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第34話 延宝二年(1674年)狩野探幽の死

 四年後ーー。

 延宝二年(1674年)十月、江戸の池上本門寺。急に降り出した晩秋の冷たい雨が、しっとりと境内を濡らしていた。天才絵師、狩野探幽がその七十三年の生涯を終え、棺に静かに横たわっている。堂前に集まった人々の傘が、「南無妙法蓮華経」の読経とともに、風にゆれる黒い花のように動く。


 焼香を済ませた松尾芭蕉が、境内を歩く。参拝者たちが思い思いに、探幽の話をしている。


 画業を褒める会話がほとんどだが、「あの多賀朝湖ちょうこはやっぱり葬儀に来なかったな」「狩野宗家から破門されたらしいからな」「あれだけ探幽先生に目をかけていただいて、今なにしてると思う?」というヒソヒソ声は、まるで自分を責めてるかに思えて、芭蕉は足を早める。


 芭蕉は総門をくぐってから、一度振り返る。


 巨大な総門には「本門寺」と揮毫された扁額が掛かっている。青く着色された額面に、三文字が金箔で飾られている。左下に朱で装飾された署名を読み取ろうとして目を細める。


 そこに、高齢の男が背中から肩を叩く。芭蕉は振り返ると、頭をさっと下げる。


 「狩野宗家安信やすのぶ様、この度の兄上様のこと心からお悔やみ申し上げます」


 狩野安信は優しく微笑み、「わざわざ兄に手を合わせてくれて、ありがとう」と折り目正しく頭を下げる。


 安信は、芭蕉と並んで扁額を見上げ、「芭蕉先生、この扁額をご存知で?」と聞く。


 芭蕉は少し気まずそうに頭をかき、「実は朝湖くんから、池上本門寺に行ったら総門の扁額は見たほうがいいですよ、本阿弥光悦の書ですからって」と言う。


 安信は扁額を見つめながら、「朝湖…多賀一郎…」とつぶやく。


 芭蕉は「光悦は三つの長持ながもちがあふれるくらい、この三文字を何度も書き続けたんだそうですね」と言う。


 安信は「うむ、それで『一字千金の額』とも呼ばれておる。それも一郎、いや朝湖が?」と聞くと、芭蕉は「はい、オイラの美術びのわざの知識はたいてい朝湖くんの受け売りです」と答える。


 安信は「元気にやってるだろうか?」と、芭蕉に問うでもなくポツリと言う。


 芭蕉は「えぇ、今日も元気にやってますよ。太鼓持ちを」と片眉を上げて軽く微笑む。


 安信はそれに答えず、歩き出し、総門をくぐり、葬儀へ戻っていく。芭蕉は傘を畳むと、その後ろ姿と門に向かって深々とお辞儀をする。芭蕉の身体を、強くなった秋の冷たい雨が打ち付ける。



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