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第16話 トントンは世界を救う?

 「本日は、儀式舞の稽古を行います。皆、気を引き締めてまいりましょう。」


 指導役である巫導(ふどう)の声が中庭の静寂をやわらかく告げる。そこは神域にほど近い、特別に設けられた稽古場。朱塗りの鳥居をくぐった先、敷き詰められた苔むす石畳に木漏れ日が舞台のように降り注いでいた。


 「はいっ!」


 アマユラ、アサナミ、アナキメの三姉妹が、凛と声を揃える。額の冠(かむり)が陽の光を受けて揺れ、白銀の髪がふわりと風に舞った。


 その様子を、少し離れた木陰でじっと見守る小さな影があった。


 アミツキだ。


 そばには兄のイツキが付き添っていて、「今日は見学だけだからな」とやさしく声をかけていたのだが。


 舞の音が始まった瞬間、アミツキの耳がぴくりと動いた。


 右、左、くるり。


 軽やかな拍子に合わせて舞う姉たちの足音――トン、トン。


 (……!)


 アミツキはぱたぱたと立ち上がり、四つ足のままごく自然に、姉たちの舞う背後へちょこんと移動。


 「あっ、アミツキ……?」


 イツキが慌てて止めようとするより早く――


 『トントン』


 マトカラにしか聞こえない声で掛け声?をかけている。


 前足をちょこんと揃え、後ろ足でぴょこんと跳ねる小さなアミツキの姿。頭をわずかにかしげて、姉たちの動きを見よう見まねで真似している。


 「……と、トントン……。」


 思わずイツキとアマユラの声が重なる。


 それは心伝。


 言葉を介さず、魂に直接響く小さな声。耳ではなく、心の奥底にふわりと届く、あたたかい音色。


 「…………!」


 「か、かわっ……!」


 アマユラは動きを止めて思わず口元を押さえた。アサナミはにっこにこで拍手しそうになるのをぐっとこらえ、アナキメは「せんせい、あれ、なんなん……」と巫導の袖をそっと引っ張る。


 そしてイツキも、すでに膝がぷるぷるしていた。


 (まねしてる……器用すぎる……!)


 アミツキは、ちゃんと足音のテンポに合わせて、後ろ足で小さく「トン、トン」。


 それは舞というより、遊ぶような軽やかさ――けれど、その姿はまるで祝祭の精霊のように、愛らしく、どこか神聖ですらあった。


 「アミツキ、それは……少し違いますが……いえ、とても立派です……かわいらしい……。」


 姉たちも、イツキも、そして巫導までも。


 全員が心のどこかで同じ言葉を叫んでいた。


 ((( 尊い……! )))


 巫導は目元をぬぐいながら、ついこんな言葉を漏らしてしまった。


 「……あの、アミツキ様。もう一度だけ、お願いできますか?」


 まさかの指導放棄寸前である。


 しかし当のアミツキは、そんな皆の心のざわめきなど知らぬ顔で、再び姉の背中をじっと見つめ――。


 ぴょこん。


 『トントン』


 音に合わせて跳ねるたび、心にふわっと響く、小さな声。


 まるでこの場にいることが楽しくて仕方がないかのように。そのまねっこ舞に、稽古場はすっかり笑顔の風に包まれていた。




 その日の朝は、いつもより少し静かだった。


 姉たちは早くから稽古へ向かい、イツキもまた、「今日は父上とお仕事の手伝いがあるから」と、先に出て行ってしまっていた。


 (イツキ、いない……。)


 ぽつん、と残されたアミツキは、居住の庭先でひとり丸くなる。


 最初は、拾った葉っぱを並べて遊んでみたり、姉たちの稽古場にちょっと顔を出してみたりもしたのだが――


 アマユラも、アサナミも、アナキメも、今日はそれぞれの稽古が立て込んでいるらしく、すぐに戻ってしまった。


 「アミツキ、今日はおうちでゆっくりしていてね」と、アマユラが撫でてくれたけれど。


 (……ゆっくり、つまらない。)


 もぞ、と立ち上がる。くんくんと鼻先をあげ、風の匂いをたしかめた。


 (イツキ、こっち。におい、する)


 それは、獣の本能か、神木の加護か。


 生まれつき四つ足のその身は、迷うことなく、家々を抜け、神域を抜け、政の中枢――政務所の奥へとまっすぐ向かっていく。


 「っ、アミツキ様!? どちらへ――!」


 見守りの巫子が声を上げるも、白金の光はするりと影のように消えていた。




 「……この文書は、先の一件に関わる証言を。」


 政務所の一角、静かな執務室には、イハナギとイツキ、数名の側近たちの筆音だけが響いていた。


 真面目な場面だった。空気も、張っていた。


 ――そこへ。


 「きゅんっ」


 ころん。


 まるで音もなく、敷居の影から、ふいに小さな影が転がり込んできた。


 「えっ……ア、アミツキ!?」


 「まさか、ここまで……っ」


 イツキとイハナギの声が重なった。


 部屋の空気がふっと変わる。


 アミツキは、白金の毛並みをきらきらと揺らしながら、まっすぐイツキに駆け寄ってきた。


 『イツキ、みつける』


 それは、誰にも聞こえない“声”だった。


 心伝――


 それはアミツキが使えるようになった伝達手段。今のところ両親とマトカラにだけ通じる、魂のささやき。


 ぽん、と胸の奥を軽く叩くような、やさしいひと言。


 イツキは目を瞬かせ、言葉も出ない。


 「……い、今……。」


 「聞こえたな。ああ……確かに、聞こえた……。」


 ふたりだけに届いたその片言の“おしゃべり”に、イツキとイハナギは同時に膝から崩れ落ちそうになる。


 そして、アミツキはくるりと部屋の真ん中へ出て――


 『イツキ、つかれる、トントン、する』


 ころん、ぴょこん。


 四つ足で軽やかに跳ねて見せる。あの、儀式舞のまねっこ。小さなトントンの跳躍。


 しかも、前足をちょこんとそろえて、姉たちの舞を見よう見まねで再現しているのだ。


 「っ……ぐ……。」


 イツキの肩がふるふると震えた。


 (なにこの癒し生き物、無理、尊い。)


 ふと横を見ると、イハナギも唇を引き結び、顔を伏せていた。


 「父上……?」


 「……だめだ、イツキ。もう少しで……泣く。」


 『イハナギ、とと』


 ――と、そこにもう一撃。


 完全に“尊みのとどめ”を刺されるふたり。


 書記官がそろりと近づき、小声で言った。


 「あの、イハナギ様……何か、異常が?」


 「いや、異常ではない……ただこれは……。これは“愛の過剰摂取”というやつだ……っ!」


 静寂の政務所に、ぽわんと広がる癒しの衝撃波。


 アミツキは無邪気にぴょこんぴょこん跳ねながら、笑っていた。


 「イツキ、わらう。うれし。」


 そのことばが、また心に響く。


 ふたりはそっと机に突っ伏し、そろって休憩を余儀なくされたのだった。


 それから数日後――。


 政務所の周辺で、こんな噂がひそかに囁かれるようになる。


 「最近、光の御子が現れると……不思議と作業がはかどるそうですよ。」


 「やっぱり“癒し”の力ですかねえ……。」


 アミツキ、“政務進捗神話”のはじまりである。





 政務所での出来事から数日。


 アミツキの“トントン”は、静かに、しかし確実に一部の大人たちの間で噂になっていた。


曰く――


 「白金のちいさなお方が、唐突に現れ、跳ねて、見つめて、心を浄化して去っていった。」


曰く――


 「“トントン”された者はその日一日、仕事の進みが倍になる。」


曰く――


 「政務所の者が急にやる気を出したと思ったら、光の御子が来たらしい。」


 その伝説の“現場”に居合わせることができたのは、今のところイハナギと、数名の政務補佐だけだった。


 それを、誰よりもくやしく思っていたのが――。


 「……いいなぁ……イツキもイハナギも……。」


 思わずフシミが、机にひじをついたままぽつりとつぶやいた。


 モリタカが視線を上げる。


 「……また、アミツキの話か?」


 「せやかて、見てみぃな。書記の連中、なんや顔ほころばして、仕事もサクサク進んでるやん? ……トントン効果、やて。」


 「お前、まさか本気で羨ましがってんのか?」


 「そら、羨ましいやろ?」


 フシミがじんわり笑った。


 「アミツキ、うちにも来てくれへんやろか……『フシミ、がんばってる、えらい』とか言うて、トントンしてくれたら……わいもう、がんばりすぎて過労するで。」


 モリタカは小さく笑って肩をすくめた。


 「お前はそうやって、誰にでも甘やかされたいんだな。」


 「ちゃうちゃう。アミツキに限っては別格や。あれはもう、“甘やかされる”んやのうて……“包まれる”んや……神ぃに……。」


 「宗教か。」


 「ほんまやで?」


 フシミはしみじみとうなずく。


 「あの子、声は届かへんけど、なんやろ……こう、見てるだけで心がぬくぅなってな……。」


 モリタカは少しだけ目を伏せ、珍しく柔らかく言った。


 「……わかるよ。俺も最初、びっくりしたけどな。あの小ささで、あの存在感は……ちょっと、反則だ。」


 「やろ?」


 フシミが身を乗り出して、こっそりささやく。


 「うちにも、来てくれへんやろか。ほんの、ちょびっとでもええ。トントンしてくれたら……わい、もう、月報三年分くらい書く覚悟できとるで。」


「……それは逆に仕事減らす方向で努力してくれ。」


「ええやん、夢くらい見さしてぇな……。」


 そう言って、フシミは頬杖をつき、窓の向こうをじっと見つめた。


 そこには――もしかしたらいつか来てくれるかもしれない、小さな神様の姿を重ねながら。



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