翌朝。
母に起こされた。そう思った。
「なんだよ、まだ眠いんだって……母さん」
ドスッ!
ベッドから転げ落ちた。
「痛ッ! なにすんだよ!」
「起きろ、もう昼だ。ツバサ・ミナセ」
冷たい声。母じゃない!?
寝ぼけ眼でそばに立つ者を見上げる。
シーツを掴んでいたのは、白銀の長髪に、冷たい紫の瞳を持つ美貌の魔導士――セラフィナ・アストラルド。
寝起きに美人は悪くないが、昨日俺は……。
「今から、兵器を増設する。お前も立ち会え」
「……はあ? 増設?」
「そうだ。近々、ゾルディス兵が攻め込んでくるという情報を掴んだ。今の状態でも問題ないが、用心に越したことはない」
淡々と話す声音に、感情もくそもない。
決められたことを、決められたままにする。そんな冷たさだった。
「そんな情報知らないんですけど?」
立ち上がり、反論してみる。
「ツバサ・ミナセが知る必要はない。敵を迎え撃てばいい。それ以上は期待しない」
「……なにそれ。自分たちの戦争に俺を巻き込むなよ!」
昨日の苛立ちが、自分の不甲斐なさが言葉に乗って、自分でも信じられないくらいの勢いで叫んでいた。
一瞬、セラフィナの目が細まる。
すっと一歩前に出て、顔を近づける。
整った顔立ち。長いまつ毛。
紫の瞳は、どこまでも透き通っていて、まるで見透かすようだった。
「自分たちと言ったか。そうだ、我々の戦いだ。君は巻き込まれた。そして、ゾルディス兵を殺した。それでも当事者ではないと言って、逃げるか?」
「……えっ。なにそれ」
「信じられないなら、下へ来るといい」
そう言い残して、セラフィナは白銀の髪を揺らしながら、部屋を出ていった。
慌ててデッキに出る。
手すりに身を乗り出し、塔の下を見た。
崖のふちで数人の兵士が何かを引き上げている。
黒い布に包まれた、細長い人型の何か。
「……うそ……だろ……」
思考が止まりそうになる。
頭の奥がしんと冷えて、胃のあたりが縮む感覚。
俺は急いで部屋に戻り、服を着替え、外へと飛び出した。
***
塔の下では、すでに多くの兵士が集まっていた。
台車に載せられた兵器——CIWS、見たことのない兵装。
次々に運ばれていく。準備が、静かに進んでいる。
その隅。
崖の近くに、黒布で覆われた人型の何かが並べられていた。
そのすぐそばに、セラフィナの姿がある。
「運び出せ。調査はあとにしろ」
彼女の命令に、兵士たちが動き出す。
俺は、ふらふらとその場に近づいていった。
焦げた臭いが鼻を刺し、反射的に顔を背ける。
「ツバサ・ミナセ、近くに来なさい」
銀のローブの袖が、すっと手招きをする。
嫌だった。本当は、逃げ出したかった。
けれど、どうしても、見なくてはならない気がした。
足が、自然と動いていた。
「目を逸らすな。これが戦争だ。そして君がしたことだ」
冷たい声が、心の奥まで刺さる。
セラフィナが合図すると、兵士が布を捲った。
「……っ!」
嗚咽が漏れる。
黒く焼け焦げ、崩れかけた何か。
炭のように脆く、風が吹けば壊れてしまいそうなほど。
そのうちの一体が支えを無くしたように揺れ、頭部の一部がごっそり崩れ落ち、中身が露わになる。
「オエッ!」
堪らず、嘔吐した。
アニメや映画、ゲームで見たことのある『戦争』なんて、何の意味もなかった。
目の前の「現実」は、それよりずっと、重くて、臭くて、恐ろしい。
立っていられず、膝をついた。
「理解したか。これで君も、立派な当事者だ。昨日の砲撃で、君はゾルディス兵を倒した。……戦果だよ、誇れ」
セラフィナはそう言って、俺の背を一度だけ叩くと、何も言わず去っていった。
喉が焼けるように熱い。涙が止まらない。
……戦果?
そんなの、いらない。
そう叫びたくても、言葉にならない。
ただ、込み上げてくる胃液と、流れる涙に沈むだけだった。
俺は、地面にうずくまり、嘔吐物と後悔にまみれた。
(第2章 第18話に続く)