【アストラルド、監視塔】
星刻の渓谷。
朝日を浴びた岩肌が、宝石のようにきらめいている。
ひんやりとした空気が、澄んだ風に乗って肌をなでた。
デッキで背伸びをして、大きく深呼吸。
「……うーん、最高。さて、朝飯の前にお勤めを頑張るか」
塔を降りて見上げる。
白壁が朝日を受けて金色に輝き、三十メートルはあるその高さで、神殿のような威厳があった。
「点検、点検……っと」
口に出して歩き出す。とはいえ、やることはそう多くない。
CIWS(自動迎撃装置)は、今日も対岸をにらんだまま沈黙している。
魔力で放たれる光の矢は、実弾がない分、魔石の残量をチェックするだけで済む。
「満タン、OK」
次に、スマートミサイルの残量確認。追尾式の魔法兵器だ。
そのとき。
ヒュッ
対岸から、何かが飛んできた。
「うおっ……!」
思わずのけぞり、腰の光信号機に手を伸ばす。狙いを定めようとしてふと、気づく。
「……あれ? 迎撃しない?」
CIWSもミサイルも、石像のように静止したままだ。
タブレットを確認すると、索敵モードはちゃんとオートになっていた。
だけど……。
「嫌な感じが、しない……?」
あの霧のとき特有の、ノイズのような頭痛や胸騒ぎもない。
ふらふらと近づいてくるそれは、白い折り鶴のような鳥だった。
ぎこちなく羽ばたき、風に流されるように、ゆらゆらとこちらへ向かっていた。
***
【ゾルティス連合、岩壁の塔】
レイラは、昨日もらったスケッチブックをそっと開いた。
食事用トレイほどの大きさで、両手で抱えるとすっぽり隠れてしまいそうだ。
紙は分厚く、筆圧をしっかりと受け止めてくれる手触り。
ページの片隅に、小さくメッセージを書く。
「……届いて。どうか、あの人に」
思い出すのは、街の外れで出会った獣人の老婆の言葉。
「これを使うと、願った相手に届くのよ。何に使うかはあなた次第。頑張って」
あの時の目は、どこかすべてを知っているようで、けれど優しく、温かかった。
月折波(つきおりなみ)
空を飛び、遠く離れた相手へ想いを届ける、特殊な魔法がかけられた紙。
その文字は、相手が紙を開き、月光を浴びたときにはじめて浮かび上がる。
獣人の老婆は、そう教えてくれた。
「どうして、私に?」
「どうしてだろうね。私も若いときにいろいろあったから……。そうね、あえて言うなら、後悔してほしくない。戦争は悲劇しか生まない。相手を倒せば幸せになれるなんて、うそ。だから、あなたには頑張ってほしいのよ」
レイラは頭を下げてお礼を言うと、塔に戻った。
膝の上でスケッチブックを広げ、ページの中央にゆっくりと文字をつづる。
「私は、あなたと話がしたい。できれば……わかり合いたい」
ペンの先がわずかに震えた。
ほんの数日前まで、敵と味方の線引きがこれほど曖昧になるなんて、想像もしていなかった。
書き終えたレイラは、深く息を吸い込み、空を見上げる。
「お願い。届いて」
指先で紙の端を弾くと、紙がふわりと浮かび上がる。
月光を吸い込んだかのように淡く光りながら、折り鶴のように折り畳まれていく。
やがて風がそっと舞い上がると、折り鶴は羽ばたくように空へと飛び立った。
朝焼けの空に吸い込まれるように、小さく、小さくなっていくその姿を、レイラはずっと見つめていた。
「……信じてる。あなたなら、きっと気づいてくれる」
(第2章 第8話に続く)