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第19話:言葉の届く距離 (Part 3-2)ーレイラ視点ー


【ゾルティス連合・岩壁の塔】


 月が雲に隠れては現れ、燃え残った渓谷を青白く照らした。

 レイラの折り鶴は、たったいま闇に溶けて見えなくなる。


 二通目。これで全部で三通になった。

 ちょっと重いかな、と心配しながらも、書く手は止まらなかった。


 「名前が分かっただけで近づけた気がする」


 そう書いたけれど、本当は怖くてたまらない。

 黒い霧の襲撃はほんの数刻前。あの炎の向こうで、彼が無事かどうかも分からない。


 もし、霧を操っているのが自分のせいだと思われたら?

 そして、もし彼が私を敵だと信じてしまったら?


 塔の石壁にもたれ、胸の奥で折り畳んだ不安を指先でなぞる。

 夜風が吹くたび、焼け焦げた匂いと灰が舞い上がり、喉の奥が苦くなった。 


 ふいに、紙がはらりと揺れた。

 掌に残った数枚の『月折波』——月光でしか読めない特製の用紙。


 満月は今夜が最後、次は新月。もし今夜も返事がないまま月が欠けたら、私はまた長い闇を抱えて待つことになる。


「せめて、無事でいますように……」


 祈りの声は風に散っていく。祈るだけでは届かないと分かっていても、祈るしかできなかった。 


 足音。

 振り向くと、黒ローブの魔道士が巡回の報告に来ただけだった。

 胸を撫で下ろし、慌てて紙を外套の内ポケットへ隠す。


 この手紙のやり取りを、カルヴァスに知られたら終わりだ。


 再び一人になると、私は手すりに肘をつき、渓谷の闇を見下ろした。

 敵か味方かさえ分からない相手に、どうしてこんなにも言葉を送りたくなるのだろう。


 月明かりが指先を照らす。紙は淡く光り、まるで「今度はあなたの番」と催促しているみたいだった。 


「ツバサは、返事を書いてくれるだろうか」


 そう思った瞬間だった。


 カツン、と硬いものが塔の外壁に当たる微かな音。

 風に乗って白い影がふわりと舞い、私の足元へ転がった。 


 折り鶴。

 さっき送り出したものとは折り目の形が違う。すぐに前日に出した手紙だとわかった。

 月光を受け、鶴が淡く脈打つ。 


「……来た」


 胸が跳ねた。けれど、すぐに開く勇気が出ない。

 もし拒絶の言葉が綴られていたら。


 そう考えるだけで手が震える。 


 呼吸を整え、そっと折り目をほどく。

 月の光が紙全体に行きわたり、インクの跡がゆっくりと浮かび上がった。 



 「あんたが本気で言ってるのか、まだわからない。

  でも、俺の名前を呼んでくれたのは、正直……少し嬉しかった。


  こんなふうに誰かと話すのは久しぶりだ。

  あんたの言葉には、変な嘘っぽさがない。

  それだけで、今は充分だ。


  言えないことがあるのもわかる。

  俺にも、話したくないことは山ほどあるから。


  だけど、こうしてやりとりするのは……悪くない。


  この紙は、日本では折り紙って言うんだ。

  それで鳥の形を折ったものが折り鶴。


  次の夜、空を見るよ、レイラ。


                     ツバサ」



 涙が溢れた。


「ツバサ、ありがとう……」


 淡く光る手紙を胸に押し付ける。

 感じないはずの温もりを感じて、胸が熱くなる。


 風が頰を撫でて、髪がふわりと流れる。


 遠くを見つめる先に、光るものが見えた。


「えっ、今送った手紙、返事をくれたの!?」


 レイラは嬉しさのあまり声を出した。

 自分でも分かるくらい大きな声だったので、思わず口を押さえる。


 高鳴る思いを抑えつつ、ゆらゆら飛んでくる白い光りに待ちきれなかった。


「はやく、はやく!」


 ツバサが教えてくれた言葉を口にする。


「……折り鶴。はやく来て!」


 祈りのような叫びに、折り鶴は誘われるようにやがて目の前に舞い降りた。

 レイラは目一杯腕を伸ばす。


 次はどんなことを知れるだろう。

 ツバサはなにを教えてくれるだろう。


 手に届いた折り鶴を解くと、文字が浮かぶ。


 そこに書かれていた言葉を読み、レイラの目は曇り、やがて大粒の涙がこぼれ落ちた。

 涙が紙に落ちないよう、そっと両手で包み込む。


「……ごめんね、ツバサ」


 小さくつぶやいた声は、夜風にさらわれていく。

 でもその声には、もう怯えや迷いはなかった。


 たとえ疑われても、たとえこの距離が埋まらなくても、それでも私は、もう逃げない。


 彼の心に、言葉が届いた。

 それだけで、今は十分だった。


 レイラはそっと顔を上げた。空には雲が晴れ、二つの月が並んで光っていた。


「……ありがとう。待っててね、ツバサ」


 そう囁いた瞳は、濡れていたけれど、どこまでもまっすぐだった。



(第2章 第20話に続く)


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