大阪のホテルに到着してからというもの、鸞とあずさは、なんとなくぎこちない。
夕食はバイキング形式だったが、二人とも好きな料理を前にしても、ほとんど喉を通らず、互いに目が合いそうになるたびに、顔を逸らしていた。
「あずさ、なんか食べぇな。好きやろ、これ」
「……ありがとうどす。でも、ちょっとだけでええわ」
その声すらどこか沈み、夕食のあと、クラスメイトたちが「夜景見に行こうぜー!」と盛り上がる中、鸞はこっそりとホテルの裏手へ抜け出した。
夜の大阪の風は涼しく、昼の喧騒とはうって変わって落ち着いている。
「……ああ、落ち着くわ」
自動販売機の光に照らされながら、鸞は缶コーヒーを開け、ベンチに腰を下ろした。
そのとき。
「……ここ、よろしいどすか?」
ふわりと、あずさの声がした。
「!?」
驚いて顔を上げると、そこには浴衣姿のあずさが、少し俯きながら立っていた。
「な、なんや、あずさ……こんなとこまで」
「……うち、あんたに言いたいこと、あったんどす」
鸞の隣にそっと腰を下ろすあずさ。二人の距離は、昼間の新幹線よりも、むしろ近いかもしれない。
「ノーカンや、って……あんた、言うたやろ?」
「そら、アレは……事故やし。新幹線が揺れただけやし……!」
「でも……うちは、あの一瞬、事故やとは思えへんかった」
「……え?」
あずさは、そっと顔を上げた。夜風に揺れる髪の隙間から、真っすぐな瞳が覗く。
「だって……唇、覚えてるんやもん」
鸞は、缶コーヒーを思わず落としかけた。
「ちょ、ちょっと待て!そんな大胆なことをっ!」
「……ごめんなさい、変なこと言うて」
「いや、そないな……うちこそ、さっきのこと、冗談みたいに言うて、傷つけてしもたかもって……」
気まずい沈黙が、またふたりを包んだ。
遠くからは、クラスメイトたちの笑い声が聞こえる。けれど、ここだけは世界が静かだった。
「……なら、あれはノーカン。せやけど」
鸞が、ふっと視線を上げた。
「ノーカンやからこそ、本番を……したらええんちゃうかって」
「え?」
「いや、ちゃうちゃう、今のは変な意味ちゃうで!? ちゃんと、正面から……うちの意志で、って話で!」
「……そない言うても、緊張するどすな」
「……ほんまやな」
ふたりは、再び顔を見合わせ――今度は、逸らさなかった。
少しずつ、ほんの少しずつ顔を寄せていく。
「……ええか?」
「……ええどす」
その瞬間――
「おーい、こんなとこにおったんかー!!」
「ギャァアァァ!!」
「うわぁあああっ!?ちょ、お前ら!? なにその距離!?」
クラスメイトBたちの突撃により、再び接触は未遂に終わった。
「えええ!? また未遂!?」
「どっちか男やったら、もうプロポーズしとる距離やでぇ!」
「写真!撮ってええ!? むしろ記念に!」
「やめろー!やめてくれー!!」
結局、ふたりはまた赤面しながら逃げ出す羽目になった。
**
ホテルの部屋に戻って、夜が更けても、鸞は布団の中でスマホの画面を何度も開いては閉じるを繰り返していた。
画面に映るのは――
さっき、あずさがこっそり送ってくれた、ポッキー事件の“未遂”写メ。
そしてその下には、たった一言だけ。
「次は、事故やなくて……ふたりの意志で」
鸞の顔が、枕にめり込むほど真っ赤になったのは、言うまでもない。
**
それからの修学旅行は、少しずつ、少しずつ変わっていく。
お互いをからかう声にも、素直に笑って返せるようになった。
手が、ほんの少し触れるだけでも、胸が跳ねる。
まだ名前で呼ぶには照れくさい。
けど――
(次は、ちゃんと。ちゃんと、うちの気持ちで)
鸞は決めていた。