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第30話 憎悪

「なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ」


 心の中で唱える言葉は身体をより震わせる。


「ぼっちゃん、ぼっちゃん!!落ち着いて!私が飛び出しますから、坊ちゃんは霊峰神社へ避難してください」


 志郎の側に近寄り耳元で囁いたのは仁さんだった。年齢的に仁さんはここにいるはずではなかった。


「心配せんでください!旦那様のことは私に任せてください。助けますから!」


「何をいっているの!?仁さん、今飛び出したら父上と同じようになっちゃうよ!」


「なにも私だけで行くわけではありません、そうだろ・・・・・・皆の者!」


 仁さんの言葉に、塀の陰に隠れていた村人たちが顔を上げた。彼らの表情には恐怖が浮かんでいたが、仁さんの呼びかけに応じる勇気を見せた。


「そうだ、我々も一緒に行く・・・・・・」


 一人の男が呟いた、他の村人も次々と頷く。


「俺も行くぜ!」


 聞き馴染みのある声が混じっていた。龍太郎だった。


「龍太郎・・・・・・」


 殴ってからあまり時間が経っていないはずなのに随分久しぶりに顔を見た気がする。


「前にも言ったろ!おめえは村頭の後継なんだ!誰よりも優先しなきゃならねえのはてめえの命だろうが!それにな!後で直接俺の事殴ったのを謝罪して貰わねーとな!」


 彼の目尻に汚れた手で拭い取った跡があるのに志郎は気付いていた。


 仁さん、龍太郎達は自分たちの村を守るために、恐怖を押し込めて前に進む決意を見せた。最も無謀だと言える行動しか塀に隠れている自分達には残されていなかった。みんな怖いのだ。それでも戦う勇気を振り絞っているんだ。


「ぼっちゃん、ワシらを信じて避難してください!」


 そう言う仁さんは何故か笑っていた。虚しく見えるほどに笑顔だった。


「仁さん・・・・・・それは違うよ。僕が戦うよ。僕にはみんなよりも前に出て戦わなければならない理由があるから・・・・・・」


 志郎は自分が情けなかった。本当は誰よりも前に出て戦わなければならない理由があるのに、怖気ついていて、皆はそんな自分の命を守ろうとしてくれた。


 みんなはそれを知らない。本来誰もこんなにも恐怖を感じる必要すらなかったはずなんだ。


 皆の視線が集まるなか、静かに志郎は立ち上がった。


「ぼっちゃん、おやめください!早くお座りください!!」


 仁さんが珍しく怒っている。


「本当にごめんなさい・・・・・・みんなを巻き込んで、でも、僕がなんとかしてみせるから・・・・・・」


 志郎はゆっくりとした足取りで塀の外に出た。


「一人また出てきたぞ!!火薬の準備をしろ!!撃ち殺せ!!」


 向こうから聞こえる声など、今の志郎には届かない。隣の血を大量に流して倒れている父親を眺めるようにして見た。まだ息はある。まだ間に合うと信じたい。


 志郎は大きく息を吸った。周りの空気を感じるように全身に巡る神経を研ぎ澄ませる。周囲の木々がざわめき始める音が聞こえる。短く溜めた息を吐くと同時に、志郎は勢いよく走り出した。


 その速度は人間とは思えないものだった。自分でもびっくりするくらいの。一瞬の内に、武士の先頭に立つ頭と思える武士の懐に入り込んだ。爆発音が何回もなったが、その着弾地点は志郎のずっと後ろだった。


 武士が驚く顔を作るのも待たずに志郎は鞘から引き抜いた刀で武士の首筋を突いた。武士の首筋から血が吹き出す。確実に致命傷だ。志郎は初めて人を殺した。


 その時、父親の言葉が頭をよぎる。


 ―命の責任は何を持ってしても取れない・・・・・・

この武士にも外の世界に家族が帰りを待っているかも知れない。それでも、もっと大切な命達が自分を度肝を抜かれたような顔をして塀から顔を出して志郎を見ている。


 突然の出来事に驚いているのは仁さん達だけではない、それ以上に武士達は動揺を隠さなかった。だが、それでも簡単に撤退を選択するものではないらしい。


 ジリジリと火をつけた音がなり、近くの武士達は帯刀していた刀を抜き志郎を取り囲む。


 次々と志郎に襲いかかる刃を避け、肌が剥き出しになった首筋を突くのを続けた。


 何人もの武士が志郎によって倒された。狐振夢想流なんて関係ない。無我夢中の志郎流だ。ただ目の前の敵を倒すことだけで、勝手に動く身体に従っているだけだった。


 志郎は自分の身体がどうなっているのかもうわからない。


 兎にも角にも感覚が敏感になり、頭で考えるよりも早く反射的に身体が動く。罪悪感すら置いてきぼりにする今の状態は都合が良かった。今は何も感じない。


「うおーー!!志郎様につづけー!!」


 志郎の武士を圧倒的する姿に勇気付けられたのか塀の中の男達が一斉に飛び出してきた。先頭を走るのは仁さんだ。


「この村から出ていけー!ここは俺たちの村だ!」


 龍太郎が必死の形相でこちらに武士達に向かっている姿が目に映った。


 ジリジリと火薬に火をつける音が一切になり始めた。初め志郎は自分に向けられるものかと思っていた。・・・・・・思いたかった。だが武士が向けるヒナワの先は志郎ではなかった!


「やめろ!!」


 志郎は叫んだ。その言葉は一瞬にして掻き消された。


 何重にも重なる爆発音が一斉に鳴り響いた。


「あー、あー、あー、」


 嗚咽が混じった声が勝手に出る。見たくなかった・・・・・・無惨な光景が広がっていく。


 立ち上がる村人は誰もいなかった。悲痛の声が鳴り響き、同じような格好で地を這う。


 仁さんも龍太郎もあの中に倒れているのだろう。


 肉片が真っ赤な血と共に飛び散った光景は志郎の正気を奪った。


 一番望んでいなかった結果だ。誰一人として死者を出さない事が目的だったはず。


 けれども結局どうだ?仁さんも、父親も、龍太郎も、他の村人も、みんな死んでしまう。自分が狐にたぶらかされたばかりに、多くの人が死んで、自分は生きている。真っ白になった頭に後ろから武士達の笑い声が入り込んでくる。奴らは勝鬨を上げ大いに盛り上がっている。


 奴らは目の前の光景を目にして喜んでいる。信じられない奴らだ。黒い煙を吐き出し空っぽになっていた心が真っ赤な怒りの炎で満ち溢れた。


「鬼だ!お前らは人間の姿をしただけの邪悪な鬼だ!!」


 志郎の怒りの叫びは奴らに届いているかもわからない。奴らの中ではもう戦いは終わっているらしい。


「お前らは鬼だ!だから・・・・・・みんなのためにも・・・・・・」


 志郎はそう呟きながらゆっくりと一歩目を踏み出した。二歩、三歩、四歩目を踏み出す時には武士を3人殺していた。


 志郎の存在と、仲間が殺された事が波のように伝わり、最後の祭りのような余裕の表情で奴らは全員で見下ろしてきた。


「もう終わった気になってしまっていた。忘れていたよ、坊主を殺したらあの高いところにいる女子供も殺さないかん」


 武士の一人が笑いながら言った。それに釣られて周りの仲間達も汚い笑い声を響き渡らす。


 志郎の燃えさかった心の焔はより強さを増す。もうこの時志郎は自分の身体を自分で動かしている感覚がなかった。


 まずはよく喋る武士の足元まで飛び、喉仏から斜め上に向けて刀を突き刺す。その武士は気色の悪い笑みを浮かべながら喉仏に突き刺された刀を志郎の腕を掴み両手で固定した。その武士の後ろから焦ったように現れた武士が槍を志郎に突き刺した。


 槍が志郎の身体を突き抜ける瞬間、彼の中で何かが砕けたような感覚があった。しかし、不思議と痛みはほとんど感じられなかった。


 志郎は力一杯武士に突き刺さった自分の刀を引き抜こうと必死になった。聞いたこともないちぎれる音と共に武士の両腕ごと引き抜くことができた。もうどっちが鬼なのか分からない。


 自分に刺さった槍を引き抜き、その槍も使って、まるで無敵のように武士たちに向かっていった。志郎の動きは速く、力強い。一撃一撃が武士たちを地に倒し、彼らは彼の前に立ちはだかることができなかった。


 周囲の武士たちは恐怖に感じながら、志郎を倒すために必死に襲いかかる。しかし、彼らの剣や槍は志郎の身体を傷つけてはいるも志郎が倒れることはなかった。


 志郎の中にはもはや恐れるものはなかった。彼はただ前へと進み続け、敵を倒し続けた。その表情には怒りも悲しみもなく、ただ無機質な冷徹さが漂っていた。


 だが、そんな無敵とも思われた時間はすぐに終わった。


 縄が燃える音がなって気づいた。無数の武士達が自分にヒナワの先を向けている。


 一発の爆発音とともに左肩に穴が開く。二発目は右腹に穴が空いた。三発目は右の太腿。四発目の爆発音が鳴った時、脳に響く鈍い音と共に、視界が真っ赤に染まった。そして、志郎は仰向けに倒れた。


 右目でうっすらと見える晴天の空は周囲の惨状と対照的で、爽やかな青さだった。


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