「レイラ、見ろ。奴らは唯一の中立地帯である渓谷を焼き払った。どれだけ野蛮な行為か、わかっただろう?」
黒いローブの指導者――カルヴァスが、背後から静かに言った。
塔のデッキから見える光景は、まさに煉獄。赤い炎が渓谷をなめ尽くし、黒煙が空を裂いていた。
「……それは」
レイラは言葉に詰まり、拳を握る。今回ばかりは言い訳のしようもない。
もしこの火が街に届けば、獣人も、エルフも、人間も、みんな死ぬ。
それだけは絶対に、させない。
「わかったなら、気を緩めるな。対岸のアストラルド帝国は敵。それを忘れるな」
レイラは小さく頷いた。
満足したのか、カルヴァスは静かに出ていった。
燃える峡谷。
月明かりさえも、飲み込もうとしていた。
***
【アストラルド、監視塔】
深夜、また目が覚めた。
窓が少し開いていたせいか、峡谷から冷たい風が入り込んでくる。
肌にじわっと冷たさが染みた。
ふらりと立ち上がり、そのままデッキへ出る。
火はもう消えていた。
渓谷は月明かりに照らされて、淡く光っていた。
戦争という実感が今になって込み上げてきて、目が潤む。
指先ひとつで、兵器が動き、敵を撃つ。
今回は魔法を攻撃しただけだったけど、これが人だったら……俺は今日みたいに撃てるのか?」
対岸のレイラ。
彼女はどう思っているのだろう。
それとも、戦うことは当たり前と感じているのか。
俺はまた、騙されているのか。
「わからない。なにもかも……」
誰にも何も話せないなんて、こんなに辛いとは思わなかった。
家にいるときは、少なくとも親には言えた。馬鹿にされても、呆れられても、話し相手がいた。
「クソ……俺ってこんなに弱かったのかよ」
頰に涙がつたい、ぽたりと落ちた。
「……情けねえな」
誰も答えない。
渓谷の風だけが時おり音を立てて舞い上がる。それが、唯一の返事みたいだった。
***
翌朝。
デッキに出ると、折り鶴が落ちていた。
レイラからの手紙。
膝をつき、伸ばす手が一瞬、躊躇う。騙され続けた過去が、俺の腕を止める。
「朝からガチ重だな……」
きつく握られた手を、ゆっくり開いて拾い上げた。
俺宛なのだろう。折り鶴は勝手に展開し、白紙の紙が現れた。
月光を浴びて浮かび上がる文字に、朝日は無意味だった。
「夜まで待てってか。クソ……イライラするな、この手紙」
握りつぶそうとして、やめた。
「なんだよ……俺って意気地なしかよ」
なかったことにしたいはずなのに、未練が邪魔する。
舌打ちをして、部屋に戻った。
今日は一日、資料室に籠ろう。
なにか珍しいものが見つかるかもしれない。
机に白い紙を置いて、部屋を後にした。
正面から向き合えない、いつもの弱い自分に唾を吐きたくなった。
(第2章 第14話に続く)