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第17話 言葉の届く距離 (Part 2)


 翌朝。

 母に起こされた。そう思った。


「なんだよ、まだ眠いんだって……母さん」


 ドスッ!


 ベッドから転げ落ちた。


「痛ッ! なにすんだよ!」


「起きろ、もう昼だ。ツバサ・ミナセ」


 冷たい声。母じゃない!?

 寝ぼけ眼でそばに立つ者を見上げる。


 シーツを掴んでいたのは、白銀の長髪に、冷たい紫の瞳を持つ美貌の魔導士――セラフィナ・アストラルド。

 寝起きに美人は悪くないが、昨日俺は……。


「今から、兵器を増設する。お前も立ち会え」


「……はあ? 増設?」


「そうだ。近々、ゾルディス兵が攻め込んでくるという情報を掴んだ。今の状態でも問題ないが、用心に越したことはない」


 淡々と話す声音に、感情もくそもない。

 決められたことを、決められたままにする。そんな冷たさだった。


「そんな情報知らないんですけど?」


 立ち上がり、反論してみる。


「ツバサ・ミナセが知る必要はない。敵を迎え撃てばいい。それ以上は期待しない」


「……なにそれ。自分たちの戦争に俺を巻き込むなよ!」


 昨日の苛立ちが、自分の不甲斐なさが言葉に乗って、自分でも信じられないくらいの勢いで叫んでいた。


 一瞬、セラフィナの目が細まる。

 すっと一歩前に出て、顔を近づける。


 整った顔立ち。長いまつ毛。

 紫の瞳は、どこまでも透き通っていて、まるで見透かすようだった。


「自分たちと言ったか。そうだ、我々の戦いだ。君は巻き込まれた。そして、ゾルディス兵を殺した。それでも当事者ではないと言って、逃げるか?」


「……えっ。なにそれ」


「信じられないなら、下へ来るといい」


 そう言い残して、セラフィナは白銀の髪を揺らしながら、部屋を出ていった。


 慌ててデッキに出る。

 手すりに身を乗り出し、塔の下を見た。


 崖のふちで数人の兵士が何かを引き上げている。

 黒い布に包まれた、細長い人型の何か。


「……うそ……だろ……」


 思考が止まりそうになる。

 頭の奥がしんと冷えて、胃のあたりが縮む感覚。


 俺は急いで部屋に戻り、服を着替え、外へと飛び出した。


   ***


 塔の下では、すでに多くの兵士が集まっていた。


 台車に載せられた兵器——CIWS、見たことのない兵装。

 次々に運ばれていく。準備が、静かに進んでいる。


 その隅。

 崖の近くに、黒布で覆われた人型の何かが並べられていた。


 そのすぐそばに、セラフィナの姿がある。


「運び出せ。調査はあとにしろ」


 彼女の命令に、兵士たちが動き出す。


 俺は、ふらふらとその場に近づいていった。

 焦げた臭いが鼻を刺し、反射的に顔を背ける。


「ツバサ・ミナセ、近くに来なさい」


 銀のローブの袖が、すっと手招きをする。


 嫌だった。本当は、逃げ出したかった。

 けれど、どうしても、見なくてはならない気がした。


 足が、自然と動いていた。


「目を逸らすな。これが戦争だ。そして君がしたことだ」


 冷たい声が、心の奥まで刺さる。

 セラフィナが合図すると、兵士が布を捲った。


「……っ!」


 嗚咽が漏れる。


 黒く焼け焦げ、崩れかけた何か。

 炭のように脆く、風が吹けば壊れてしまいそうなほど。


 そのうちの一体が支えを無くしたように揺れ、頭部の一部がごっそり崩れ落ち、中身が露わになる。


「オエッ!」


 堪らず、嘔吐した。


 アニメや映画、ゲームで見たことのある『戦争』なんて、何の意味もなかった。

 目の前の「現実」は、それよりずっと、重くて、臭くて、恐ろしい。


 立っていられず、膝をついた。


「理解したか。これで君も、立派な当事者だ。昨日の砲撃で、君はゾルディス兵を倒した。……戦果だよ、誇れ」


 セラフィナはそう言って、俺の背を一度だけ叩くと、何も言わず去っていった。


 喉が焼けるように熱い。涙が止まらない。


 ……戦果?


 そんなの、いらない。


 そう叫びたくても、言葉にならない。

 ただ、込み上げてくる胃液と、流れる涙に沈むだけだった。


 俺は、地面にうずくまり、嘔吐物と後悔にまみれた。



(第2章 第18話に続く)


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