湊が広間へ戻ってきたとき、すでに柏原の報告は終わっていた。部屋の中央には緊張した空気が残り、誰もが口を閉ざしたまま椅子に腰を下ろしている。
「藤堂の部屋、もう少し調べた。やはり、偶発的な犯行じゃない。あれは“観せる”ための演出だ」
湊の声に、全員が振り向いた。
「配置、照明、血痕の広がり、部屋の構造……すべてが“誰かに発見されること”を前提に組まれていた。事故や衝動的な殺人では説明がつかない」
赤坂が吐き捨てるように言う。
「つまり、誰かがわざとやったってことか」
「そうだ。しかも、この館の中で。今この瞬間、我々と同じ空間にいる可能性が高い」
羽鳥が低く呟く。
「どうしてそんなことを……?」
「目的はまだ分からない。ただ一つ言えるのは、“演出された死”があった以上、この事件は始まりに過ぎないということだ」
沙耶が理沙の袖を掴む。
「湊さん、誰がやったの?もう誰も死なないよね……?」
湊は言葉を返せなかった。ただ、彼女の手をそっと包み込んだ。
「私たちはもう“演じる側”なのかもしれないわ」
神村が不意に口を開いた。
「演者と観客の違いは何?命がかかっているのに、誰かがシナリオでも書いてるみたい」
森崎が不安そうに顔を上げる。
「その“誰か”って……やっぱり、この中に?」
柏原が頷く。
「現状、否定できる材料はない。全員の行動を明らかにする必要があるわ」
封筒を手にした湊が言う。
「“あなたは選ばれました”──この言葉、意味があるはずだ。偶然集まったんじゃない。我々は“選別”された」
羽鳥がやや身を乗り出す。
「じゃあ何?私たちの中に、犯人が“含まれている前提”で構成された劇?」
「あるいは……全員が観客を装ってる可能性もある」
湊の目がわずかに鋭くなる。
赤坂が立ち上がる。
「だったらそいつを引きずり出すしかねぇだろ!ここで黙ってたら、次にやられるのは……俺たちかもしれない」
「焦るな。感情的になっては犯人の思う壺よ」
柏原が静かに言葉を投げる。
広間に再び沈黙が落ちる。その中で、風の音だけが窓の外から不気味に響いていた。
湊は手帳を開きながら呟く。
「全員が“何時、どこで、誰といたか”を記録していこう。互いの証言を突き合わせていく中で、必ず見えてくるはずだ」
その提案に、柏原が頷く。
「いいわ。私も記録をつける。私と湊の二重記録で確認をとっていきましょう」
神村が笑みを浮かべた。
「どんな劇でも、脚本の矛盾は破綻を生むものよ。よく覚えておいて」
理沙が沙耶を抱き寄せたまま、小さく呟いた。
「絶対に……もう、誰も死なせたくない」
その言葉に、誰もが無言で頷いた。
広間の空気は張り詰めていたが、それはもはや単なる恐怖ではない。戦いの前に生まれる静けさのような、確かな“決意”があった。
そして──その静寂を破るように、館の奥から、また音がした。
──ギシィ……
今度は確かに、誰かが床を踏みしめた音だった。
「確認するわ」
柏原が立ち上がり、湊もそれに続く。
「一緒に行こう」
懐中電灯の光が再び闇を裂き、ふたりは音のした方へと進んでいく。
広間に残された者たちは、それぞれの思惑と恐怖を抱えたまま、その場に身を沈めていた。
神村が窓の外に目を向けたまま、誰にともなく呟いた。
「……次の幕が、上がるわね」
柏原と湊が館の奥へと向かった後、広間には再び重たい沈黙が訪れていた。
神村は窓辺から離れず、遠く霧の向こうを見つめている。森崎は椅子に座ったまま身じろぎもせず、羽鳥と赤坂は視線を交わすことなく、ただ互いの気配だけを感じているようだった。
沙耶が口を開く。
「ねえ、誰も犯人じゃなかったら、じゃあ誰がこんなこと……」
その言葉に誰も答えられなかった。
理沙は手帳を開いていた。湊の言葉に倣って、全員の行動を記録しようとしていたのだ。けれど、書き込もうとした瞬間、指が止まる。
(私自身の行動だって、証明できるものは何もない)
そんな思いが胸をかすめる。全員が不安で、全員が疑われる可能性を孕んでいる。
やがて、廊下から柏原の声が聞こえた。
「一度集まって。確認したいことがあるの」
湊と柏原が戻ってくる。二人の表情には微かな緊張と、しかし明確な決意のようなものが宿っていた。
「封筒が置かれていた部屋、そして外れかけた窓……それらの配置はすべて、館の内部から操作されたものだった」
湊の報告に、赤坂が身を乗り出す。
「つまり、外からじゃないってことか」
柏原が頷いた。
「ええ。この館の中にいた誰かが、封筒をばらまき、藤堂を殺し、配置した」
羽鳥が鋭く言う。
「でも、それがどうやって?あの部屋、施錠されてたわよね」
「そこが鍵なのよ」
柏原は言った。
「鍵が“内側から開けられていた形跡”がある。つまり、閉じ込められていたんじゃない。“見せるために”開けられた」
森崎が叫ぶ。
「誰だよ……そんなことして、何の意味があるんだよ……!」
湊が視線を全員に向けた。
「だから、全員が知っていること、気づいたこと、隠していることがあれば出してほしい。今、それが生き残る鍵になる」
沈黙。
やがて、神村が静かに口を開いた。
「……ひとつだけ、気になっていたことがあるの」
一同の視線が神村に集まる。
「招待状よ。他の人たちはどこで受け取った?私はポストだったけれど、それ、直接誰かが入れたような形跡があったの」
赤坂が眉をしかめる。
「俺は……自宅の玄関にあったな。封筒だけが、ぽつんと置かれてた」
羽鳥が呟く。
「私は、仕事から帰ったら机の上にあった。家族は見てないって言ってたけど……」
理沙が顔を上げた。
「……私も同じ。机の上に、知らないうちに置かれてた」
柏原がまとめるように言う。
「つまり、犯人は私たち一人一人の生活空間にアクセスできるだけの“知識”を持っていた」
神村がぽつりと言う。
「それって、怖いわよね。まるで……最初から、私たち全員を“観察”していたみたい」
湊の表情がさらに鋭くなる。
「それこそが、この事件の根幹かもしれない。“見られている”だけではない。“操られている”」
その言葉が広間に響いた瞬間、再び──廊下の奥から、音がした。
今度は、明らかに足音だった。重たく、ゆっくりと、確かに誰かが歩いている。
柏原が立ち上がり、湊に目を向けた。
「いくわよ」
湊も頷く。
「行こう」
二人は再び、懐中電灯を手に廊下へと向かっていった。
残された広間には、張り詰めた沈黙だけが残っていた。
その足音が止んだのは、階段の上だった。だが誰もそこへ足を運ぼうとしない。
「まるで、誘ってるみたいね……」
神村がぽつりと呟いた。
沙耶が怯えたように理沙の背に身を寄せる。
「誰か……誰か見てる……さっきから、ずっと……」
理沙は彼女の頭をそっと撫でながら答える。
「大丈夫、ここにいれば安全よ。今は、みんながいるから」
その言葉には根拠がない。けれど、言葉にしなければ恐怖が支配してしまう。
柏原と湊が足音を辿り、階段へと近づく。
「もし上にいたら?」
柏原が問う。湊は静かに答えた。
「そのときは──逃がさない」
二人は懐中電灯の光を向けながら、ゆっくりと階段を上っていった。
広間に残された人々は、それぞれの想いを胸に沈黙したまま待っていた。
緊張の糸が、いつ切れるとも知れない状況で──次の一手を、誰もが息を呑んで見守っていた。
階段の先からは何の物音も返ってこない。だが、それがかえって不気味だった。
神村が誰にともなく呟く。
「……この館そのものが舞台装置みたい。演者がいなくても、舞台は回るのよ」
その言葉に、理沙も小さく息を呑んだ。
まるで、自分たちの存在までもが“仕組まれている”かのように感じてしまったからだった。