お昼すぎ、居住エリアの庭に、にぎやかな足音が次々と響く。
「アミツキー!」
「ころころ持ってきたでー!」
「石、おみやげ!」
声の主は、アミツキの“兄”たちと、さらにその“兄弟”たち。つまり兄の兄弟で兄のマトカラやハラカラにあたる子たちだ。
フユミチ、フミヤマ、モトナリ、モトカネ、イサナギ、イオカミ、モハナギ、モカヅチ、フタカゼ、フサナギ……
にぎやかさが過ぎるメンバーがそろって、ぞろぞろと押しかけてきた。
アミツキにとっては「はじめまして」の顔も多い。でも、そのことなんてどうでもよくなるくらい――みんなが、わいわいと笑っていた。
しかも今日は、おみやげ付き。
「これ、アミツキに!」
「うちの一番よく転がるやつ、やる!」
「こっちは光るで? 見ててなー!」
小さな手にひとつ、またひとつと、ころころ石が集まってくる。アミツキは目をぱちぱちさせながら、兄たちの熱意と石の山に囲まれて、ぽやんとした。
すると――
「アミツキ、見てて!」
イツキが、ぱっと手を伸ばして一個の丸い石をつかむ。
「これ、河原で選んだやつ。ころころ~って転ががるよ。最近そういう遊びすきでしょう?」
ころころ、と石が床を滑っていく。
それが合図になったかのように、次々に転がされる“ころころ石”たち。
「コロコロコロ~!」
「そっちやー!」
「どこ行くんやこの子!」
「はさんだ! オレの勝ち!」
もうそこは、ミニカー遊びならぬ、転がし石レース会場になっていた。
アミツキも、最初は目を輝かせてその様子を見ていた。
――が。
ふと、一個の石を手に取ると、ゆっくりと床に置き、ぽん、と軽く突いた。
ころん、ころん……。
別の石にぶつかって、角度を変え、また転がる。
それを追うように、さらに別の石をはじいて、同じ流れにのせる。
まるで、意図されたような連鎖。
部屋のすみからすみへ――複雑な軌道を描いたその最後の石が、すとんと止まったところで、アミツキの動きも止まる。
じいっ……とその場所を見つめていたかと思うと。
『やまい、きた、こわい、すずのき、あんしん』
心伝の声が、そっとイツキとイハナギの耳に届いた。
イツキが、えっ? と目を見開き、イハナギがすぐさま真顔になる。
それは、誰に教えられたわけでもない。
ただ“感じて”、ただ“見えて”、自然と「未来の気配」を言葉にしただけ。
けれどその言葉の意味は、十分すぎるほどに重かった。
病が来る。怖いけど、「鈴の木」が、安心させてくれる。
「鈴の木」――世界の守りと癒しの象徴。
未来はまだ起きていないけれど。
今、誰もが、その言葉を信じてしまう不思議な確かさがあった。
その声はまだたどたどしく、言葉になりきれていない。
それでも確かに、それは“伝えよう”としていた。
――未来の気配を。
「イツキ。アミツキを頼む。」
「っ……はい!」
イハナギは言い残し、音もなく立ち去った。
流れるような動きで屋敷を抜け、風のように回廊を駆ける。向かう先はただ一つ。
ア家の当主――アマカギのもと。
ちょうどそのころ。
ア家の政殿に、一報が届いていた。
「北西領より緊急報告――。」
「流行り病、発生確認。罹患数は増加傾向。すでに数家に広がりつつあります。」
それを読み上げる臣官の声に、場の空気がピンと張り詰める。地図上で“北西”にあたる地域――そこはシの家門が治める領であった。
厳冬を越え、春の端境期。
疫の兆しは常に警戒されていたが、今年は“静かすぎる”とすら言われていた矢先だった。
そこへ、白銀の装束を風と共にまとって、イハナギが現れる。
「アマカギ様。」
政殿の奥、神座に立つ朱金の瞳と、銀白の髪。アマカギが静かに目を伏せる。
「……来たのね。」
イハナギは、ただ一言だけを伝えた。
「アミツキが、“告げた”のです。」
政殿にいた者たちの間に、ざわめきが走る。
アマカギの瞳を遮るように、前髪の飾り毛冠と呼ばれる羽根がわずかに揺れた。
「病が来る。怖い。でも、すずのき、安心――。」
アミツキの心伝を受けたその時刻と、北西からの報が届いた時刻。
驚くほどに一致していた。
この国の人々は、予知や占いを「遊び」では終わらせない。子の気配が、まだ形を持たぬ前兆を感じとることは、古くからの「血の記憶」によるものとされてきた。
しかも告げたのは、アマカギとイハナギの子――。
生まれてまだ幾月もたたぬ、“麒麟のような子”。
アマカギは命を下す。
「鈴の木を、北西の地に運びなさい。」
「調整はフ家、民の派遣はモ家に要請。君役の承認はこの場で行う。」
そして最後に、一言だけつぶやいた。
「アミツキ……この子は、何を“見て”いるのかしら。」
アミツキは、兄たちとまだ遊んでいた。
石をころころ、くるくると転がしながら。
ただ、その目は時折――すでにどこか“先”を見つめているように思えた。
北西の病に対する初動が整った頃、父たちは一度、部屋に戻ってきていた。
イハナギが、少し疲れた顔ながらも微笑んで、アミツキにしゃがみこむ。
「アミツキ……よく、伝えてくれたな。ありがとう。」
アミツキは目をぱちぱちとさせたあと、ふいっと得意げに尻尾を揺らし、「くふぅ」と鳴いた。
「よぉ言うたわぁ。……ほんま、頼もしなってきたなぁ。」
――フシミも隣で感心したように言う。
その様子を見ていた兄たちは、もう目をキラキラさせている。
「なあ、アミツキ!またなんか言える?」
「他の“おつげ”もあるの?」
「未来でも過去でもいいから教えてー!」
囲まれてすっかりお山の大将気分になったアミツキは、また河原の石をころりと転がす。小さな蹄でコツンと突いて、目をすがめる。
『……あさ……ふとん……ぬれる……』
「……?」
兄たちは顔を見合わせた。言葉の聞こえるイツキがそのまま皆に伝える。
「フサナギ……モリカネ……こわす……だめ……イオカミ……たべる……ひとの……。」
「……はッ?!」
突然の暴露に、その場が一瞬静まりかえる。
「ちょ、ちょっと待って!?なにそれ!?」
「“ひとの”って何食べたん!?」
「“ぬれる”って、もしかして……!」
フサナギ(3歳)はきょとんとした顔で空を見ている。
その兄フユミチとフミヤマが「お、おい、まさかあのときの布団か!?」「おまえ、まだ言ってなかったのにー!」と慌てふためく。
モリカネ(10歳)は顔を真っ赤にして目をそらし「あれは……あれはな、事故や、事故……」とゴニョゴニョ言っている。
そしてイオカミ(7歳)は涙目になって震えながら「ちがっ……ちがうの、それ、おまんじゅうに見えたから……」と謎の釈明。
その背後で、フシミとモリタカの顔がぴくりと引きつった。
「イオカミ。おまえ、もしかして……○○さんちの儀式用の……?」
「モリカネ。あれ、まさか刀鍛冶の練習道具だったやつやろ……?」
「イオカミィィ!!」
「モリカネェェェ!!」
怒号とともに兄たちは次々と父たちに連れ去られ、しばらく石を転がすどころの騒ぎではなくなった。
アミツキはといえば、きょとんとしたまま、またひとつ石をつついていた。
『ころころ……みえる、ことば、でる……おもしろい、あそび』
その目は、誰にも見えない“なにか”を――今日もまた、確かに見ていた。