志郎は深く息を吸い込み、決意を新たにして霊峰霊地に背を向け歩き始めた。
霊峰台地の鳥居をくぐると霊峰神社の鳥居に戻ることができた。
霊峰神社に避難していた女子供達は全員が村に戻ったようだ。志郎が石段を降りようとした時、逆に石段を苦しそうに登ってくる女性が見えた。
「どうして戻ってこられたんですか?」
志郎が咄嗟に声をかけたのもその女性が志郎が知る人だったからだ。
「春子がいつになっても戻らないものですから、霊峰様にお願いに参ったのです。この長い石段を何度も往復すれば、願いを聞き入れて頂けると思い、戦いが終わり一度村に降りてからはずっと繰り返しているのです」
春子の母親は汗だくでぐしゃぐしゃになった髪になっていて、顔はやつれて憔悴しきっているように見えた。
「お気持ちはわかりますが、僕はあなたの状態が心配です。春子はすべてが落ち着いてから村のみんなで探しましょう」
この言葉にがただの慰めに過ぎないことは分かっていた。春子はきっと山を超えて外の世界に行ってしまったのだから。
「ふざけないでちょうだい!そんな悠長に待っていられない!!はやく戻ってきてもらわないと!!困るのは私なのよ!春子が働いてもらわないとどれだけ配給が減るかわかる?みんな関係ないから知らん顔するこよ。貴方だってそうでしょうよ!!」
そう春子の母親は急に激昂したあと、疲れ切ったのか、へたり込むようにうずくまってしまった。唸り声にも聞こえる泣き声を小さく発していた。
志郎は小さくうずくまる彼女を置いて、石段を降りることにした。どうすることもできない。春子は自分の意思で外の世界にでることを選んだ。
霊峰様にどんなにお願いしたって外の世界にまで干渉する力はないはず。自分が外の世界へ春子を探しに行く時間などないし、そんなことする必要も感じない。
一刻も早く水晶玉を取り戻し霧を再び発生させて外の世界と再び村を分断しなければならない。それによって春子が二度と帰ってこれなくなったとしても・・・・・・
長く急な石段を降りていくと少しずつ村の様子が見えてきた。広場には変わらず大人数の村人が残っている。賑わっている様子ではない。
志郎に村人が気付くと一気に志郎に向かって広場にいた村人達が押し寄せてきた。
歓声で迎えられるのかと思っていたがそうではなかった。なにか不穏で気まずそうな変な空気感が感じられた。仁さが志郎の両肩を掴む。
「村は今混乱しております。旦那様がお亡くなりになられたばかりだというのに、葬儀すら行えていないのに、役人達は次にだれが村頭になるか揉めてやがる。ただでさえ先の戦いの疲れが皆残っているというのに・・・・・・我々下々の村人のほとんどは志郎様が順当に後を継ぐのを望んでいます」
村人達は先の戦いで志郎に導かれて勝利したことに多大な恩を感じているようだ。
「ただ、役人達、特に龍太郎の家が次の村頭になることを主張しているようです。ぼっちゃんの若さでは村頭は務まらないと・・・・・・ワシはそうは思いません。旦那様の後を継ぐのはぼっちゃんであるべきです」
仁さんはこう言ってくれているが、志郎が村頭として皆を、導く資格がないと思っている。
仁さんを含め村の皆はその理由を知らないだけだ。もし霧が晴れた理由の原因が自分にあると知ったらきっと彼らの考えは変わっているだろう。
「ぼくにはできないよ」
「そんな・・・・・・ぼっちゃん本当にそれでいいんですか?代々受け継いできた家柄を捨て、私たち使用人も捨てるというのですか?それが、旦那様が望んでいたことでしょうか?」
志郎の足にしがみつくように懇願する仁さんの姿に心が揺れ動く。でもダメなんだ。父親がこんな結果望んでいたわけないじゃないか!そんなの僕が一番知っている。それでも僕は村頭にはなれない。
「龍太郎の父親に会ってくる」
志郎はそれだけ告げて、駆け出した。目的地はすでに村頭になったように広場の中央を陣取る龍太郎の父親だ。
「道を開けてくれ!」
響き渡る志郎の声に広場の中央部分に集まる村人は、ざわざわとした驚きの声と共にそさくさと道を開けた。
「これはこれは、亡き村頭のご子息、志郎殿ではないか!ご無事であったこと嬉しく思います」心にも思ってないことをいう目の前のおっさんに対する積み上げてきた嫌悪感は最大値に達していた。
「お話にきました」
「なにをですか?」
まったく白々しいおっさんだ。
「次の村頭を誰が務めるかという話です」
志郎はまっすぐと龍太郎の父親を睨みつけていた。
「話も何も結果は決まっているんですよ。君は先代の子供、今の君の身分です。そしてこれは役人全員の総意を反映した結果、私の家が村頭を引き継ぎます」
目一杯の皮肉が込められていた。
「いいですよ。それで!」
志郎は一転あっけらかんとした顔で答えた。
「え?・・・・・・え、あっそうか?ではなんの用が私にあるというのだ」
「僕の家には凛さん、仁さんや、ほかにも沢山の人々が我らの家に従事してくれています。それらの人々の配給量を減らさず生活水準を下げないことをお約束ください。それが僕が村頭の後継を辞退する条件です」
龍太郎の父親は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに余裕の笑みを取り戻し言った。
「それくらい、当然のこと。私が村頭になる以上、村の人々をしっかりと守っていくのは当然の責任だ。安心してくれたまえ」
「それはよかった。僕も安心できます」
志郎は変わらず柔らかい口調で答えた。
「もし約束を破った場合ですが・・・・・・」
志郎の髪は逆立ち、そして先の戦いの時の志郎を思い出させる。
「僕は貴方を許すことはないでしょう!」
その声は強い決意と畏怖を感じさせた。志郎の目は厳しく、その強い意志が明確に伝わる。
龍太郎の父親は一瞬たじろいだが、すぐに態度を改めた。
「もちろん、約束は守りますよ。安心してください」
志郎は深く頷いた。これが最善の選択だという確信があった。父親亡き今、自身が直接村を導くことは絶対に違う。脅しだとしても、父親が残したい凛さんや仁さんの生活を守ることは僕が最低限しなければいけないことだと思った。
「君はどうするつもりなんだ。家柄も失い、親も失い、君には何も残らないぞ」
「それはいいんです。ですがもう一つお願いがあります」
「もう一つ??」
「はい、明日、僕に村人全員の前で話す機会をください」
志郎の言葉に龍太郎の父親は動揺を隠さなかった。
「馬鹿をいうな!貴様、やはりまだ村頭を継ぐのを諦めていないようだな!」
この反応は想定内であった。当然だ。外の世界の武士との戦いから時間が経っておらず、英雄視されている志郎が、皆の前に立てば嫌にでも次の村頭は志郎を推す声が出るに違いない。それは龍太郎の父親は簡単に了承できないだろう。
「勘違いをしないでください。僕は村頭になるつもりはない。辞退の意志は先程あなたに示した通りです」
「それならば、皆の前で貴様が話さなければならない理由はなんだ」
龍太郎の父親は志郎の言葉に疑いの眼差しを向けた。彼の顔には不信感が滲んでいた。
一呼吸おいて、志郎は言葉を放った。
「僕、村人やめるので!」
志郎の突然の発言に、龍太郎の父親は驚愕した表情を隠せなかった。彼の声には断固たる決意が感じられた。
「何を言っているんだ、村から出ていくという意味であっているか?それはつまり、外の世界に行くということか?あの恐ろしい武士がいるところへ自ら赴くというのか!?」
長いこと龍太郎の父親は驚きを隠せずにいた。
「そんな感じと思っていただければ、だから約束してください。僕に皆の前で話す機会を作ると・・・・・・」
龍太郎の父親はしばし黙った後、やや渋々ながらも頷いた。
「分かった。明日、夕方に村の広場で話す機会を与えよう」
「よかったです。では明日、かならず・・・・・・」
志郎は深く頭を下げたあと、学舎へ続く道へ目を向けると、周りを群がる村人達が急いでつくりだした道を歩いてその場を立ち去った。