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第35話 伝承

「うお、びっくりした!霊峰様!お目覚めなっていたんですか?」


 早川先生は飛び跳ねるように驚く。志郎はそんな早川先生の反応に驚いて心臓の音も早まった。


「ちょっと前から起きてましたよ。早川が気持ちよく語っているので黙って聞いていたのです」


「霊峰様、お久しぶりです。普段からなんども呼びかけていているのに、無視しないでくださいよ」


 空気をぶち壊すような早川先生の口調に、緊迫していた空気が和らいだ。早川先生が巨大な身体を動かすたびにそのたびに周りの花々が揺れ動く。


「早川、あなたはいつもそうやって場の雰囲気を壊すのね。でもそれもまた、あなたらしいわ。ごめんなさいね。最近よく勝手に眠ってしまうの」


 霊峰様は軽く笑いながら言った。その声には暖かさを感じる。


「初めまして、霊峰様。僕は志郎といいます。お会いできて嬉しいです」


 そういう僕の顔はちょっと引き攣っていたと思う。目の前の傷わしい姿の霊峰様の声は、心で聞こえるけれども、髪の間から見える彼女の口元は少しも動かず。口元に全くの潤いがない。


「私の姿、村で伝えられてきた姿でも、おそらくあなたの期待していた姿とも異なるからさぞ驚いたでしょ。でもね、あなた方が信仰してきた霊峰の真の姿なの。この姿があって、私は山の命を守れている」


 霊峰様の言葉になんともいえない感情になる。ここまでする理由が分からない。その理由が知りたくなった。


「あなたはなぜ、そんな自身を犠牲にしてまで霊峰様でいられるんですか!?」


 霊峰様は心の声で志郎の問いに答えた。


「私も早川と同じ・・・・・・私が選んだ役目であり、私が選んだ生き方だから・・・・・・」


 霊峰様はそのあと少しだけ間をおき話を続けた。


「伝承にしなかった話であるんだけどね、私もね、霊峰になる前は君と同じように自分の生き方に悩んでいたの。あなたのように多くの人の生活を支えるような大層な役目でなかったけど、私は与えられた生き方に納得が言ってなかった。そんな時、外の世界の武士が村を蹂躙してたくさん死んでしまった。家族も失って残されたわたしは死のうと思ったんだけど、山がわたしに新たな役目をくれたの。それが霊峰という生き方・・・・・・私は死ぬことをやめて、霊峰になることを選んだ」


 霊峰様が答えてくれた内容に志郎は自分を重ねた。自分はもう村頭になる資格もなる気もない、霊峰様と同じように自分で生き方を選ばなければならない。


「人が選ぶ道も役目も人それぞれ。あなたは早川でもなければ私でもない。あなたはあなたの選んだ人生を全うするだけ」


 そう霊峰様はつぶやくよつに志郎を諭した。


「志郎、あなた私に会う理由があるんじゃなかったかしら」


「狐について霊峰様にお聞きしたかったのです」


 志郎は助けを求めるような瞳で今にも朽ちそうな霊峰様を見つめた。


「奴も長生きですね」


「やはり霊峰様は狐についてご存じなんですね!」


「私が命を生む神なら奴は争いの生む神です。村人の争いこそが奴の力となる。奴は五百年前の外の世界の奴らとの争いが始まった時、怨念や殺意から生まれた神。当時は狐は村で信仰される対象でしたので神社が建てられ祀られていました。戦いに勝つために皆。狐に願っていたのです」


「でも、今は皆、狐のことを知りません」


 村人で狐の事を知っているのは志郎と雅ババと仁さんくらいだ。


「五百年とはとてつもなく長い時間です。私が霧を張り争いが無くなってから狐の存在は徐々に村人の心から失われていきました。そして誰もが狐の事を忘れていきました。やつは自分の名前すら失い、それでも奴は諦めが悪く、あなたのように迷いを抱えている村人を探しては自分の元に誘き出して、願いを聞き出すことで命を繋いでいたようですね」


 確かに志郎の逃げたいという意思を聞き出したあと狐の生気が蘇っていた。


「狐は今、身を潜めてしまっています。どうすれば狐から水晶玉を取り戻せるのでしょうか?」


 霊峰様は深く目を閉じ、しばらく沈黙していたが、やがて静かに目を開け、志郎に語りかけた。


「今、狐の居場所を探していました。やはりまだ自分の神社にいるようですね」


「狐の場所が分かるんですか?」


 率直な疑問を志郎はぶつけた。


「もともと狐も私と同じ神ですからね。神の気配は神なら分かるのです。向こうはもうその力は失ってしまったのでしょうね。昔の奴は石から武器を作り出すなんて芸当もできたようですがね。今の奴は全てを失いそしてその事実を受け止められず村人を自分の利益のために操る邪神です」


 さらに霊峰様は言葉を続けた。


「今の狐は、自ら神社へ続く道を自らの意思で閉ざしている状態です。なぜそれができるのか?それは彼の神社の存在を誰も覚えていないからです」


「僕は知っています。何度もあの場所にはいっていますから」


 志郎は学び舎をサボり何度もいった狐との時間を思い出していた。


「いいえ、あなたは狐のいる神社に行っただけです。志郎、あなたはあの神社の本当の名前を知っていますか?」


 霊峰様の言葉にはっとさせられた。あの神社の名前など考えたこともなかった。自然と狐のいる神社だから狐の神社と志郎が勝手に呼んでいただけ。狐の道も同様だ。


「それなら教えてください。霊峰様。狐の神社の本当の名前を!!」


「ごめんなさい。ここまで教えておいて申し訳ないけど、私も知らないの」


 霊峰様は首を横に振りながら答えた。


「霊峰様はなんでも知っていると思っていました」


 失礼であるのは承知の上だった。志郎の中の焦りが口走らせる。


「私の記憶できる量はあなたと同じ。自分が覚えておきたいことは覚えているけれど、私に関係のない五百年も前のこと覚えてられないわ」


 なんだか少しだけ苛立ったのか語尾が強かった。霊峰様に人間味を感じる。


 そんなとき志郎はあることを思い出した。


「たしか学び舎と狐の道の狭間に建てられていた立て看板にかすれた字で狐と書いてありました!あの続きが読めればきっと狐の神社の本当の名前が書いてあると思います」


「あの文字の続きについても私は忘れてしまいました。だって何百年以上も前のことなんですもの」


 そんな・・・・・・志郎はひどく落胆した。ではどうしろというのだろう。どうしたら狐にまた会うことができるのだろうか?どうしてもまた狐会って自分を騙したことを反省させてやりたい。


「何をそんなに、焦ることがあるの?」


 霊峰様の穏やかな声が脳内に響き渡る。霊峰様はゆっくりと言葉を続けた。


「私は神社の名前をしりませんが、それに関係する重要なものをあなたは最初から携えているではありませんか」


 僕が最初から携えている物?志郎は自然と左手を帯に差した小刀に触れた。


「僕にはよくわからないのですが、この錆びついた刀の事を言っていますか?」


 志郎は期待を込めて尋ねた。


「それからは強い狐の気が感じるわ。その刀はきっと狐との繋がりが最も強いも。例えるなら私と水晶玉のような・・・・・・」


 さらに霊峰様は言葉を続ける。


「それさえ大事に持っていれば必ず、狐の神社への道は現れます。だからそんなに心配しなくても大丈夫。そしてその刀が、狐とあなた達との因縁を断ち切ってくれるでしょう」


 霊峰様はそういうが、正直なにも分からない。霊峰様に会えばすべてが解決の方向に向かうかと思っていたが、全部教えてもらおうなんて最初から考えが甘かったのかもしれない。けれど。不思議だ。なんだか、何とかなる気がしてきた。


 狐のことを話すのはこれで良いとして、それ以上に志郎は霊峰様に言いたいことがあった。


「僕が霊峰様に会いにきた理由は狐のことを知るためだけではありません」


 志郎は霊峰様の瞳を見た途端、涙が流れてきた。


「どうしたの?志郎?まだ時間はあるからなんでも言いなさい」


「まずはあなたに謝りたかった。僕は狐にたぶらかされて、霊峰様の依代である水晶玉を盗ってしまった。それが謝ったとこほで許されない事だとわかっています。それでも直接謝罪がしたかったのです」


 志郎は深々と頭を下げ、霊峰様が止めるまで顔を上げなかった。


「顔を上げなさい。志郎。あなたは反省している。そしてあなたの過ちがどれだけ大きなものだったかも今のあなたは理解しているでしょ」


「だからこそ狐から水晶玉を取り戻し、そして僕は村のみんなに精一杯謝って、そして罰を受けます。それが僕の責任の取り方だと考えてます」


「なるほどね、それは志郎にとって一番楽な選択だわ。けどあなたがその道を選ぶならそれでいいけど」


「一番楽な選択肢?」


 志郎はこの一文だけ聞き逃せなかった。


「そうよ。あなたが選ぼうとしているのは一番楽な選択。だって、他の道を探そうともしないで、自分が消える事で責任をとったことにしようとする。見え方はいいかもしれないけど外見だけの責任の取り方よ」


「霊峰様は僕にどうしろというのですか!?」


 とにかく志郎は答えが欲しかった。答えさえ教えてもらえればそれに向かって歩みを進める。


「あなたの犯した過ちによって村は混乱に陥り、私が何百年とかけて村人に植え付けてきた伝承にも懐疑的に見られるようになるでしょう。それらの問題を残して、張本人であるあなたは消えるというのですね。それは本当に志郎が望んでいる事なの?」


 霊峰様は答えをくれないようだ。


「でも僕は本当なら父親の意思を継いで村を守っていきたい。けれど村頭になれないし、例えなったとしても皆が僕についてくるとは思えない」


「そうかもしれないわね。だけどね志郎。村頭はあなたに与えられただけの役目にすぎないわ。あなたは自分で役目を選ぶの」


「自分で選ぶ?」


 志郎の声は震えていた。


「大丈夫。あなたは自分で正しい役目を選択するわ」


 霊峰様の声はやさしく、力強かった。


「あなたはこれまで過ちを犯したことで普通は知り得ない多くのことを学び、私や従者達との新たな出会いがあり、身近な人の死を知り、そして人の愛の形を知った。そして他人を思いやり、自分の行動の意味を深く考えるようになった。それがあなたがこの数日で手に入れた強さよ。だから私が言わなくてもあなたは自分で正しいと思う道を選択しなさい。それは与えられた役目でもなくあなたにしかできない役目を選択するの。これは約束よ」


 霊峰様の口元が微かに微笑んでいるように見えた。


「約束・・・・・・します」


 心に刻むように志郎はゆっくりとつぶやいた。


「ふふ、約束は絶対よ。それじゃあ早川!志郎を下まで降ろしてあげなさい」


「はいはい、了解致しましたー」


 早川先生はしばらく蚊帳の外にされ、話が進んでいたからか、気怠そうに答えた。


「まだ、話し足りない。霊峰様!もう少しお話する時間をください。僕はどのように役目を選べばいいの!?」


「ごめんね。もう眠くて、今にも勝手に寝てしまいそうなの・・・・・・」


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