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第7話 月が照らすまでは (Part 1)


【アストラルド、監視塔】


 星刻の渓谷。

 朝日を浴びた岩肌が、宝石のようにきらめいている。

 ひんやりとした空気が、澄んだ風に乗って肌をなでた。


 デッキで背伸びをして、大きく深呼吸。


「……うーん、最高。さて、朝飯の前にお勤めを頑張るか」


 塔を降りて見上げる。

 白壁が朝日を受けて金色に輝き、三十メートルはあるその高さで、神殿のような威厳があった。


「点検、点検……っと」


 口に出して歩き出す。とはいえ、やることはそう多くない。


 CIWS(自動迎撃装置)は、今日も対岸をにらんだまま沈黙している。

 魔力で放たれる光の矢は、実弾がない分、魔石の残量をチェックするだけで済む。


「満タン、OK」


 次に、スマートミサイルの残量確認。追尾式の魔法兵器だ。

 そのとき。


 ヒュッ


 対岸から、何かが飛んできた。


「うおっ……!」


 思わずのけぞり、腰の光信号機に手を伸ばす。狙いを定めようとしてふと、気づく。


「……あれ? 迎撃しない?」


 CIWSもミサイルも、石像のように静止したままだ。

 タブレットを確認すると、索敵モードはちゃんとオートになっていた。


 だけど……。


「嫌な感じが、しない……?」


 あの霧のとき特有の、ノイズのような頭痛や胸騒ぎもない。

 ふらふらと近づいてくるそれは、白い折り鶴のような鳥だった。

 ぎこちなく羽ばたき、風に流されるように、ゆらゆらとこちらへ向かっていた。


       ***


【ゾルティス連合、岩壁の塔】


 レイラは、昨日もらったスケッチブックをそっと開いた。

 食事用トレイほどの大きさで、両手で抱えるとすっぽり隠れてしまいそうだ。

 紙は分厚く、筆圧をしっかりと受け止めてくれる手触り。


 ページの片隅に、小さくメッセージを書く。


「……届いて。どうか、あの人に」


 思い出すのは、街の外れで出会った獣人の老婆の言葉。


「これを使うと、願った相手に届くのよ。何に使うかはあなた次第。頑張って」


 あの時の目は、どこかすべてを知っているようで、けれど優しく、温かかった。


 月折波(つきおりなみ)

 空を飛び、遠く離れた相手へ想いを届ける、特殊な魔法がかけられた紙。

 その文字は、相手が紙を開き、月光を浴びたときにはじめて浮かび上がる。


 獣人の老婆は、そう教えてくれた。


「どうして、私に?」


「どうしてだろうね。私も若いときにいろいろあったから……。そうね、あえて言うなら、後悔してほしくない。戦争は悲劇しか生まない。相手を倒せば幸せになれるなんて、うそ。だから、あなたには頑張ってほしいのよ」


 レイラは頭を下げてお礼を言うと、塔に戻った。


 膝の上でスケッチブックを広げ、ページの中央にゆっくりと文字をつづる。


 「私は、あなたと話がしたい。できれば……わかり合いたい」


 ペンの先がわずかに震えた。

 ほんの数日前まで、敵と味方の線引きがこれほど曖昧になるなんて、想像もしていなかった。


 書き終えたレイラは、深く息を吸い込み、空を見上げる。


「お願い。届いて」


 指先で紙の端を弾くと、紙がふわりと浮かび上がる。

 月光を吸い込んだかのように淡く光りながら、折り鶴のように折り畳まれていく。


 やがて風がそっと舞い上がると、折り鶴は羽ばたくように空へと飛び立った。


 朝焼けの空に吸い込まれるように、小さく、小さくなっていくその姿を、レイラはずっと見つめていた。


 「……信じてる。あなたなら、きっと気づいてくれる」



(第2章 第8話に続く)


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