことになるなんて望んでいなかったんだ!!」


 そう口が回るなかで、志郎はもう分かりきっていた、全てが自分のせいだと。学び舎での早川先生の言葉が脳裏に浮かぶ。


ーーもし鬼が攻めてきたら、村人は全員死んじゃうんじゃないかなー


 あの時呑気に聞いていた事が自分のせいで実際に起きてしまうかもしれない。志郎は冷静で居られるわけがなかった。心の内を叫び終わった後志郎は頭を抱えながら項垂れた。


「お前さんは過ちを犯したが、それは全て狐の策略によるものじゃ。最初はお前さんもこの村から本気で逃げたいなんて思っていたかい?」


「いや、考えたこともなかったです」


「狐がお前さんの弱みにつけ込み、自身の思い通りにお前さんの心を支配したのじゃ。だから全部がお前さんが悪いとは思わん。お前さんは若すぎる・・・・・・どんなに勉強ができようが、狐とは生きている時間が違いすぎるのじゃ、たぶらかされたのも無理はない」


 雅ババの言葉に、志郎は心の底からの重たい息を吐き出した。

 雅ババは彼をじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。 


「お前さんはどうしたいのじゃ?まだ逃げたいかい?」


「今の僕には本当な自分が分からない。何をしたいのかも、どうするべきなのかも、本当に分からないんだよ」


 へたりこみ、下を向きながら力無く答える志郎に雅ババは重い腰をあげて近づいた。


「もし、村を囲う霧を元に戻せるとしたら、お前さんはどう思うかね」


 その言葉に驚き志郎が顔を上げる


「本当に元に戻せるんですか!?」

「きっと戻せる・・・・・・子供の犯した過ちは大体なんとかなるものじゃ」


 雅ババはやさしく微笑みながら志郎の頭をなでた。


「僕は何をすればいいですか?」


「お前さんが狐に渡してしまった霊峰様の水晶玉を取り戻すのだ」


「あの大きな水晶玉のこと?」


「そうじゃ、あの水晶玉はいわゆる霊峰様が霧を発生させる力の源なのじゃ、それを祭壇から失われたことで、霧が晴れてしまったのじゃ」


「でも、もう黒い渦は見えなくなってしまったし、狐に会いに行けないよ」


 雅ババはしばらく考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。


「それならば、霊峰様の従者様に会いにいくしかないのお」


「霊峰様の従者様?」


「霊峰様は村を守るために従者を連れておられる。霊峰様でなくとも、従者が力を貸してくれるであろう」


 霊峰様の従者なんて、伝承にもなっていない。志郎は初耳であった。


「もう一度、霊峰様の祭壇に向かいなされ、そこには霊峰様の従者が待っているはずじゃ」


「でも、どうやって・・・・・・」


 息が出来ず死ぬ思いをしたあの世界の記憶が蘇る、狐の神社に行けなくなった今、再度どうやって行けばいいか検討がつかなかった。


「お前さんは、狐の神社の鳥居を抜けて祭壇の場所にいったのだろう?それならば、霊峰様の神社の鳥居でも同様のことができると思わないかい?」


「行けるんでしょうか!?」


「ただの憶測じゃ、だがな、何事も誰かがやらねば出来るのか出来ないのか証明することができないのじゃ」


 なんだか、雅ババの言葉で沈みきっていた心に力が戻った気がする。


「やってみます。これは僕がなんとかしたいです。しなければならないと、僕は思う」


 責任感とかではない、村頭の後継だからなんて全く関係のない、これは自分のためにの決断だ。少しも格好のいいものではない、過ちを自分で払拭できなければ上を向いて歩けない。それが嫌なだけ。そんな事分かっている。でもそれでいい。


「ぼっちゃん、決断できたのなら、ついてきてください」


 それまで、雅ババと志郎の会話をただ見守っていた仁さんが口を開いた。


 志郎は仁さんの言葉に頷いた。


「雅ババ、本当にありがとう!とりあえず自分の出来ることをやってみるよ」


 雅ババはゆっくりと頷いた。


「昔からのことわざだが、『過ちの数だけ成長できる』というのがある。気張りたまえ少年」


 この言葉を志郎は胸に刻んだ。


 ここに来た時と同じように志郎は仁さんの後に続いて歩いた。


「一度、ぼっちゃんの家に戻ります。そこで渡したいとのがあるんです」


 家に着くと、志郎に庭で待つようにいい、庭の片隅にある古びた倉庫に入って行った。志郎は倉庫に入ったことがなかった。いつ崩れるか分からず危険だと父親に言われていたからだ。父親も入ったことないと言っていた。そんな倉庫から戻ってきた仁さんは一つの古い木箱を抱えていた。


「ぼっちゃんの祖父様、言い換えると旦那様のお父上の物です。ぼっちゃん、開けてみてください」


 箱を開けると、中には鞘に収まった古い刀が入っていた。柄にはボロボロの白い布が巻かれている。墨でなにか書かれていたようだが、とても読み取れる状態ではなかった。志郎は刀を手に取り、装飾がついた鞘からゆっくりと引き抜いてみると、ところどころが錆びている刀身が現れた。とてもじゃないが保存状態の良い刀ではない。


「仁さん、なんなのこれ??」


「私にも分かりやせん。ただ、ぼっちゃんの祖父様から申しつけられておりました。霧が晴れるような事が起きた時、きっと役に立つからそれまで保管しておけと・・・・・・補足すると私の保管方法が悪くてこんなに錆びてしまったわけではありやせんぞ。最初からこんなだったのです」


「これをどう使えばいいのだろう…?」


 錆びた刀身はあまりにも脆弱に見え、特別な力があるようには到底おもえなかった。


「とりあえず持って行くのが良いとワシはおもいますぞ。いつ役に立つかはワシにも分かりませんが、いくら錆びていてもこの村では貴重な刀。これからぼっちゃんは未知なる世界を体験するんですよ!もしかすると大昔にいた武士のようにぼっちゃんが刀を振るうときがあるやもしれませんから!」


「すぐ折れちゃいそうだけど・・・・・・」


 そう言いながら鞘に戻し腰帯に差し込んだ。志郎は少し心強さを感じながら、仁さんに感謝の意を示した。


「ありがとう、仁さん。霊峰様の従者様に会いに行ってくるよ」


 仁さんは志郎を見送るとき、志郎の背中に手を置き、深い感情を込めて言った。


「ぼっちゃん、何があっても自分を失わないでおくれ。困難はあるかもしれんが、ワシはぼっちゃんのことを信じておる。必ず戻ってきてくれませ」


 志郎は深く頷き、新たな決意を胸に霊峰様の神社へ向かった。


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