見慣れた神社を背を向け石畳に強い光を発する水晶玉を抱きしめ、優雅に寝転ぶ狐がいた。最後に会った時と姿が変わっていた。
八本の尻尾を生やし体も大きく顔や体の至る所に赤い模様が描かれていた。
狐は志郎に気づくと、彼をじっと見つめた。以前感じていた愛想の良さそうな微笑みは一切見せず。静かに立ち上がった。
「志郎、久しく感じるな・・・・・・お前がきちんと外に逃げ出していれば今頃我の力は完全に戻っていたというのに我の期待を裏切るなんて本当に残念だよ。できればお前の顔など見たくない」
「それはごめんね。でも僕は君にもう一度会いたかった。君、最後に会った時よりなんだか大きくなったね。尻尾の数も増えているし」
志郎の言葉に狐は薄ら笑いをする。
「我は神であり、願いを叶えてやることでそれは我の力になる。お前は我の思い通りに行かなかったが馬鹿な小娘の願いを叶えてやったおかげで我はここまで力を取り戻せた」
「やっぱり、春子も君に騙されていたんだね」
「騙してなんていないさ。あの小娘は村から逃げることを願い、我はその願いを叶えるための知恵を授けただけ。全ては小娘の意思だよ」
「春子は少し馬鹿な奴だけど、山火事を起こすような奴じゃなかった。君に出会わなければあんなことはしなかったんだ」
春子を自分と重ねていた。自分も狐と出会わなければこんなことにはなっていなかった。悔しさが滲み出てくる。
「そうだよ、我と出会ったおかげで小娘は憧れてやまない外の世界へ行く事ができた。お前と何が関係ある?お前は村に残る事を選んだではないか?小娘はお前と逆の選択をしたまで。小娘の人生に口を出す権利がなぜお前にあるんだ。お前はただ自分と同じ選択をしなかった小娘が許せないだけではないのか?」
「そんなこと・・・・・・ない・・・・・・」
否定はしても狐のいうことも理解できる。ただ春子の選択が自分の正義から外れているだけであって、彼女の選んだ人生に口を出す事は間違っているのかもしれない。けれど・・・・・・
「それでも、君も、春子も、そして僕も・・・・・・間違っていると思う」
「なぜそう思う?」
「山火事を起こし家を失った家族もいた。霧を晴らしたことで多く人が恐怖を抱いた。僕らの願いを叶えようと思った先に多くの人を巻き込んでしまったから。僕らの人生はこの村で生まれた時点から決まっていた。だったらこの村の中で抗うべきだったんだ。自由に生きたいなら村から変えるべきだったんだ」
「そんなこと出来たと本気で言っているのか!?」
嘲笑う表情で狐は言う。
「今の僕なら出来る」
「なら遅いな」
「うん、もう遅いね。僕にはもう出来ない。だから僕以外の誰かに任せるよ。けれどもまずは霧をもう一度張って村の平和を取り戻す事が必要なんだ」
「ふふ、まぁよい。志郎、最後にあってからあまり時は経っていないのに不思議なものだ。志郎はなんだか以前とは別人のように感じるね」
「そうかな?君が姿を隠してしまってから色々とあったんだ」
「そうかい・・・・・・でもね志郎。お前はここへ来るのが少しばかり遅かったようだね」
狐は薄ら笑いを続けている。
「どういうこと??」
「志郎のおかげで霊峰の半身は我の手の中に入り、そして先ほどやっとの思いで壊すことに成功したよ。霊峰の奴も相当弱っているみたいだね。本当に君たちには感謝しているよ」
そういって、狐は水晶玉のひびがはいった部分を見せつけてきた。
「嘘だよ!こんなにも強い光を発しているじゃないか!」
「ちがうよ。これは汚らしい霊峰の野望が潰える最後の光だ」
確かに強い光はそのヒビから漏れるように放たれており、真っ青だった水晶玉の下半分は色褪せて、ただの石のような色になっていた。
「君の言っていることが分からない!」
「お前はなにもわかっていないのか?霊峰や我のような神は身体を2つに分けて半身を作り出せることは知っているだろう?ただ理由を考えたことはあるか?信仰を集めるためには村人がわかりやすく崇高する対象が必要だからだ。霊峰はそれを霧を張り外敵から村を守る力をもつ水晶玉を半身として作り出し、村人の信仰を集めたのさ。騙されるな志郎、奴は自分が可愛いだけさ。村人を自分のいいように操り外界と分断されている今の状況が良いことだと思わせているだけさ。ぜんぶ自分が信仰され続けるための策略なんだよ!」
そして狐はその大きな尻尾を広げ、壮大な霊気を放ち始めた。
「そして、志郎よ、お前はその瞬間に立ち会うことになるだろう。この水晶玉が完全に色をなくした時が霊峰の時代の終焉であり、我が時代の始まりの瞬間だ!」
志郎は狐の言葉を噛み砕くようにゆっくりと理解していった。志郎は決意を込めて狐に向き合った。
「君の望む未来になるのは僕は嫌だ。村の皆だって望んでいない。君は間違えている。霊峰様は自分のためだけに霧を張ったわけじゃない。山と村に生きる生命のために自らの命を削って守ったんだ。それに君みたいな邪な気持ちなんてない。それは霊峰様を直接見たから分かった。そして外の世界の武士と戦ったから分かった。自分勝手なのは間違いなく君のほうだ!」
「志郎、どんなに戯言を並べたところで、霧が晴れる原因になったのは間違いなくお前だよ。そんなお前が我を止める?笑えてくるな!」
狐は冷ややかに笑いながら言った。
「そうだよ。全ては僕の弱さのせいだよ」
志郎は刀を握りしめ、狐辰夢想流の構えをとった。
「笑止千万!志郎!そんななまくら刀では我の身体に当たったとてかすり傷も付かんわ!」
志郎は狐に向かって全速力で駆け出した。狐もまた、彼の挑戦を受け入れるかのように体を低くして身構えた。空気は緊張で張り詰めていた。
志郎は狐の速さに圧倒されつつも、機敏に反応した。狐の動きを予測して刃を振るう。しかし、狐はまるで風のように動き、その攻撃を巧みにかわす。
「お前では、我を止めることはできない!」
狐の尻尾が突然、強烈な風を巻き起こし、志郎を押し返そうとする。志郎は足を地面に固め、力強く立ち向かうが、その風の力は強く、彼を後退させてしまう。狐の尻尾からはさらに強い霊気が放たれ、空気を切り裂くような音が鳴り響いた。
志郎は刀を横に振り、狐の霊気を切り裂く。一瞬の隙を見て、彼は前に跳び、狐に向かって一撃を加えようとした。
しかし、狐はそれを予測していたかのように、身をかわし、反撃に転じる。狐の動きは素早く、鋭い爪が空気を切り、志郎に向かってくる。志郎はそれをかろうじて避けるが、狐の攻撃は連続しており、彼は次第に追い込まれていく。
しかし、志郎は諦めず、小刀を振り続ける。彼の動きは次第に狐の動きに合わせていき、攻撃の瞬間を読み取るようになる。志郎は大胆にも狐に向かって飛び込み、狐の体を小刀が切り裂いた。
狐の体についたのはかすり傷程度だった。それでも狐はひどく動揺しているように見えた。
「そういえば・・・・・・貴様・・・・・・なぜ、この神社の名前が分かったのだ?もう誰も覚えていないと思っていたが、志郎、誰から聞いた?霊峰か?いや奴でさえ覚えていることはないはず・・・・・・」
先ほどまでとはちがう威圧感と焦りに満ちた声。
「僕は君に会いたいと願った。そうしたらこの刀がここへ導いてくれたんだ」
九尾の守りの神社と記された柄の部分が見えるように刀を見せつけた。その瞬間、狐をとりまく空気がかわり、怒りに満ちた表情に一変した。
「貴様がなぜ!それを持っている!!それは我の半身ぞ!!我が何十年それを探していたと思っておる!返せ!!」
狐の怒りに反応するように木々がざわめき空気が震える。
「君の話を聞いているとき、きっとこの刀はそうなんだろうなと思ってたよ。君の半身、それが僕の手にあるのはきっと長い年月の間に紡がれた運命なんだよ。だけど、これだけじゃ君を止められない」
「そうだ!神を殺せるのは神のみ!貴様のような半端者がその刀を我に突き刺そうと我が死ぬことはない」
それは以前、焔も言っていたことだ。いくら従者であろうと神は殺せない。神を殺せるのは神のみだと・・・・・・
「分かってるよ・・・・・・」
志郎は呟くように答えた。
「ははは!そうか!志郎!ではお前は諦めて我に殺されるというのだな!!」
志郎は勝ち誇った表情で高笑いする狐をじっと見つめた。
「霊峰様、起きてますか?」
狐の高笑いが響き渡る中、志郎は心の声で霊峰様に呼びかけた。
「起きてますよ。志郎、どうかしましたか?」
いつから起きていたのだろうか?眠気など一切感じさせない澄んだ声だ。
「僕、自分の道を決めました。この役目しか僕には選べません」
「そうですか・・・・・・本当に良いんですね」
「はい・・・・・・」
「霊峰様、本当は最初から僕がこの役目を選ぶ事を分かっていたんじゃないですか?」
志郎の問いに一間置いて霊峰様は答えた。
「ふふ、どうでしょう?私は神でも、全能なる神ではないわ、分かることもあるし、分からないこともありますよ」
「はは!どっちでもいいです。これは僕の人生における選択だから!」
「志郎、私あなたの事好きよ。頑張ってね!またいつか会いましょう!」
「ありがとうございます。またいつか!」
そして心の中にあった霊峰様との繋がりが消えた。
霊峰様との会話が終わったと同時に激しい心臓の鼓動と共に身体が宙に浮かぶ。
周囲を漂う霧が志郎身体に吸い込まれるように消えていく。
狐が抱える水晶玉も例外ではなく、中に溜まっていた霧も一気に吐き出され志郎に向かって流れていった。
「貴様何をした!!」
異常な現象を目にして狐は焦りを見せる。抱えている水晶玉はもうただの石のようになっていた。
「僕は人間を辞めてきた」
「なに?どういうことだ」
狐は理解できていないようだった。
「神を殺せるのは神だけ・・・・・・」
志郎の瞳は金色に輝き、髪は白銀に瞬時に染められ、神々しい羽衣が現れて志郎の身体を包んだ。そしてゆっくりと地面に降り立った。
「僕が霊峰だ」
「何ということだ!!貴様が霊峰だと!何が起きているんだ。数日前まで何も知らぬ村人だった貴様が神になるなどあり得ない!」
狐は混乱と驚きの表情を隠せない様子で志郎を見つめた。霊峰としての彼の姿は、先ほどまでの志郎から一変し、狐が認めざる得ないほどに神々しい威厳を放っていた。
「僕は霊峰様から全てを受け継いだんだ!そして邪神となった君を倒す力を得てここに立っている!今の僕は君を倒せる神なんだよ」
志郎の声は天に響き渡り、彼の周りの空気が震えた。
狐は一瞬たじろいだが、すぐに冷静さを取り戻し、攻撃の構えを取った。
狐は先ほどよりも激しく、志郎に向かって攻撃を仕掛ける。
狐は猛烈な速さで攻撃を繰り出し、鋭い爪と尾で志郎を攻撃する。それは志郎は辛うじて避けることができた。両者の間の戦闘は激しさを増し、神社の境内は激しい闘気に包まれた。
姿形の変わった志郎だが、狐の猛攻を凌ぐので精一杯だった。徐々におされはじめた志郎は狐の強靭な爪によって胸を切り裂かれてしまった。
志郎はいったん距離をとり痛みで膝をついた。志郎の能力である治癒の力も狐から受けた傷には意味を持たないようだ。
「いくらお前が、霊峰の姿に見繕うともお前の強さは変わらない。真の神である我には敵わない!!」
「君は勘違いをしている。僕は一人で君に勝とうとなんて最初から思ってないよ」
「なに?どういう意味だ?」
狐は志郎の言葉の意味を探している。
「君は霊峰様が僕に与えた力だけを見ている。霊峰様が僕に授けてくれたのは君が持っていない、もっと強い力なんだ!」
志郎がそう叫んだ瞬間、大きく真っ赤な獣が志郎の横を駆け抜けて狐に向かって飛びかかった。
「焔!!来てくれてありがとう!」
「うるさい!俺たちに相談もなく勝手に霊峰様になりやがった!急に心に話しかけてきたかと思えばいきなり命令しやがって!!」
焔はそう志郎に怒りながらも、狐の顔を覆うように掴みついている。狐は焔を振り払おうとしたが、焔は執拗に抵抗し、狐を締め上げていた。
「クソ!霊峰の従者風情が!!」
その隙を逃さず、志郎は再び立ち上がり、狐に向かって飛びかかった。そして刀を精一杯の力で狐の胸に突き刺した。
刀が深く突き刺さった瞬間、狐から苦しみの声が漏れる。
そして空間全体が震え、神社の周囲に光の波紋が広がった。
「何だこれ?」
志郎はこんな事象が起きることを想定していなかった。
「こいつ、刀と一体化しようとしてやがる。坊主!早く引き抜け!」
焔が叫ぶ。狐は一度自身から切り離した半身である刀を再度取り込もうとしていた。
「あともう少しだったんだ!やっとの思いでここまで追い詰めたんだ!どうすれば・・・・・・」
志郎は必死に狐の体に吸い込まれていく刀を引き抜こうと必死だった。
必死に引き抜こうとしている時ある時に聞いた会話が突如として頭に浮かんだ。
ーー狐に騙されるような間抜けな奴を救ったのかお前の気がしれん
ーー霊峰様の指示は絶対だと言ったのはお前だろ!この糞犬が!
ーー今なんと言った!?馬鹿天狗!今すぐ燃やし尽くしてやろうか!?我の火は鋼をも溶かす。天狗の身体なぞ、一瞬で灰にしてやるぞ!
焔と風磨と出会ったとき、2人が喧嘩していた時の会話だ。この会話の記憶が志郎は今の状況を覆せるように感じた。
「焔!火だ!!思いっきり熱いやつ!!」
志郎は大声で焔に呼びかけた。
「分かった!!」
雄叫びと共に焔は身体に火をつける。焔の雄叫びに志郎の左手首に結ばれていた焔の毛は共鳴するように燃え出し、その火は刀を伝う。
炎は狐の体を包み込み、その熱さは周囲の空気をも熱した。狐は苦痛の声をあげながらも、依然として刀を取り込もうとしている。
「これでもだめか!」
焔は必死の形相で暴れる狐の身体に張り付き炎を絶やさない。志郎は懸命に刀を抜こうとした。
何かがねじり切れるような鈍い音と共に、いきなり狐の体からは強烈な光が放出され、志郎と焔は吹き飛ばされた。志郎の手には刀身が溶けたように半分から先がなくなった刀が握られていた。
狐の身体は強い光に包まれ、その姿は徐々に崩れ始めた。
「クソ、我はまだ・・・・・・」
死に際の狐の言葉は途中で終わった。
「これで…終わりだ…」
と志郎は息を切らしながら言った。狐の怒りと力が徐々に消失し、最後にはただの小さな獣の姿に戻っていた。
長い年月を取り戻すようにすぐに腐って行き、一瞬にして酷い屍臭と共に消失した。そして狐の神社もまた一瞬にして塵となり風に流されていった。
刀は焔の熱に溶け、刀身の錆びた部分から捻じ切れるように折れたようだった。
「焔、ありがとう!君に助けられたよ!本当に焔の火は鋼も溶かすんだね!」
「我が嘘を言っていると思っていたのか!クソ、まぁ今は貴様が霊峰様だからな、手助けするのは当然だ」
なんだか照れくさそうな顔だ。
「貴様―??霊峰様に向かってなんて口の聞き方だ!」
志郎は焔を睨め付けた。
「いえ、や、まぁ徐々に直していき、ます」
はにかみながら焔は答えた。
「冗談だよ!今まで通りで大丈夫だよ!僕はなにも偉くなったわけじゃない」
そうは言っても焔はなんだかやりにくそうに見えた。
「霊峰様、どうする?・・・・・・のですか?」
「僕にはまだやる事がある。村に一度戻るよ」