「昔の召喚者って?」
俺がそう聞くと、彼女はふいに顔を背けた。
「五年前、ゾルティスの罠に嵌められて私の恋人が死んだ……アレンだ。ゾルティスの召喚者と接触して、裏切られたんだ」
そのときのリリアナの瞳。初めて見せた、揺れる感情。
「信じるな、ツバサ。対岸は敵だ」
「人間が召喚されるこの世界で、「敵」って誰のことなんだよ……」
「もういい、忘れなさい。任務に集中して」
そのとき、机の隅に一枚の古い紙が落ちていた。
英語と日本語が混ざった、乱雑な手書きのメモ。
そこには、信じられない言葉が書かれていた。
「ニュークリア……ウェポン?」——核兵器?
いや、まさか。
こんなファンタジー世界に、そんなものがあるわけない。
誤訳か、誰かの悪ノリだろう。……けど、「灰」という文字が妙に引っかかった。
それがこの世界に「過去の誰か」が何かを残した証拠のような、そんな気がした。
隣には光信号機らしき装置が置かれていた。
ペンライトを大きくしたような筒に、押し込むタイプのレバーがついている。
レバーを押すと、外へ光を飛ばす仕組みらしい。
魔法版の懐中電灯……?
いやいや、意味ねえだろ。
もっとこう、ビームソードとか作ってくれよ。
「なあ。冒険者とか、スライムとか、ボスモンスターとか。知ってる?」
「なんだそれ、食べ物か?」
「……いえ、なんでもないです」
でも、こういう光の信号って、ゲームでモールス信号を覚えた俺にはちょっと懐かしい。
***
夜。
塔のデッキから渓谷を見下ろす。
星の光が岩肌に反射して、ゲームのワンシーンみたいだ。
でも、俺はプレイヤーじゃない。きっとただの駒だ。
そのとき、対岸で光が点滅した。
今度は、5回の短い点滅、ゆっくりとした間隔だった。
心臓がドクンと跳ねる。
モールス信号を思い出す。5回……「元気?」なんて意味だったか?
いや、違う。でも、どこか子どもっぽい感じがする。
頭の中にリリアナの声が響く。「ゾルティスの罠だ」
でもさ、罠ならもっと派手にやるだろ?
こんな地味な点滅だけの罠なんて、意味があるのか?
そのとき、渓谷に黒い霧が広がり始めた。
まるで生き物みたいにうねりながら、こちらの塔へと迫ってくる。
背筋がゾクリとした。
「ゾルティスの魔法だ!」
リリアナが部屋に飛び込んできた。「すぐに中に入れ!」
「これが……魔法?」
霧が窓に触れた瞬間、ガラスがビリビリと震える。
頭の中に、誰かの囁きのようなノイズが走る。「裏切れ……信じるな……」
吐き気すら覚える、嫌な気配。
「ツバサ、その光信号機を使え!」
リリアナの声に、俺は反射的に動いた。
机の上の装置を手に取り、レバーを強く押し込む。
ゲームのコントローラーのように、自然に指が動いた。
まばゆい白光が渓谷に走る。
霧がそれに触れた瞬間、シュウッと音を立てて消えた。
「……これ、すげえじゃん?」
興奮した俺に、リリアナが鋭く言い放つ。
「油断するな。ゾルティスは、こんな小細工で終わる相手じゃない」
「懐中電灯も悪くないけど、やっぱ魔法のほうがカッコいいよな……」
そう呟くと、リリアナは目を細めた。
「星の導きは、魔法を超える力だ。覚えておきなさい」
彼女は続けて言った。
黒い霧が現れたら、光信号機や別の「兵器」を使えと。
「兵器?」
「そうだ。この地には、かつての異世界人が残した装置がいくつかある。だが、我々ルクセリオンの者には使えない。地下の資料室にマニュアルというものがある。操作は自分で覚えるんだな」
「……大雑把ですね」
「ふん。我々には魔法がある。異文化の遺物など頼らん。明日、いくつか見せてやる。今夜はもう休め」
リリアナはそれだけ言うと、振り返りもせずに出ていった。
「異世界で兵器かよ……イメージ狂うな。魔法、使いたいんだけど」
ぼやきながら、再びデッキへ出る。
夜空に、二つの星が浮かんでいた。
一つは月のように明るく、もう一つはそのそばに静かに寄り添っていた。
そのとき、対岸でまた光が点滅する。
5回、ゆっくり。
……さっきと同じだ。
霧なんか関係ないって、言ってるみたいに。
思わず、レバーに手を伸ばす。
ゲームでフレンドとチャットしてた頃のことを思い出す。
最初は警戒してたけど結局、裏切られた。
また、同じ過ちを繰り返すのか?
でも、この光……なんか、嫌いじゃない。
指に力を込める。
いや、寸前でやめた。
リリアナの言葉がふと浮かぶ、対岸は敵。
深く息を吐き、デッキを離れる。
さて、もう光のことなど忘れて。
今は、晩飯のことを考えよう。
「今日は、アレを食べよう」
細長いバゲットに、ハムとチーズ、トマト、バジル。
最後にオリーブオイルをくるっとひとまわし。
異世界版カプレーゼサンド。
外はカリッと香ばしく、中はしっとり。
異常にうまい。誰だよこれ作った異世界人。センスあるじゃん。
***
【ゾルティス連合——ダークヘイヴン】
黒岩の監視塔。
レイラ、16歳。アメリカで孤児として育った。彼女は今は、ダークヘイヴンにいる。
窓の外で瞬く、星刻の渓谷。
彼女は、光信号機のレバーを握る。
アメリカの孤児院で、懐中電灯で遊んでいた記憶がよみがえる。
あのとき、誰かが光を返してくれたら、どんなに嬉しかっただろう。
「……誰か、答えてよ」
レバーを握る。
5回、ゆっくりと。
「あっ!」
一瞬、対岸で光が見えた気がした。
じっと目を凝らす。……けれど、光はもう二度と灯らなかった。
ため息が漏れる。
黒ローブの男、カルヴァスが背後から静かに言う。
「レイラ、アストラルドと連絡は取るな。取れても、それは罠だ。忘れろ」
レイラは唇を噛みしめる。
でも心の奥では、なお願う。
——誰か、答えて。
***
【アストラルドの監視塔】
ベッドに寝転びながら、俺は考える。
この世界、なんかおかしい。
星刻の祭壇、ゾルティスの霧、異世界人がふたり、そして核兵器の紙。
リリアナの話、全部がどこかで繋がっている気がする。
俺は「救世主」として召喚された。
でも、それって本当か?
あの光の向こうにいる奴は敵なのか?
それとも、俺と同じ、ただの駒か?
渓谷の星が、静かに瞬いている。
——俺の答えは、まだ出ない。
このときは、まだ知らなかった。
俺たちが握る“鍵”が、世界を焼き尽くすかもしれないことを。
(第1章 第4話に続く)