神木の光がそっと落ち着き、聖域の静けさが戻るころ。
閉ざされた中庭の門が開かれ、ゆっくりとイハナギが歩み出る。
その腕に、大切そうに包まれていた――小さな、命。
イツキは無意識に一歩踏み出そうとしてなんとかその場にとどまった。母のような銀白の髪、けれどその中に朱金の羽が一筋。その子の姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと強く掴まれる。
「この子が……アミツキ……。」
名を呼んだ途端、言葉が喉の奥に引っかかって出てこなくなった。
この胸に宿るこの感覚は、なんだろう。ただかわいいとか、妹だからとか、そんな薄いものじゃない。
まるで――魂が震えて、叫んでいた。
「この子は、おれが守らねばならない。」
なぜそう思ったのか、自分でも分からなかった。
けれど確かに、体の芯から、そう強く思った。
赤子のアミツキが、その左右で異なる瞳でまっすぐにイツキを見た。琥珀と真紅――世界の陽と陰、そのまなざしがすべてを透かすように感じられる。
そしてその瞳に、ぽつり、と光がにじんだ。
小さな「クゥ」という音とともに。
イツキは胸が詰まり、震える手をそっと差し出した。アミツキの小さな蹄が、それにかすかに触れる。
その瞬間、まるで魂が重なる音がした。
ふたりの中心で響いた気がした。
「やっと会えたな。……おれ、おまえのマトカラなんだ。えっと、分かるかな?同じ父と母を持つお兄ちゃんだ。」
かすれた声で言うと、アミツキはほんの一瞬だけ――笑った気がした。表情というほどではない。けれど、確かに喜んでいるのが伝わる。
「……ようこそ、アミツキ。ここに来てくれて、妹に生まれてくれて、ありがとうな。」
言葉が口をついてこぼれた。
それは誰に教わったわけでもない、心の底からの言葉だった。
見守るイハナギが、目を細める。
「イツキ。それが“兄”というものだ。魂が応えたのだな。」
「……うん。うまく言えないけどアマユラのときとはまた違う。アマユラも俺の妹だし守るべき存在だと思ってるけど。なんだろう、とにかく守らなきゃって思ってるよ。」
イツキはこぼれる涙を拭うこともせず、ただアミツキを見つめた。
「おれ、ちゃんと守る。どんなことがあっても。アミツキが笑えるように。」
小さなその命が、まだ何も知らぬその魂が、この世界に根を張り始めた。
イツキの胸には、静かに、しかし確かに――強く燃えるものが灯っていた。
神木が光をおさめ、父のぬくもりに包まれながら、アミツキはまだ名の奥にある「何か」の余韻にくるまれていた。胸のあたりが、ぽかぽかしている。それはただのぬくもりではなくて、もっと深くて、ひろがっていく、そんな光。
ふと、視線の先に――見知らぬ気配。
言葉にならないけれど、アミツキはその存在を感じ取った。母のような、けれどちがう。父に似ている、けれど……やっぱり違う。
近づいてきたそれは、やさしい瞳をしていた。
のぞきこむようにして、そっと手をのばしてくる。
(あ――このひと、だいじ。)
名前も知らない。会ったこともない。
けれど、胸の奥がそう叫んでいた。
ぴと、と指先が触れた。
その瞬間、胸の奥が「ふわり」とほどけて、どくん、と鼓動があたたかくなった。
まるで、この人の中に、母と父の音が混ざっているようだった。
でも、それだけじゃない。もっと――気持ちのいい場所のにおいがした。
アミツキは、ひょい、とその人の膝のうえに体をあずけた。
すべすべしてて、しっかりしてて、あったかくて。
ああ、ここは――「おうち」みたい。
「クゥ……。」
声がもれると、ふわっと髪をなでる手。
そのやさしさに、まぶたがゆっくりおりていく。
心配も、不安も、なにもなかった。
この人がいるなら、きっと大丈夫だって――なぜか、そう思えた。
すぅ、すぅ、と静かな寝息。
イツキの膝のうえで、アミツキは世界の一番やさしい場所を見つけたのだった。