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第5話 見えなくても言えなくても

 春の風が、なにかを包むように、そっと撫でていた。


 ……やわらかい音がする。さらさら、さらさら。見上げた空は明るくて、まぶしい光の粒がふわふわと揺れていた。


 風の匂いに混じって、あたたかい気配がある。


 ――ああ、ここは……。はじめて見る空。けれど、なぜか懐かしい。


 私は腕に抱かれている。高いところから、誰かの胸にぴったりと包まれて。ぬくもりが、鼓動が、ゆっくりと伝わってくる。心地よくて、ほんのり甘い。


 この人が、父なのだと知っている。

 イハナギ。水のように澄んだひと。静かで、深くて、でも優しい波をもった声。その声が耳元で何度も私の名を呼ぶたび、胸の奥がふわっとあたたかくなる。


 ――アミツキ。


 それが、私の名前。


 けれど……そのあたたかさのなかで、不意に、私は少しだけ不安になった。


 周囲に集まった大人たちのざわめき。


 母と父が、どこか困ったような声で何かを話している。


 「……うわ、おめめ、ちがう色だ……!」


 「「え、なに、なに……こんな子、初めて見た……!」


 声には、戸惑いと驚き、そして少しの……困惑が混じっていた。


 なにか、いけなかっただろうか。


 胸がきゅっと小さくなる。


 ――見た目が、変だったのかな。こんな目、よくないのかな。


 ――父も母も、がっかりしていたらどうしよう。きらわれたら、どうしよう。


 小さな不安が、ぽつ、ぽつと心に落ちていく。


 私はなにも言えない。ただ、「クゥ」と鳴くことしかできない。でも、聞こえるすべてをわかっている。


 だからこそ、不安で、こわくて――。


 そのとき。


 「……この子も、おまえたちと同じ。私の娘。ア家に生まれ、願いの実から生まれ落ちた、かけがえのない家族だよ。」


 母の声が、やさしく響いた。


 ああ――あの声だ。毎晩、実に語りかけてくれていた、あのぬくもり。


 アマカギ。母。

冠をつけた、美しいひと。あの紅の瞳で、私を見てくれている。


 まっすぐに、真っ赤なまなざしが私を受けとめていた。否定ではなく、疑いでもなく、ただ――まっすぐな、愛しさと誇りを込めた眼差しで。


 その瞬間、胸の奥で固まっていたものが、ほろりとほどけた。


 私は、ここにいていい。


 この瞳でも、ちゃんと見つめ返していいんだ。


 ひとり、またひとり。私をのぞきこみ、驚いて、笑って、胸を押さえたり、転がったり、正座したり。


「妹可愛い……!」

「尊すぎて、苦しい……」

「かわいい、かわいい妹……」。


 そんなふうに言われるなんて思ってなかった。


 姉という言葉もまだ知らないけれど。


 でも、私を見てくれるそのまなざしが、とてもとても、うれしくて。


 私は「キュン?」と鳴いた。


 それはきっと、ありがとうの気持ち。


 はじめましての気持ち。


 そして、抱かれた父の腕のなかで、私はほんのすこし、尾をふる。


 あたたかい。ここは――安心できる。


 「……ただいま」って言いたい気持ちが、胸いっぱいに広がった。言葉にできないけれど、きっと、届いてる。


 私の家は、ここにある。

 母と父の腕の中に、姉たちのまなざしの先に。


 今日、私は、はじめて「家族」になったのだ。


 そしてきっと――ずっと、ここが私の居場所になる。



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