【アストラルド、監視塔】
ゆらゆらと飛ぶ、折り鶴。
「なんだ? 敵の攻撃じゃない?」
その奇妙な“鳥”は、ふらふらと風に流されながら渓谷を渡り、やがて塔のデッキに、そっと落ちた。
パタリと動きを止め、まるで「読まれるのを待っている」かのようだった。
「気持ち悪い……なんだよ、コレ?」
俺は、しばらく遠巻きに見ていたが、光信号機を手にして、そいつを軽くつついてみた。
反応はない。ただの紙に見える。毒や罠ではなさそうだ。
「……はあ、仕方ない」
腹をくくって、俺はしゃがみ込み、そっとそれを拾い上げた。
恐る恐る開いてみると、それはふわりとほどけて、一枚の紙になった。
「……なんだ、ただの紙?」
真っ白だった。まっさらで、何も書かれていない。
拍子抜けしたような、でもどこかほっとするような――そんな安堵とともに、イラつきも湧いてきた。
「意味わかんねーよ。こんなの飛ばして、からかってんのか?」
指先で紙の感触を確かめる。
日本の折り紙とは明らかに違う、厚くてしっとりした手触り。
どこかで触ったことがあるような、そう、スケッチブックの用紙に近い。
何の魔法なのか、どういう仕組みなのか、まるで分からない。
俺の知識じゃ判断しようがない。
知らずに、その紙は月を待っていた。
月光を浴びることで初めて、送り主の想いが「届く」という仕組みを、レイラはすっかり忘れていたのだ。
だから、今はまだ白紙のまま。
ツバサにとっては、ただの「無言」でしかない。
「……もう、なんなんだよ」
紙を見つめる視線に、じわじわと苛立ちがにじんでいく。
敵意も、言葉も、何ひとつ伝わらない。
魔法の気配に気づくこともできず、ツバサの胸に残ったのは、戸惑いと薄い不安だけだった。
***
その日は、どこか落ち着かないまま過ぎていった。
点検が終われば、あとはほとんどやることのない異世界。
黒の霧さえ来なければ、ここはただ静かなだけの場所だった。
今日の夕食:石焼ビビンバ(韓国)
熱々の石鍋から立ちのぼる香ばしい湯気。
ジュウジュウと音を立てる焦げご飯の匂いに、食欲が刺激される。
彩り豊かなナムルと卵、たっぷりのコチュジャンを混ぜ、豪快にかき込む。
それだけで、少し気分が晴れた。
「石鍋まで出てくるって……美味すぎだろ、これ!」
ひとり言ちる声が、静かな塔にやさしく響いた。
就寝前、ふと思い立ってデッキに出た。
相変わらず、ゲームの中にいるような不思議な景色が広がっている。
空に浮かぶ月は、地球で見慣れた灰色の天体ではなく、淡く光る水色の星だった。
その幻想的な光が渓谷を照らし、静寂の中にどこか夢のような現実味を与えている。
「……諦めたか」
今日はまだ、対岸からの光は一度も見えない。
そのことに安堵する自分がいる一方で、心のどこかで「何か」を待っていることにも気づく。
その曖昧な感情は、静かな落胆となって胸の奥に沈んでいった。
――そんな夜だった。
***
【ゾルティス連合、岩壁の塔】
「どうして……どうして返事をくれないのよ……」
レイラは小さく震える両手を握りしめ、対岸の塔をじっと見つめていた。
目の奥に涙が滲むが、拭うことなくそのままだった。
けれど、彼女はまだ気づいていない。
あの紙に文字が浮かぶのは、月光を浴びたときだけだということに。
「やっぱり……敵なのかも」
ぽつりと呟く声は震え、口元はきゅっと結ばれる。
また裏切られたのかもしれない。
そんな思いが、静かに胸を締めつける。
レイラの足元には、月光に照らされた影が細く長く伸びていた。
(第2章 第9話に続く)