神木の儀も無事終って数日、落ち着きを取り戻した午後。
城の奥に住まうアミツキはいつもと違った気配に落ち着かない様子を見せていた。そんな中そっと新たな一団が現れる。
その姿を目にしたアマカギが微笑を向け、イハナギはそっとイツキの背に手を添えた。
「……来たか。」
古びた門の向こうから現れたのは、二人の男と、それぞれの息子たち。
白橙の髪に狐の耳飾りを揺らすのはフ家のフシミ。
そして、その横には物静かな面持ちの少年――フユミチ、続いてまだ幼さの残るフサナギ。
もう一方の灰墨色の装束はモ家のモリタカと、その後ろに控える長身のモトナリ、ぴょこぴょこと歩くモカヅチ。
彼らは全員――アミツキの「ハラカラ」母を同じくする兄たちだ。
「ようやく……やな。」
フシミが小さく息を吐き、そっと目を細めた。
モリタカは無言で礼をとり、息子たちに視線を送る。
一方その頃、イツキの膝の上にいたアミツキは、初めて見るたくさんの"におい"と"気配"に目を丸くしていた。
同じ母の匂い。でも、知らない声。知らない背丈。知らない視線。
戸惑いのまなざしが揺れる。
「……キュゥ……。」
鼻をひくつかせ、そっとイツキの腕の下に身を縮める。その小さな動きに、フユミチがまず一歩、腰を低くして近づいた。
「怖がらんでもええ。うちはフユミチ。アサナミの兄、アミツキの……兄さんでもある。会うの、初めてやな。」
低く穏やかな声。動かぬようにしゃがんだまま、じっとアミツキの目線に合わせて待つ。
続いて、くりくりとした目をしたフサナギが、笑顔で小さな足をばたつかせて走り出した。
「ちっちゃいね! ちっちゃいー! ねぇねぇ、しっぽふわふわ? ふわふわでしょ?!」
突然背後から手が伸びる。
「……キュッ!?」
――ぴくっ。
アミツキのしっぽがぴんと跳ね、小さな体がイツキの胸元へ飛び込むようにして隠れた。
イツキはすぐさま腕を回し、しっかりと抱きとめた。
「びっくりしたね……。しっぽは、触られたらびっくりするところなんだよ。」
言葉は優しくても、口調にはしっかりとした線が引かれていた。
フユミチが慌ててフサナギの肩に手をかけ、たしなめるように言う。
「こら、フサナギ。あかんやろ、初めて会う妹のしっぽ、いきなり触ったら。」
フサナギは「ごめんなしゃい……。」と頭をぺこっと下げる。その様子に警戒はしつつもアミツキは怒らない。ただ、イツキの腕の中でじっとしているだけだった。
その様子を見ていたフユミチが、ふと感心したようにつぶやいた。
「……怒らへんのやな。ほんまに、優しい子や。」
アマカギはその言葉に、小さく頷いた。
「あの子の魂は、温かい光をその身に宿しているもの。……だから、怖がっても、傷つけることはしないとお思うわ。」
イツキの腕の中で、アミツキはようやくそっと顔を出した。目の前に立つフユミチ、モトナリ、モカヅチ――どの顔にも、知らないのにどこか見知った空気がある。
そして、そっと耳を揺らし、小さく「クゥ……」と鳴いた。それはまるで、「だいじょうぶ。」という合図のようだった。
モカヅチが目を輝かせて「お兄ちゃんになる!」と叫び、モトナリは少し照れたように眉を下げた。
それぞれの兄たちが、やがて優しく膝をつき、輪が自然と生まれていく。その中心には、イツキの膝の上で小さくあくびをしたアミツキの姿。
まるで、春風が芽吹くように――家族という温もりが、そこに咲いていく。
夜の帳が静かに城を包みこみ、昼間の賑わいが夢のように遠ざかる。
広い部屋の中央、淡く灯された燭台が、金朱の文様を揺らしていた。その灯りの下、アマカギはそっと膝をつき、目の前にいる小さな娘を見つめていた。
白金の髪に、朱金の羽根のような前髪。薄桃の鱗に、臙脂の小さな蹄。そして、左右で色の違う、真紅と琥珀の瞳。
「――ほんとうに、あなたは不思議な子ね。私にも、イハナギにも、似ているようで、誰にも似ていない。」
アミツキは母の言葉に、くりくりとした目を瞬かせ、「クゥ」と短く鳴いた。意味のある声。通じているとわかる音。
「うふふ……。今日は、たくさんがんばったわね。
ハラカラたちとも会って。……きっと、疲れたでしょう?」
小さな体が、こくんと頷く。
アマカギは静かに、腕を伸ばしてその子を胸元に抱いた。自分の冠と同じ羽根の朱金が額に触れ、ぬくもりが通う。
「あのとき……魂にふれた時、聞こえたの。『光が差しこむように、生まれてきた』って。あなたの名は、“アミツキ”。意味も形も超えて、この世界に最初から在る音だったのよ。」
アミツキは母の胸の中で、静かに瞬きをした。不思議そうに、けれどどこか――納得したように、安心したように。
「この世に生まれ、名を持ち、そしてこれから――多くの縁にふれていくわ。フユミチ、モトナリ、イツキ……きっと、あなたを大切に想う子たちばかり。でもね、どうしてもつらい時、わからなくなった時は……ここへ戻ってきなさい。」
アマカギは自らの胸を、そっと指先で示した。
「ここには、いつだってあなたの居場所がある。鳳凰の羽根で、あなたを包むためにあるの。――母は、あなたの最初の家だから。」
その声に、アミツキの尾がそっと揺れた。
安心の証。
静かに目を閉じ、すう、と小さな寝息が聞こえはじめる。
アマカギは、もう何も言わず、ただその子を抱いたまま、燃える光がゆらめく部屋で、静かに夜の深まりを見つめていた。
そのまどろみの中――まるでどこかで、神木がふたたび、小さく葉音を揺らした気がした。