白い石造りの監視塔。
星刻の渓谷を見下ろす窓から、冷たい風が吹き込んでくる。
昨日まで日本の6畳間でゲームに逃げ込んでいたのに、今は異世界の塔に閉じ込められている。
閉じこもっていた場所が、地球から異世界に変わっただけだ。
俺TUEEもないし、魔法も英雄もラスボス退治もない。もちろん、ハーレムだってない……。
ないない尽くしのなかで、唯一あるものは、食事に困らないことだった。
20畳ほどの広さに、ベッド、机、炊事場があり、下の階には風呂とトイレがある。
その炊事場には、フードプリンターのような装置が置かれていて、そこから食べ物が出てくる。
横に置かれた太めのファイルから選べるレシピは、
オムライス、味噌汁、ペペロンチーノ、サムギョプサル、タコス、リゾット、パエリア、ボルシチなどなど、世界の料理が食べ放題だ。
悪くはない。食事は大事。とても大事……でも、それだけかって。
世界一周旅行をしているみたいで、異世界感は薄いんだよな。
金の冠を戴いた指導者ゼノヴィスが、「救世主」だの「星の使者」だのと持ち上げてくれたが、なんだかただの飾りのように思えてくる。
でも、銀髪の魔術師リリアナの冷たい目だけは忘れられない。
「異世界人か」俺をまるで道具扱いしたあの言葉が、耳に残っている。
昨夜、渓谷の対岸でちらりと見えた光。
6回、短く点滅した。
ゲームで覚えたモールス信号っぽいけど……まさか。
リリアナの言葉が頭をよぎる。
「ゾルティスの動きに気をつけろ。あの渓谷は、かつて異世界人が灰にした場所だ」
灰? 何だ、それ。
胸の奥がざわついたが、彼女は続けた。
「この星、ルクセリオンには異世界人が二人同時に召喚される。ゾルティス側にもお前と同じ異世界人がいる。だが、同郷だからといって気を許すな。死ぬぞ」
なんだよ、異世界人がもう一人って。
特別感がゼロって、俺、拗ねてもいいよね?
そんな、ないない尽くしの俺に、やがて思ってもみない転機が訪れることを、まだ知らなかった。
***
監視塔の部屋は、堅牢な石壁に囲まれた室内。
白い石の壁には、三本の剣の周りに星が散りばめられた紋章が彫られ、微かに光を放つ。
「これ、魔法の光だよな? いいな。魔法、使いたかったな……」
俺の呟きに、誰も答えない。
天井には、星座を模した装飾が広がる。
ベッドは硬く、毛布は薄いけど、どこか荘厳で、俺には似合わない。
窓の外には、3キロ先まで続く星刻の渓谷。
夜になると、岩肌に星の光が反射して、銀河が地面に落ちたような輝き。
綺麗だけど、 冷たくて、胸が締め付けられる。
今日の食事。
トルティーヤにケバブの肉を挟み、刻んだ野菜をのせて、たっぷりのガーリックヨーグルトソースをかけて食べた。
ちょっと変わった組み合わせだけど、意外とうまい。悪くない。
俺TUEEはないけど、俺IKETERUUじゃない?
朝、リリアナが部屋を訪れた。
銀髪は魔光に揺れ、氷のような青い瞳がこちらを射抜く。
自己紹介はあっさりしていて、「アストラルド帝国の魔導師、リリアナ・クレイモアだ」とだけ名乗った。
どうやらこの世界では、「魔導師」「魔導士」「魔道士」という順に階級が分かれているらしく、彼女はその最上位にあたるらしい。
リリアナは淡々と、俺の「任務」について説明を始めた。
それは渓谷の中央にある、直径10メートルの円形装置、《星刻の祭壇》を“守る”こと。
「魔力の安定装置」とか言ってたけど、詳しくは教えてくれなかった。
ゾルティス連合――対岸の敵――が祭壇を狙ってる、って。
「星の光で魔力を強化する祭壇がある。失敗は許されない」
「……マジか」彼女の言葉に、なんか重いプレッシャーを感じる。
「ゾルティスは狡猾だ。君の力を試すような罠を仕掛けてくる」リリアナの声は冷たかった。「過去の召喚者も、信じたせいで失敗した。覚えておきなさい」
失敗?
それ、死んだって意味じゃないよな?
俺、ただの引きこもりだぞ。
ゲームの知識しか取り柄ないのに、なんでこんな話に巻き込まれてんだ?
でも、思う。
現実じゃ、親に「役立たず」って怒鳴られて、ネット友達にも裏切られた。
ここでは、少なくとも「必要」とされてる。
たとえ、怪しくても。
5年の任期が終われば、帰還するか、ルクセリオンで生きていくかを選べるらしい。
今のところ、まだ答えは出ていない。
だからこそ、この異世界を、思いきり満喫しよう。
食事うまいし。
***
昼間、塔の地下に案内された。
リリアナが「君が使う道具がある」と言う。
塔の内部には昇降機があり、魔石で動くらしい。
石の階段もあるが、30メートル近くある塔の昇り降りに、階段とか、無理ゲー過ぎる。
昇降機を降りた先には、薄暗くて埃っぽい部屋があった。
壁際には、まるでSF映画のセットみたいな機械が並んでいた。
古びた銃器、ボタンだらけのコントローラー、無骨なモニター。
どれも錆びついてはいるが正直、ちょっとワクワクした。
「これは、過去の異世界人が残したものだ」リリアナの説明が続く。「我々には使えないが、君には扱える。星の導きが、そう告げている」
マジか。
こういうのを待ってたんだよ。
俺TUEEはないってあきらめてたけど、もしこの中にすごい武器とか装置があれば、ワンチャンあるかもしれない!
試しに、机の上にあった薄い四角い装置を手で触れてみる。
前に画面があって、ボタンもある。
……まさか。テレビか!?
近くに転がっていたリモコンを拾い、ボタンを押す。
「……」
もう一度、押す。
「……」
うんともすんとも言わない。慌ててテレビの裏に手を回す。
コードが繋がっていない!
「ねえ、電源とアンテナってない?」
本気で訊いてしまった俺に、リリアナは冷たい目を向けて言う。
「なんだ、それは?」
……終わった。完全に終わった。
「おい先人の異世界人、てめえ何作ってんだよ! 意味ねぇだろこんなの!」
思わず叫んだ俺に、リリアナが一瞬、眉を下げて目を細める。
「昔の召喚者も、同じようなことを言っていた。……テレビは、そんなに大事か?」
その声には、ほんの少しだけ悲しみが混じっていた。
(第1章 第3話につづく)