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第45話 絵師の性(さが)

 吉原の大門外、金沢屋が借りている屋敷は、先程までの酒と男たちの熱気を冬の寒さが包み込み、静かな夜更けを迎えている。


 畳には、松尾芭蕉と金沢屋丸木五郎が、文字通り手足をひっくり返して眠りこけている。芭蕉は、口元にわずかな笑みを浮かべ、夢の中でなお、軽妙な句を詠んでいる。丸木は、いびきをかきながら、達磨のような顔をさらに歪ませ、どんな悪夢を見ているのか、時折唸り声を漏らす。


 畳に俯せていた多賀一郎は、半身を起こすと、そんな二人をそっと見つめてから、腕を天井に向かって伸ばした。


 目に宿る睡魔を、頭を振って払い、二人が起きないように、音を立てずにゆっくりと立ち上がる。


 足の痺れと酔いで、身体をぐらつかせながら、奥の部屋へと向かう。そこは、吉原の太鼓持ちである一郎の居住空間であるとともに、絵を描く作業部屋だった。


 部屋には小さな文机が置かれ、机の上に完成間近の絵が広げられたままになっている。小さな窓から月の明かりが差し込んでいる。


 一郎は、文机の前に静かに座り、筆を手に取り、描きかけの絵に目を落とす。深くひと呼吸し、夜通し語り合った興奮を抑えると、指先に集中する。


 走り出した筆は、一点の迷いもなく滑り、力強く、繊細な線を描く。彩色は重ねるたびに、奥行きが生まれ、江戸で生きる平凡な人々の微細な表情や、肌の質感が、鮮やかに再現されていく。


 窓の外が、夕闇から朝焼けへと、ゆるやかにその色を変える。一郎はそっと筆を置き、描き終えた絵をじっと見つめる。


 一郎は、墨の筆を手にすると、絵の隅に細やかな筆致で「多賀朝湖ちょうこ」と画銘を記す。


 「これで…五十枚目か」


 一郎の口から、乾いた声が漏れる。四年間。吉原の太鼓持ちとして働きながら、毎晩、筆を走らせ続けて、ようやく辿り着いた数字だ。


 太夫たゆうの胡蝶の身請けには、千枚の絵が必要だ。千枚ーー。途方もない数字が、鉛のように重く、脳裏にのしかかる。


 二十分の一、残り九百五十枚。一体、いつになったら、胡蝶を吉原から救い出すことができるのか。


 「彼女の身体と心が、それまで持つはずがない」と呟くと、一郎は筆を強く握りしめる。


 一郎の絵は、一点一点、魂を込めて描かれている。狩野派で叩き込まれた、精密な作品作りの精神。妥協を許さず、完璧を追求するさが。それが、若くして彼に絵師としての名声をもたらし、狩野派から破門後の今も絵が売れている理由である。


 だが、それが、今、一郎と胡蝶の行く手を阻む。


 「僕は…なぜ早く描けないんだ」


 一郎の目に、苦悩の色が滲む。一枚の絵を仕上げるのにひと月は費やしてしまう。胡蝶のことを思えば、妥協してでも、量をこなさなければならないのに。どうして、こんなに不器用なんだ。


 一点もの。その限界が、一郎の肩に重くのしかかる。芸術げいのわざで日ノ本を変える。壮大な目標の前に立ち塞がる最大の壁は、自分自身ではないか。


 将軍や大奥に伝わることが必要ならば、狩野派に居ればよかったーー。


 しかし、一郎は分かっている。自分の心からの願いは、日ノ本を変えるのではなく、ただ一人の人間、胡蝶を解放することなのだ。


 禅宗の師匠が弟子に問う「公案こうあん」用の禅画ならば、弟子一人ひとりの理解や修行の進捗にあわせて、難しくても、多くの背景や意味合いを複雑な仕掛けで絵に盛り込めばいい。


 しかし、市井の老若男女の人たちに、伝え広がる絵は、それでは駄目だ。


 「分かる人には分かる…僕の絵はまさにそれなんだ…」と自問する。


 和歌、仏教の経典、能の謡、狂言、人形浄瑠璃、流行り歌、祭り、歌舞伎ーー。日ノ本には、多岐多様で複雑な背景が重層的にあり過ぎる。知れば知るほど、一郎は描きたくなる、いや描いてしまう。


 「今の僕に必要なのは、戯画ぎが。でも、どうしてもたわむれには描けないんだ。胡蝶のことを思えば、僕の絵のこだわりなんて、とっくに捨てたはずなのに、どうして、どうして…」


 窓の外では朝日が、江戸の町を呼び覚まそうとしていた。

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