塔に戻ると、昨夜出しっぱなしにした机に、思わず突っ伏した。
胃の奥にまだ残る酸味と、喉の痛み。あの焼けた臭いが、鼻の奥から消えない。
そこに扉がノックされ、兵士が入ってきた。
「失礼します。CIWSと、今回新たに設置した迎撃装置の仕様書です。タブレットに記録をお願いします。我々では操作できませんので」
手渡されたファイルの束が、机に無造作に置かれた。無機質な文字の羅列が、今の自分にはまるで呪文に見える。
「……わかった。あとでやる」
思わず、そう返した声はくぐもっていた。兵士は俺の顔を見て、すぐに目をそらす。
「……きついですよね、あれは」
兵士がぼそりと漏らす。
「正直、俺たちも見たくはなかったです。でも……」
唾を飲み込む音がする。
「でも、そうならないために戦うしかないんです。……あれが明日の自分たちかもしれないから」
言葉が、重く胸に沈んだ。
「……アストラルドの民が、あんなふうになるのを、俺たちは絶対に許せない」
彼の声は、震えていた。怒りか、恐怖か。たぶん、両方だろう。
「……」
俺は何も言えなかった。ただ、握りしめた拳が、机の上でわずかに震えた。
兵士はそれ以上何も言わず、静かに部屋を出ていった。
静寂が戻る。
風が吹き抜け、紙の揺れる気配が舞い込んできた。
思わず顔を上げるも、それは錯覚で、兵士が置いていったファイルの束が風に揺れているだけだった。
「レイラ……君ならどうした?」
ふと、感じた。
昨夜ここでレイラに書いた手紙。
今なら違うことを、もっと優しくなれたかもしれない。
後悔と悔しさが込み上げる。
戻れるなら今すぐ戻りたい。
そんな身勝手なことを思う自分が、昨夜のことを思い出していた。
***
深夜。
俺は机をデッキまで運び、月明かりの下で手紙を書いた。
二通書いた。
一つ目はすぐに書けた。迷いもなかった。
折りたたんだ紙が鶴になり、月光を受けながら、頼りなく空へと舞い上がっていく。
やがて闇に紛れ、見えなくなった。
それから、二通目。――本音の手紙を書く。
「レイラ。
黒の霧は、君が操っているのか?
俺たち召喚者は、魔法が使えないはずだよな?
でも、あれが来ると、俺は狂わされる。
あれは、敵なんだ。
君が味方だって証拠は、どこにもない。
この文通だって、俺を罠にかける手段かもしれない。
それでも、信じたい。
俺だって、本当は信じたい。
でも、今は……無理だ。
ツバサ」
ほとんど殴り書きだった。
取り繕う余裕なんてない。
素直に、ありのままを書いた。
文通なんてしたことがない俺には、これが精いっぱいだった。
手紙をそっと折ると、また一羽の白い折り鶴になる。
静かに羽ばたき、夜の空へ消えていった。
これを読んで、レイラはどう思うだろう。
もう、返事は来ないかもしれない。
それでも、いいと思った。
「……なんだよ、俺って、自分勝手だな……」
相手の気持ちを考えるより、自分の防衛ばかり。
疑って、傷つかないようにして、それで安心したつもりになっている。
「最低だな、俺……」
椅子にもたれて、夜空を見上げる。
満天の星に、寄り添うように浮かぶ二つの月。
「……当てつけかよ」
冗談混じりに吐き出した声に、誰も答えない。
わかってる。
本当は、自分だって、誰かと寄り添いたいだけなんだ。
でも、簡単には変われない。
ふらりと立ち上がり、ベッドへ向かう。
もぐり込む姿は、まるで拗ねた子どものようだった。
(第2章 第19話に続く)