目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話【断たれた声】


──突き刺すような怒声と、続けざまに破裂音が響いた。



「うわああああああっ!!」


それは悲鳴ではなく、警告だった。




湊と柏原は同時に駆け出す。

声の方角──東側の廊下の先。昼間、物音がしたと報告のあった区域だ。

理沙が沙耶を羽鳥に託し、遅れて二人の後を追った。



重苦しい空気の中、三人は同時に角を曲がった。

そして、そこにあった“光景”に息を飲む。




──森崎悠斗が、柱にもたれかかるように立ったまま動かない。




その額、ど真ん中に、矢──いや、ボルトが突き立っていた。

血は静かに額から滴り落ち、床に小さな斑点を描いていた。


「……これは、ボウガン……?」


柏原が、素早く懐中電灯を天井に向ける。

梁の裏に、無骨な金属の先端が覗いていた。



「罠よ……ピアノ線か何かを踏んで発動した」



足元を見れば、腰の位置ほどの高さに張られた極細のワイヤーが、今なお振動している。




その横に──一枚のカード。

湊が拾い上げ、埃を拭う。




──【0】The Fool愚者


「……まさか、これも“見立て”なのか?」



理沙が言葉を呑む。

柏原がうなずいた。


「無警戒に歩を進め、破滅へ至る。……まさに“愚者”」


そのとき、廊下の奥から赤坂典孝が駆け戻ってくる。


「っくそっ……森崎のやつ……止めたのによ……!」



赤坂は顔を歪め、呻くように言った。



「“大丈夫っすよ~”とか言ってさ……一歩先に踏み出した瞬間、ピアノ線に引っかかって──そしたら……っ」



湊は赤坂の肩に手を置く。



「君は後ろにいた?」

「ああ。用心してた。けど……!」



森崎の足元には、血に染まった靴と、浮かんだ片足。

まるで「崖の一歩手前で跳ねた」──そんな錯覚すら抱かせる死に様だった。


「完全に……“舞台”だな」


湊の呟きが、静寂の廊下に響いた。



「まったくよ……なんで、俺が止めたのに……!」



赤坂は壁にもたれ、額の汗を拭った。

その目は怒りよりも、悔しさと後悔に満ちていた。



「“何も起きねーって! 怖がりすぎっすよ!”って笑ってんだよ、あいつ。……ほんの数秒前まで、普通だったのに……」



湊は再び、森崎の遺体を見やった。

矢は額の中心に突き刺さり、わずかなズレもない。

まるで“的”に向かって撃たれたような正確さ。



「これは……“愚者”の再現だな」



柏原が頷く。


「愚者──The Fool。タロットの大アルカナ、番号は“0”。

 無垢、自由、警戒心のなさ。そして、崖を踏み外す者」

「その象徴が……この姿ってことですか?」



理沙の問いに、湊は静かに答えた。



「森崎は“何も起こらない”と信じて疑わなかった。

 その無警戒さこそが、“愚者”にふさわしかったというわけだ」


沙耶が、ぎゅっと理沙の袖を掴む。


「じゃあ……次も、誰かが……?」



誰も返せなかった。

湊は屈み、足元のピアノ線を慎重に観察する。



「……ただの“事故”じゃない。これは……明確な殺意だ」

「しかも“罠”。犯人は森崎をこの廊下に誘導することを計算していた」


柏原が言葉を継ぐ。


「赤坂さんを“生かす”ことも含めて」



赤坂が顔を上げる。


「……証人にされるため、か?」



湊はゆっくりと頷いた。


「君の証言があって初めて、“森崎が愚かだった”という“演出”が完成する」





──見立て殺人。

単に殺すだけでなく、“象徴に仕立て上げる”手法。


「これは、見せつけている。演出家のように、我々に──」


柏原が呟く。


「……“観ろ”というわけね」



その言葉に、場の空気が一段、冷たく沈んだ。



愚者は崖を見ずに笑いながら進んだ。

だが今、次の犠牲者が“誰”になるのか──誰にも笑えなかった。

広間に戻った一同は、言葉を失っていた。

神村詩音が椅子に腰を下ろし、震える沙耶を優しく抱き寄せる。

羽鳥綾子は冷えきった紅茶を前に、じっと虚空を見つめていた。



「……二人目、か」


柏原が低く呟いた。



藤堂隼人に続いて、森崎悠斗──

どちらも、タロットの大アルカナを模した“見立て”で命を奪われた。


「演出家がいるとしたら……その“脚本”通りに動いてるってこと?」



理沙が不安げに尋ねる。

湊は黙って頷く。


「それも、我々に“観客”であることを強いてくる構造だ」


赤坂が拳を握りしめたまま、低く唸るように言った。



「だったら……黙って観てるわけにはいかねえよな。

 次に誰が死ぬのかなんて、ふざけた芝居に付き合えるか」


湊は視線を落とし、短く息を吐いた。



「まず確認したい。“藤堂の死が発見されてから、森崎が殺されるまで”の全員の動き。

 誰が、どこで、誰と一緒にいたか──明確にしておきたい」


柏原がすかさず補足する。


「これは犯人捜しじゃない。まだ断定はできない。

 でも、行動経路の記録は重要になるわ。“次”が起きたとき、それが生きる」


神村が頷いた。



「私も協力します」



その表情は、いつもと変わらず穏やかだった。

だが、それが“整いすぎている”ことに、理沙は気づいていた。


「……こんなこと、もう起きてほしくない」


理沙が呟くと、沙耶がそっとその袖を掴んだ。


「……みんなで……生きて帰ろうよ」



湊は、その言葉に静かにうなずいた。



「犯人は、“次”を想定している。

 ならば──俺たちは、“その脚本を壊す”つもりで、動くしかない」


赤坂が苦笑した。


「上等だ。“舞台”ってんなら、こっちも“舞台を降ろしてやる”までよ」



だがその最中──

カツ、カツ……と、微かな音が天井の上から響いた。



まるで、次の幕の準備が、もう始まっているかのように。


「……私の番ね」


神村詩音が穏やかな口調で口を開いた。


「藤堂さんの遺体が見つかったとき、私は広間にいました。

 沙耶ちゃんと、理沙さんと一緒に。

 それから、赤坂さんと森崎さんが出て行ったのを見送って……私は、そのまま広間を離れていません」


沙耶が、小さくうなずいた。



「神村さん……そばにいてくれたの。手、ずっと握ってくれて……」


その言葉に、理沙も同意するように続ける。


「……はい。私もずっと一緒にいました。神村さんと沙耶ちゃんと三人で」


柏原が沈黙のまま手帳に書き込んでいく。

羽鳥が椅子に寄りかかりながら言った。



「私も同様ね。広間を出たのは、森崎くんの叫び声を聞いたあと」


湊と柏原が、視線を交わす。

赤坂は拳を握ったまま、低く呻いた。



「くそ……止めたのによ。あいつ、“どうせ何もないっすよ~”とか言いながら、能天気に前に出やがって……俺が警戒して立ち止まったのに、勝手に踏み込んで……!」

「……ピアノ線に触れて、トラップが作動した。

 その一瞬でボウガンが発射されて、即死。矢は脳幹を貫通していたわ」



柏原の言葉に、場の空気がさらに重く沈んだ。


「愚者……“無知ゆえに滅びる者”。その象徴を、まさかこんな形で再現するとは」


湊の声に、神村がわずかに目を伏せた。



「……演出としては、あまりにも残酷ですね。

 でも、森崎さんが“愚かだった”と断じるのは……少し、悲しいです」



誰も、すぐには返せなかった。




柏原が静かに呟く。



「……演出家の狙いがどこにあるにせよ、我々が冷静でなければ次も防げない。

 だから、こうして一人ひとり、確認していくしかないのよ」


湊は、神村の整った横顔を見つめた。

その表情は、どこまでも“善意の協力者”だった。



(だが──彼女は、常に“観察している”側の目をしている)

それが、錯覚か確信か。

湊には、まだわからなかった。

広間の中央に、館の簡易見取り図が置かれた。

柏原がペンで床板を叩きながら口を開く。



「今後、無用な単独行動は禁止する。行動は必ず二人一組、常に相互確認。

 物音や異常があっても、一人では絶対に動かないで」


理沙が不安げに手を挙げた。


「でも……誰と誰が組むんですか? 全員が信頼できるとは……正直、思えないです……」


その言葉に、一瞬、空気が硬直した。

神村が小さく微笑みながら口を開く。


「ならば、少なくとも“目撃者”と“未行動者”が組む形で整えるべきかと。

 たとえば……私はずっと広間にいたので、移動経験のある柏原さんとご一緒しましょうか」



柏原がすぐに首を振る。


「私は情報の集約と判断を担う。基本的に湊と動くわ」



神村は「そうですか」と穏やかにうなずいた。

赤坂が腕を組み、低く呟く。



「誰が犯人かはわからねぇ。でも、“罠”を仕掛けた奴がいるのは確かだ。

 だったら今、この中に──俺たちを“舞台の上”に乗せてる奴がいるってことだよな?」


羽鳥が口を挟む。



「でも、あれだけの罠を、短時間で、しかも人目を盗んで設置できるの? 現実的じゃない」

「設置じゃなくて──“あらかじめ仕込まれていた”のかもしれない」


湊の言葉に、全員が顔を上げた。



「藤堂も、森崎も、“発見された場所”が絶妙だった。

 導線上、誰かが必ず見つける位置。演出としては、あまりに完成度が高すぎる」

「つまり……?」

「俺たちは、誰かの“視線の中”にいる。ずっと」


その言葉に、沙耶が震えた。


「……ずっと、誰かに見られてるって……やだ……」



理沙が隣で寄り添い、背中をさする。

柏原は図面の端に丸を描きながら言った。



「この館には、まだ我々が踏み入れていないエリアがいくつかある。

 隠し部屋、あるいは天井裏や床下──そこが“観客席”になっている可能性もある」



誰かが、どこかから、舞台を“見ている”。

湊はふと視線を上げた。

神村詩音は沈黙したまま、見取り図を眺めていた。

感情を一切含まぬ、整った横顔で。

(……その目の先にあるのは、本当に“地図”か?)




疑念が、わずかに心をかすめた──

だが、証拠はまだ、どこにもなかった。




──ギィ……ギシ……



誰もが息を潜めた。

それは廊下の奥から聞こえた、床板が軋むような音だった。

何かが、ゆっくりと重みをかけながら、こちらへ近づいてくるかのように。

柏原が即座に立ち上がる。


「来るな、全員、動かないで」


赤坂が椅子から腰を浮かせかけるが、湊が手で制する。



「音は、進んでいない。……“聴かせてる”だけだ」


羽鳥が静かに頷いた。


「罠じゃない。これは“演出”。存在の誇示」


広間の空気が、一層重くなる。

理沙が、沙耶を抱き寄せる腕に力を込めた。

神村は表情を変えずに、音のする方角を見据えていた。




そして──音は、唐突に止んだ。

広間に残されたのは、耳鳴りのような静寂だけ。


「……あれは何?」



沙耶の震える声に、誰もすぐには答えられなかった。

湊がゆっくりと立ち上がり、懐中電灯を手に取る。


「確認する。柏原、来てくれ」

「了解」



赤坂が口を開く。


「俺も──」

「いや、ここは残ってくれ。全員が動けば、何かあったとき守りきれない」


しばしの沈黙ののち、赤坂は不服そうにうなずいた。



湊と柏原は、光を手に静かに広間を出る。

誰かが後をつけてくるような、微かな錯覚。




廊下の先、誰もいない闇。

仕掛けられた罠の名残が、どこかにまだ残っている気配。

(誰かが、見ている。どこかで)

その感覚は、確かにあった。だが、視線の主は見えない。





──館そのものが、意志を持って人間を監視しているかのように。


「湊」


柏原の声に、湊は振り返る。



「気づいているか?」

「……ああ。犯人は、俺たちの動きを“正確に把握していた”。

 森崎が一人になる“瞬間”を見計らって、仕掛けた」

「その“視点”は、どこから来てる?」


湊は答えなかった。

ただ、廊下の奥を、深く静かに見つめた。




その先に、何かがいる──

だが、今はまだ、姿を現すつもりはないらしい。




広間の灯りが、わずかに揺らいだ。

まるで“誰か”が、今この瞬間も、舞台袖からこちらを見ているかのように。




──第二の殺人は、静かに終幕を迎えた。

だがそれは、“第三幕”の開始を告げる鐘の音でもあった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?