「レイラ。黒の霧は、君が操っているのか?」
「俺だって信じたい。でも、今は……無理だ」
手紙の文字が脳裏に浮かび、胸に小さな痛みが刺さる。
「そっか……信じたいんだね。私も、同じだよ」
紙を胸に抱き、夜空を見上げる。
雲の隙間から二つの月が顔を覗かせていた。
欠けゆく月と、まだ満ちる月。
距離はあるけれど、同じ空にいる。
その事実だけが、今は救いだった。
返事を書かなきゃ。それも今夜のうちに。
レイラは部屋に戻り、蝋燭に火を点けた。
細い炎が揺れるたび、紙面に浮かぶ彼の言葉も小さく揺れている。
さっきまで凍えていた指先が、熱を取り戻すのを感じながら、レイラは新しい月折波にペンを走らせた。
***
【アストラルド、監視塔】
塔のデッキで陽が沈むのを見ていた。
何もしたくなかった。
兵士が帰った後も、俺はただ座って峡谷を眺めていた。
「なんでこうなった……。召喚者なんて、一体誰が頼んだよ!」
口に出る言葉は、他人の批判ばかり。
自分のことを言いたかったが、それを口にするだけの勇気も、根性もない。
ヘタレ野郎。内心で呟く。
吹き上げる峡谷の風の冷たさに、いい加減飽きてきた俺は、重い腰を上げた。
そのときだった。
デッキの隅に白い折り鶴が、器用に嘴を折り曲げて挟まっているのが見えた。
「……えっ、まさか昨日の夜から?」
驚きながらもふらつく足をどうにか動かして、手に取った。
自分宛なのはすぐに分かった。
折り鶴は俺の手のひらでするすると折り目をほどいて、一枚の紙になる。
夕刻。
文字は見えない。
真っ白な紙があるだけだった。
「……ふう。レイラ、君は強いよ。俺の手紙を見て、まだ返事を出そうとするなんて」
呆れた俺は、手紙と分厚いファイルを手に、部屋へと戻った。
今日の夕食は、軽め。
あんなものを見た後だというのに、お腹が減っていた。
図太いのか繊細なのか、自分でもよくわからなくなっていた。
お米と味噌汁。
おかずなし。
いつぞやの食事に似ていたが、今はそれだけで十分だった。
食べ終わった後、資料室にでもいこうかと思ったが、ふと折り紙のことを思い出し、デッキにでて紙をかざす。
いつもなら淡く光るはずが、今日はなぜかほとんど光らない。
空を見上げるも、雲一つない夜空だった。
「ん? なんでだ?」
裏表があるのかと、裏返してみるが同じだった。
出しっぱなしの机に紙を置いてみた。
やがて薄っすらと文字が浮かび上がる。
「薄いインクで書いたのか?」
紙の端を指で擦ると、英語から日本語になる……はずだった。
「……どういうことだ?」
そこには確かに日本語の文字があった。だが、その文字が今まさに消えかけている。
なんとか読めた文字に、背筋が凍りついた。
「ツバ……私は今……渓谷……き……す。
会って……したい。
……あなたを知りた……。
……の手紙……頃には、私は……向か……います。
もし嫌な……来な……も大丈……です。
朝まで待……す。
……くれた……の全部を……にあ……す。
……女、レイラより」
「なんだよ、くそ!」
目を凝らしてみても、細めても読めなかった。
夜空にかざす。
特定の角度にしたときだけ、文字が浮き上がるのがわかった。
紙をずらしてみると、夜空に月が二つ浮かんでいた。
地球の月とは違い、そこにあるのは分かるが光っていない。
つまり、月光がない。
「これか!」
慌てて月に向ける。すると最初の文字が見えた。
「『ツバサ、私は今から渓谷に行きます』……えっ、マジか。もう向かってるのか!?」
他の文章をどうにか読もうとしたが、文字はすでに力を失い、跡形もなく消えていた。
同時に、月は夜空に浮かぶだけの星になっていた。
俺は急いでペンを掴んだ。
書いて意味があるのか? そんな疑問がよぎる前に、文字を叩きつけるように走らせた。
月光の下でしか読めないにしても、万が一のことを考えて、震える手で書き殴った。
「今から行く。レイラ、渓谷で待っててくれ! ツバサ」
(第3章 第21話に続く)