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第8話 月が照らすまでは (Part 2)


【アストラルド、監視塔】 


 ゆらゆらと飛ぶ、折り鶴。


「なんだ? 敵の攻撃じゃない?」


 その奇妙な“鳥”は、ふらふらと風に流されながら渓谷を渡り、やがて塔のデッキに、そっと落ちた。

 パタリと動きを止め、まるで「読まれるのを待っている」かのようだった。


「気持ち悪い……なんだよ、コレ?」


 俺は、しばらく遠巻きに見ていたが、光信号機を手にして、そいつを軽くつついてみた。

 反応はない。ただの紙に見える。毒や罠ではなさそうだ。


「……はあ、仕方ない」


 腹をくくって、俺はしゃがみ込み、そっとそれを拾い上げた。

 恐る恐る開いてみると、それはふわりとほどけて、一枚の紙になった。


「……なんだ、ただの紙?」


 真っ白だった。まっさらで、何も書かれていない。


 拍子抜けしたような、でもどこかほっとするような――そんな安堵とともに、イラつきも湧いてきた。


「意味わかんねーよ。こんなの飛ばして、からかってんのか?」


 指先で紙の感触を確かめる。

 日本の折り紙とは明らかに違う、厚くてしっとりした手触り。

 どこかで触ったことがあるような、そう、スケッチブックの用紙に近い。


 何の魔法なのか、どういう仕組みなのか、まるで分からない。

 俺の知識じゃ判断しようがない。



 知らずに、その紙は月を待っていた。

 月光を浴びることで初めて、送り主の想いが「届く」という仕組みを、レイラはすっかり忘れていたのだ。


 だから、今はまだ白紙のまま。

 ツバサにとっては、ただの「無言」でしかない。


 「……もう、なんなんだよ」


 紙を見つめる視線に、じわじわと苛立ちがにじんでいく。

 敵意も、言葉も、何ひとつ伝わらない。

 魔法の気配に気づくこともできず、ツバサの胸に残ったのは、戸惑いと薄い不安だけだった。


       ***


 その日は、どこか落ち着かないまま過ぎていった。


 点検が終われば、あとはほとんどやることのない異世界。

 黒の霧さえ来なければ、ここはただ静かなだけの場所だった。


 今日の夕食:石焼ビビンバ(韓国)


 熱々の石鍋から立ちのぼる香ばしい湯気。

 ジュウジュウと音を立てる焦げご飯の匂いに、食欲が刺激される。

 彩り豊かなナムルと卵、たっぷりのコチュジャンを混ぜ、豪快にかき込む。

 それだけで、少し気分が晴れた。


「石鍋まで出てくるって……美味すぎだろ、これ!」


 ひとり言ちる声が、静かな塔にやさしく響いた。


 就寝前、ふと思い立ってデッキに出た。


 相変わらず、ゲームの中にいるような不思議な景色が広がっている。


 空に浮かぶ月は、地球で見慣れた灰色の天体ではなく、淡く光る水色の星だった。

 その幻想的な光が渓谷を照らし、静寂の中にどこか夢のような現実味を与えている。


「……諦めたか」


 今日はまだ、対岸からの光は一度も見えない。

 そのことに安堵する自分がいる一方で、心のどこかで「何か」を待っていることにも気づく。

 その曖昧な感情は、静かな落胆となって胸の奥に沈んでいった。


 ――そんな夜だった。


       ***


【ゾルティス連合、岩壁の塔】


「どうして……どうして返事をくれないのよ……」


 レイラは小さく震える両手を握りしめ、対岸の塔をじっと見つめていた。

 目の奥に涙が滲むが、拭うことなくそのままだった。


 けれど、彼女はまだ気づいていない。

 あの紙に文字が浮かぶのは、月光を浴びたときだけだということに。


「やっぱり……敵なのかも」


 ぽつりと呟く声は震え、口元はきゅっと結ばれる。

 また裏切られたのかもしれない。

 そんな思いが、静かに胸を締めつける。


 レイラの足元には、月光に照らされた影が細く長く伸びていた。



(第2章 第9話に続く)


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