「はい、今日は100メートル走からスタート! 準備してー!」
夏空の下、グラウンドに整列した生徒たちの中で、ざわめきが起きる。
原因はただひとり――瓢及鸞、その人だった。
「……あの脚の長さ、反則やん……」
「体操服着てても、なんかモデルみたい」
「ていうか、外国の王女感あるよね」
そんな声を背中に受けながら、鸞はジャージの袖をまくって、爽やかに笑っていた。
「うち、こういうの好きやねん。走るん、気持ちええやろ?」
「気持ちとか以前に、勝てる気せえへん……」
ピッ――!
スタートの笛が鳴ると同時に、鸞の身体がしなやかに宙を駆けた。
軽やかなフォーム。力強い蹴り出し。
風を味方にしたかのような加速――
「え、もうゴール!? まだ半分やと思ったのに!」
「タイム、何秒……!? 先生、今の記録見た!?」
先生も目を丸くしていた。
「……たしかに、9秒台……? いやいや、測り間違いか……」
鸞はゴールでくるっと振り返ると、まだ走ってくる皆に手を振っていた。
「おーい、がんばれー!」
「なんやあれ……完璧超人すぎやろ……」
「うち、もう今世では勝てる気せえへん……」
続く種目、走り高跳びでは――
「うち、昔ちょっとだけやっとってん」
と言って軽く跳んだその姿は、まるで舞う蝶。
「……あのフォーム、陸上部のエースでも見たことない……」
「跳び箱とかもヤバいらしいで」
案の定、跳び箱もすべての段を涼しい顔で跳び越えた。
「記録、更新しましたね……」
先生がつぶやく。
最終種目のリレー。
「アンカー、鸞さんで決まりやな!」
「そりゃそやろ! ゴールした瞬間、髪なびくん見たいもん!」
そして、その期待は裏切られなかった。
猛然とした追い上げで、鸞は10メートル以上の差をひっくり返して一位でゴール。
「すっごぉおおい!!」
「仕えるべき姫君って、こういう人なんや……」
「もはや体育の女神……!」
汗だくのはずなのに、鸞はどこか涼しげに笑っていた。
「楽しかったわー! 体動かすん、やっぱええな」
一方、ベンチで見ていた都あずさは、微笑みながらも、静かに胸の奥にチクリとしたものを感じていた。
(うちは……ただ見とるだけやった。
せやけど、やっぱり、鸞さんはすごい人やな)
そんな彼女の視線に、鸞が気づいて手を振る。
「ほら、あずささんも来いよー! 次、バスケやってみよ!」
「え、ええ!? うち、ボール競技、苦手なんどすけど……!」
その場にいた誰もが思っていた。
――瓢及鸞、スタイルも能力も“外人級”。
まるで“使える側”ではなく、“仕えられる側”。
それでいて、誰よりも親しみやすいという、まさに規格外の少女だった。
そして、そんな彼女の隣にいる都あずさもまた、
新たな心の波を感じ始めていたのだった。