洞窟、冷たい風が通り抜けた。
地面に置いていた携帯ライトが、カタンと倒れる。
灯が岩肌を直接照らし、魔石がきらめく。
そのせいか、隣に座っているレイラの顔に影が差し込む。
「……あ、あの、その、あれだよアレ」
しどろもどろになる。
女性に面と向かって、『信じて、生きるって決めたから』なんて……めっちゃ恥ずかしい失言だ。
変な汗が、背中をつたう。
「……ツバサ。私」
「今はいい! それ以上言わないでくれ」
掌を合わせて、拝むように頭を下げる。
「ツバサ、顔を上げて。違うの……とってもうれしいの」
「えっ?」
顔を上げた目の前のレイラの瞳は、なぜか輝いて見える。
嫌われてない?
「私も、ツバサを信じるって決めたから。思いが伝わったみたいで、うれしいの」
「……そう。そっか、アハハハ」
ヤバ、心臓がロストしそうだ。
レイラの瞳に俺が映る。
暗いが翡翠色の目に、俺は吸い込まれそうになった。
「……ツバサ」
「……レイラ」
互いに見つめ合い、じわりと距離が詰まる。
と、そのときだった。
ブンブンっとスマホのバイブのような音がした。
「あっ! もう時間だ」
「なになに!?」
急に現実に引き戻された俺は、ぽかんとした顔で、レイラの仕草を見ていた。
彼女は自分のリュックから何かを取り出す。
見た目はスマホみたいだが。
「もうすぐ見回りの時間なの。一日二回、塔の中を見回る兵士がいるの」
「マジか!?」
ようやく飲み込めた。
「だったら、早く戻らないと」
「……うん」
レイラは俯いて、小さく頷く。
携帯ライトをしまい、洞窟を出る。
星が薄く、空の端がどことなく明るい気がする。
その後、レイラが降りてきた崖の近くまで歩いた。
二人で歩く渓谷は、悪くはなかった。
ひとりのときは、死ぬほど怖がっていたくせに、今はなんともない。
このとき、並んで歩く二人の間には、詰められない渓谷のような溝が、確かにあった。
「ねえ、ツバサ」
「うん? なに?」
レイラは足を止める。
「ゾルディスのやろうとしていることを、止めようと思うの」
「……あ、ああ」
突然の告白に驚いた。
「止めるって?」
「アストラルドに攻撃を仕掛けるみたい。私、誰も死んで欲しくない。敵も味方も……」
レイラの目は真剣だった。
まっすぐ俺を見て、小さな拳を握りしめている。
「うん、わかった。俺も協力する」
「……ツバサ!」
「ぐはっ」
レイラが抱きついてきた。
俺の腰のあたりを両手できつく抱きしめる。
情けない。
女の子に、こんな思いをさせて、おまけに変な声まで出して……。
「大丈夫、戦争を止めて、二人で地球に戻ろう!」
レイラがすっと顔を上げて、「……うん。帰ろう、一緒に」と呟いた。
その声はなぜか震えているように聞こえた。
「それと、これ渡しておくね」
レイラはぱっと離れると、リュックから数枚の紙を掴んで渡してきた。
「これ、折り紙。ツバサが教えてくれた」
「おう、ありがとう」
「次の月光は、五日後だったかな? 地球とは違うみたいだから、折り鶴の手紙を書いてね」
「もちろんだ。すぐに返事を書くよ」
レイラは、ほっぺたを膨らます。
「返事じゃなくてツバサから、送って欲しいの!」
な、なるほどね。勉強になります。
「おう、任せて! って、あ!」
それで思い出した。
ここに来る前に、書いた手紙。
勢いで書いたやつ!
ヤバい、ヤバいぞ!!
「……なあ、レイラ。ものは相談なんだけど……今日着く手紙は読まずに捨ててくれないか?」
「なんで?」
小首を傾げる仕草が、超カワイイ。
「なんでって……その、あれ、勢いで書いちゃったから、見られると恥ずかしくて」
「ふーん。わかった」
レイラは素直に頷いた。
しかし、俺はこのとき、勘違いをしていた。
折り鶴が塔を目指して飛んでいくわけではないということを。
あれは届けたい相手に向かって飛んでいくことを俺は、知らなかった……。
「じゃあ、ここで……」
「わかった。気を付けてな」
「……うん」
「……」
手を伸ばせば触れ合う距離。俺はどうしても縮められなかった。
クソ、俺の意気地なし!
「また、会えるよね?」
レイラは顔をあげて俺を見る。
「絶対、会える!」
微笑む彼女に、俺は力を込めて言い切った。
「……うん。じゃあ」
レイラが振り返り、崖に向かう。
遠くなる背中が、……止まった。
ダッシュするレイラ。
そして――俺に抱きつき、唇を重ねた。
一瞬のようで、永遠にも思える時間だった。
「またね、ツバサ……今日の手紙、すっごく嬉しかったよ!」
レイラの赤くなった頰を見惚れている間に、彼女は手を振って走り去った。
ヤバくね?
いま、キスされた?
というか、もう読まれてるんだ?
放心状態はしばらく続き、気づけば辺りは朝日に照らされはじめた。
二人の間にある溝は、今この瞬間から埋まったような気がした。
(第3章 第28話に続く)